表があれば裏もある




 乗って快適玉の輿ではなかったが、開けてびっくり玉手箱ではあった。
できれば玉の輿に乗って悠々自適なマドモワゼル生活を送りたかったのだが、玉手箱も舌切り雀プレゼンツの小さな葛仕様ならば悪くない。
は夜遊びらしい夜遊びもせず、小学生のように仕事が終われば自宅へ直帰する夫を頬杖を付きテーブル越しに眺めた。
短期間ではあったが韓国代表サッカー選手として過ごしていたせいか、夫は辛い食べ物が好きだ。
見た目も赤毛で暑苦しいのに食べ物も辛い物が好きだとは、夏にはお近付きになりたくない。
期間限定の夫婦ではなく望めば30年でも50年でも続く関係なのだから、たとえ夏の彼が疎ましくても夏だけ別居はできないのだが。




「ギャップもここまで酷いと風邪引きそう」
「あ? 調子悪いのか?」
「晴矢さん見てるとそりゃ気分も悪くなるって」
「はあ? 熱は・・・わかんねぇな」
「当たり前じゃん、晴矢さんの手は加減知らないんだから」





 キムチ鍋をかき込んでいた南雲が茶碗から手を流し、ぴたりとの額に手を宛がう。
体温が人よりも高い彼の手は熱い。
常に火照っているかのような熱い手で人の体温が測れるものか。
は無造作に夫の手を外すと、ほうと息を吐いた。
本当に具合が悪いと思ったのか、南雲の眉がわずかに顰められる。
いつでもどこでも快活で不敵な笑みを浮かべる能天気と思われがちだが、ギャップというのは凄まじいもので彼は意外と深刻な表情をよくする。
ずぼらに見えて繊細で、亭主関白に見えて愛妻家。
ギャップの塊である南雲に、は戸惑いを未だに隠せないでいた。





「無理せず病院行くなり休むなりしろよ」
「原因がどっか行けばすぐ治るんだけど」
「だから病気の原因の細菌殺す抗生物質もらってこい。に何かあったら俺どうすりゃいいんだよ」
「泣け。俺のせいで妻に何かありました俺が悪うございましたって泣け」
「俺のせいって言いたいのか。違う意味で泣きたいんだけど」
「おう、泣け」




 いつ泣き始めてもいいように買い物帰りにもらったポケットティッシュを差し出すと、せめてボックスティッシュにしろよとツッコミを入れられる。
やっぱ具合悪いんだろやってること滅茶苦茶だと言われ、日常の普通の感情でやった行為をキチガイの所業だと断定される。
酷い、あんまりだ。
は食べ終えた鍋や食器をせっせと片付け始めた南雲の背中に向かって酷いと詰った。





「キチガイが地球人に向かって頭おかしいとかひっどーい」
「いつの話引っくり返してんだよ。それちょっとした黒い思い出だからやめろ」
「バーン!くんだったもんねえ。バーン!くん粋がってたよねえ、今は牙抜けてまぁるくなったけど」
「抜けたのは牙じゃなくて骨。抜いたのはなんだからお前も共犯。あと、いい加減宇宙人ネームで呼ぶのやめろ」
「ほんとは嬉しいんでしょ? ギャップでできてる晴矢さんだから、どうせバーン!くんって呼ばれて喜んでんでしょ? んん?」
「旦那をどんなMだと思ってんだ」





 やぁん照れてるさすが晴矢さんと訳のわからない褒め方をされるが、不思議と怒りは湧いてこない。
初めて出会った時から移り気で滅茶苦茶でこちらだけを見てくれることなど皆無だったが、たとえからかいであっても自分を見てくれていることが幸せで嬉しくてたまらないのだ。
家族との縁が薄い生活をしてきたから、家族に対しての愛の渇望は人一倍強い。
南雲が家に真っ直ぐ帰るのは、多少言動がおかしくてもぬるく暖かく出迎えてくれるが恋しいからだった。
特別なことは望まない。
大きな家でなくても、美人でなくても構わない。
愛する人が自分を愛してくれて、温かく接してくれる居場所がずっと欲しかった。
が数多の夫候補からなぜ自分を選んだのかは今でもよくわからない。
知りたいような知りたくないような、真実が特有のおっかなさを秘めているようで怖くて訊けない。
南雲は洗い物を終えると濡れた手のまま、ソファーに寝そべるに歩み寄った。
頬にぺたりと冷えに冷えた手を押しつけると、きゃあ冷たいと悲鳴が上がる。
本当に冷たいと思っているのだろうか。
南雲はの顔に自身の顔を寄せると、にいと笑った。





「熱いけど冷たい俺、ギャップ使いこなしてるだろ?」
「わかっててやると効果なーい」
「じゃあいつもは効果は抜群ってことか?」
「だから風邪引きそうになるくらいにくらくらするんでしょ。晴矢さんわかってないなー女心」





 わかってたらそれはそれで恥ずかしいから、これからもずーっときつい目つきした鈍感さんでいいんだけど。
なるほど、知らずに使う必殺技ギャップの効果は抜群だ。
普段は愛情を感じにくい発言しかしないがたまにぽろりと零す甘い言葉は、恋の媚薬で毒薬で麻薬だ。
南雲は自身の額に手を当てるとああと呟いた。
どうしたのと上目遣いで見上げ尋ねてくるに黙って覆い被さると、移ったとだけ答える。
キチガイが何言ってんだやっぱキチガイはどこまでもキチガイかとでも思っているのか、訝しげな表情を浮かべているの額にこつんと額を合わせる。




「ギャップにくらくら、俺にも移ったっぽい。のそういうとこほんと好き」
「お、偶然。私も晴矢さんのこと好き」





 合わせた額から熱が交じり合う。
熱くて冷たくて素っ気なくて甘くて、どれだけの時が過ぎても飽きずに暖かい我が家と妻が大好きだ。
南雲はを抱き寄せると、恋の眩暈を生み出すよく動く唇に蓋をした。






だって晴矢さんって何言いだすかわかんないから飽きずに楽しそうじゃない




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