熟れた青春は桃春と呼べ




 今夜一晩でいいから泊めてくれと頼まれた時、いったいどう答えればいいのだろう。
はティーンズ誌のとあるページに視線を落としたまま、幼なじみの頼みにどう答えるべきか思案していた。
つい先程まで読んでいたページの見出しは、『彼ともーっと近付く秘訣☆』である。
内容をざっくばらんに要約すれば、手っ取り早く家に上げるか上げてもらって一線越えちゃいなよと書いてある。
いやいやまさか、甲斐性なしの我が幼なじみに限ってそんなこと。
は嫌だと豪炎寺に言い返した。




「なんで家来んの」
「行きたいからだ」
「だからなんで来たいの。言っとくけど、修也が家来たらパパたちどっか行くからね」
「それこそどうしてだ」
「だって修也と私いたらお邪魔虫じゃん。あれ? 修也それ知ってて週末私呼びつけてんじゃないの?」
「ご近所でも、人様の家の事情まで知るわけないだろう。頼む、一晩でいいから泊めてくれ」




 鶏肉の唐揚げでもシチューでもエビフライでも作ってやるからと言われれば、ぐらりと心が揺れ動く。
豪炎寺はが嫌いな食事は滅多に作らない。
ねばねばドロドロやだとごねると、その日以来とろろは作らなくなった。
ねばねばびよびよやだとごねると、朝食に納豆を出さなくなった。
ちゃん好き嫌いはだめよぅと、笑顔でオクラやもずくを突き出してくる母とは大違いだ。
はぱたりと雑誌を閉じた。
駄目だ、木戸川フレンドから雑誌を押しつけられたが、彼女の読む雑誌は恋バナが多すぎてついていけない。
こういうちゃらちゃらした雑誌よりも、イケメンがたくさん載っているスポーツ雑誌を所望する。
はほうと息を吐いた。




「唐揚げとエビフライ食べたい」
「部活が終わったら買ってから行く。ああ、部屋は・・・」
「家にもお客様のお部屋くらいあります。あっ、お風呂は私が一番だからね、これ絶対」
「わかったわかった。・・・少し荷物が多くなるし、音も大きくなるが大丈夫か?」
「戸建住宅ですからご心配なく。そんなに不安なら円堂くんとこ泊まれば?」
じゃないと駄目なんだ」
「あっそ」




 豪炎寺はいったい、何をしに我が家に来るのだろう。
は再度豪炎寺に夕食のメニューを約束させると、一足先に教室を後にした。
































 ああなるほど、確かに今夜は我が家でなければならなかったようだ。
は楽譜と格闘している豪炎寺を眺め、観察にすら飽きテレビのリモコンに手を伸ばした。
駄目だと言われ、口だけでは足りずリモコンを取り上げるあたり性質が悪い。
はテレビを諦めると、豪炎寺が座るソファーの隣にぼすんと腰を下ろした。




「修也ギターとかやってたんだ?」
「やらなきゃいけないんだ、サッカー部の出し物で」
「サッカー部? なんでサッカー部? 部活勧誘シーズンはもう終わってんじゃん」
よりも後に雷門に来た俺に、この学校の仕組みがわかると思うか? とにかく決まったものは仕方ないだろう、ギターが家にあるのが俺だけだったんだ」
「ああわかった、隠し芸大会か。ふむふむなるほど」
「俺の話を聞くつもりはあるのか?」





 尋ねるまでもなく、聞くつもりはなかったようだ。
は楽譜を取り上げるとへぇと声を上げた。
こんなの読めたんだ意外だなあと、今日も今日とて地味に傷つく言葉を投げかけてくる。
読めるようになったのだ。
が知らないところで努力しているのだ。
サッカーばかりやっているわけではないのだ。
そう反論してもおそらくは聞き流されると踏んだ豪炎寺は、に反旗を翻すことを早々に諦めた。
人生諦めることも必要である。
今更に性格の劇的改変を望んでも、それは叶わぬ夢なのだ。




「まあ、私も寝たいから9時までにはやめること。あと私はエレキギターの方が好き」
「一軒家だからいいって言ったのはだろう」
「私の安眠妨害になっちゃうでしょ。ったく、パパたちいないこのお家寂しいんだからね」
「俺がいるだろう。そもそもどうしておじさんたち出かけてるんだ。・・・まさか、俺は嫌われているのか?」
「ママはのママの前にパパの奥さんだから週末はパパのものって言って、どっか行ったよ。いいなあラブラブ、私もママみたいにいっぱい愛されたぁい」
「せいぜい心が広い物好きな彼氏を探すことだな。見つからないだろうが」
「修也、それパパたちの前で言ってみたら? 即行で嫌われるよ」
「嫌ってほしいわけじゃないから言わない」




 猫かぶりも甚だしい幼なじみだ、付き合っていられない。
は再び練習を始めた豪炎寺をリビングに置き去りにすると、お世辞にも上手いとは言えないギターの音色から離れるべくバスタイムに突入することにした。
風呂は心の洗濯だ。
喧しい音のこともきっと気にならなくなる。
長く使っていればうとうともしてくるので、すぐに眠りに落ちることもできる。
ああ、寝る前に明日は朝早くから弾くなと言っておかなければ。
お宅うるさいんですけどとご近所さんに叱られるのはごめんだ。
はお湯に浸かると、一人きりなのをいいことに歌いだした。




「好きになった気持ーちー、誰にも隠せなーいー。このときーめきどうしたーら伝えられーるーーー」
、その歌知ってるのか」
「・・・空耳か」
「何度俺の存在を消したら気が済むんだ。知っているのかと訊いている」
「ねぇ修也、何しに来たの? なんでこんなとこまでついてきたの?」
「人の家に1人でいるのは変だからついてきた。中には入らないから安心しろ」
「あのさあ、私いっつも豪炎寺家で1人であれこれやってるんだけどなぁに、どうして修也そんなに寂しがり屋さん?」
「生憎と俺はほどに図太い神経じゃないんだ。人の家に上がりこんで堂々とはできない」
「嫌味か。そのギターに熱湯ぶちまけてやろうか修也くん」
「両手を広げて待機していようかちゃん」





 ちゃんと呼ばれることがこれほどまでに気持ち悪いことだとは思わなかった。
よく、昔はちゃんと呼ばせていたものだ。
気味が悪くて、熱いお湯の中にいるというのに鳥肌が立ってくる。
こちらが大人しくなってことで機嫌を良くしたのか、豪炎寺が楽しそうに歌ってくれと強請り始める。
嫌だ、人の前で歌うほどのアイドルではない。
歌から入るアイドルではなくて、モデルから始まるアイドルになりたいのだ。
嫌だとごねるに構うことなく、豪炎寺はジャーンとギターを弾き始めた。




「ああもううーるーさーい! お風呂くらいゆっくりさせてよー!」
「歌ってくれたらやめるから頼む、一度だけ」
「お風呂ソングは1人で歌うから楽しいの! 強請られて歌うのやだー!」
「・・・食後のデザートにあれ買ってきたんだが」
「・・・あれ、とな」
「ああ、あれだ。好きだろう、あれ」
「好き好き超好き大好き」
「一曲歌うだけであれだと思えば安くないか?」
「くっ・・・、医者の息子の馬鹿野郎・・・。そうやってちらつかせやがって何が目的なの、ええ!?」
「だから歌。ほら、1,2,3,4」





 あれの誘惑に負けた。
くそう、あれさえなければこんな屈辱味わうこともなかったのにちくしょう。
は恥をかき捨てると、あれのためだけに豪炎寺をセッションを始めた。































 まあなんというかあれだ。
そうやって生々しい話を、さも中学生の日常茶飯事とでもいうように話して聞かせてほしくない。
半田はややしわがれた声で週末の出来事を話すと、素知らぬ顔でギターを磨いている豪炎寺を交互に見つめため息を吐いた。





「お風呂場で修也がもっともっとって言って、おねだり聞いたげてたらこうなった」
、目的語をちゃんと入れて話せ」
「自分の練習のはずが、いつの間にか私のボイストレーニングっていうか調教みたいで嫌だった」
、俺の話聞いてる? 豪炎寺もお前、に何させてんの? 調教ってどう考えてもおかしいだろ」
「俺とはそんな関係じゃない。そもそもまだ中学生だ」
「いいや、お前らのやってることただの夫婦ごっこだから。大体なんでたかだか部活のイベントに本気出すんだよ。おかしいだろどう考えても」





 週末、この2人は何をやっていたのだろう。
風呂場で練習とは、その練習は何を指しているのだろう。
の声が枯れるまで練習に付き合わせて、それは本当に練習だけなのだろうか。
はぁんと不意に艶かしい吐息を耳にして、半田は隣の席に突っ伏しているを顧みた。
何だ今の、どこかのAV女優が発していそうな吐息は。
教室に女子はしかいないし、まさかこいつが。
半田は恐る恐るの名を呼んだ。
何よぅと訊き返してくる声はいつもののものだが、そうであるがゆえに先程の桃色吐息が気になってならない。
えっ、最近の女子って2,3日見ないだけで急に色っぽくなるわけ?





「お前・・・、さっきため息ついた?」
「ため息もそりゃつきたくなるでしょ。はぁん・・・」
「それ! そのため息! 何だよそれ、どこでそんなやらしい息の吐き方覚えてきた!」
「は? 何、どうしたの半田」
「おお俺が知ってるは確かに観賞用であるけど色気は欠片もない奴で、間違ってもそんなエロイため息つくような子じゃなかった!」
「何言ってんの半田、わっけわかんない」
「おおお前豪炎寺! やっぱに何かしただろ! 返せ! 先週までのに今すぐ戻せ!」
「これはこれでいいだろう、害はない」
「あるよ、大ありだよ!」




 こんなギター捨ててやる!
やめろ半田、捨ててもは帰って来ないぞ!
ギターを抱え上げ窓から捨てようとしている半田とそれを止めようとしている豪炎寺の下らない諍いを見つめ、は再びはぁんと息を吐いた。






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