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 退屈な、けれども少しは実のあった3年間がやっと終わった。
本当は3年前にこの地に降り立ちたかったが、さすがにそれは急ぎすぎだと思い留まり日本で練習を積んだ。
思えば理不尽なスタートだった。
同じイナズマジャパンメンバーで同じMFで同じゲームメーカーだったにもかかわらず、鬼道にはあちらこちらから舞い込んできたらしい強豪サッカー校からの推薦状が
こちらには一通たりとも届かなかった。
確かにこちらは鬼道と違いスタメンではなくいつも後半からの途中出場だったが、奴に負けないだけの結果を奴よりも短い時間で残してきた自負はある。
日本の連中はどいつもこいつも見る目がない。
幸いというか当たり前だが勉強も人に教えられる程度にはできたので自力で入り下から這い上がってやったが、それでも満足しなかった。
おそらく、日本は肌に合わないのだと思う。
自分と似た才能と、こちらが到底手に入れることの敵わない人望を兼ね備えている鬼道が日本にいる以上、日本で活躍することはできない。
決して不貞腐れているわけではない。
ただ、日本ではないところで勝負したかったのだ。
外に出ればきっと自分を認めてくれる人が、チームがある。
そう信じ選びやって来た場所をイタリアにしたのは、やはり自分には甘えがあったのだと思う。
もっとも、唯一甘えさせてくれそうで、かつ認めてくれている人物が長靴のどの辺りに暮らしているのかは知る由もなかったが。
様々な意味で甘い男だと思う。
不動はスーツケースを引きずりながら空港の出国ゲートを潜ると右も左も飛び交う言葉もわからない世界に天を仰ぎ、乾いた笑い声を上げた。
冗談でもなんでもなく、来て早々異国の地で野垂れ死にそうだ。





「・・・ちゃん、ここで出てきたらマジの女神だぜ・・・」




 絶望の独り言が、出国ゲートを後から潜ってきたがやがやと騒がしい集団にかき消される。
賑やかを通り越して喧しい連中だ、人の気も知らないで。
慎ましさを知らない集団へ鋭い視線を送るが、向こうがこちらに気付くことはない。
独りぼっちだ。
どこにいても、いつも当たり前のように独りきりだ。
イタリアに来ればなんとかなると楽観的に考えバイトをこなしまくっていた当時の時分があまりにも夢みる夢子ちゃんすぎて笑え、空しくなってくる。
不動は集団から視線を逸らし顔を伏せると唇を噛んだ。





「あー、お家帰ったらママのカレー食べたぁい」
「今回の合宿は長かったもんね。俺も早く帰ってゆっくりしたいよ」
「ねーっ。あーあ、早くお風呂入ってベッドにダイブしたぁい」
ちゃんはほんとにお風呂が好きだよね。ローマ人みたいだ」





 気のせいだろうか。
今、『』と呼ぶ声が聞こえた気がする。
慌てて集団の中から『ちゃん』を探すが、スーツ姿の青年たちばかりで女性の姿はどこにも見えない。
退けよお前ら、俺が見たいのはてめぇら野郎どもじゃなくて『ちゃん』なんだよ!
何もかもが思い通りにいかないことが腹立たしくなった不動は、スーツケースを猛烈な勢いで引きずりながら集団へと突撃を試みた。
見せてくれないのであれば力ずくでも見に行くに限る。
びしりと決めた黒いスーツの男たちの間からちらりと、明るい色のワンピースを身に纏った茶髪の女性が見える。
もしやあれが、あそこで男と話しているのが噂の『ちゃん』なのか。
更に割り込もうとした不動は、屈強な男にどんと胸を押され後退した。




「おい何すんだよ!」
「何なんだ、いきなり」
「ああ? 何言ってんのかわかんねぇんだよ! そこ退けよ、通せよ!」





 もしもこの場にいるのがではなかったら、下手をすれば異国の地で手が後ろに回ってしまうかもしれない。
そうなればサッカー選手として一旗揚げる計画も水の泡となり、これまでのサッカーに捧げた時間もすべてが無駄になってしまう。
日本語を話してくれない、自分よりも一回りも二回りも大きなおそらくはイタリア人と対峙するのは正直とても怖い。
因縁をつけられたらここは相手のホームグラウンドだ、身寄りも伝手もないこちらには味方となる存在は何もない。
じりじりと詰め寄られ、いよいよ無理だと観念し小さく舌打ちする。
なぁに何のどたばたー?
スーツの円陣の中からぴょんぴょんと飛び跳ねている女性に後光が差しているのを不動は確かに見た。





「なぁに、ファン?」
「いや違うみたいだ。急に俺たちに近付いてきて、すごい剣幕で睨みつけてきた」
「ふぅん? フーリガンってやつ?」
ちゃんあんまり近付かない方がいいかもしれない。悲しいけど、世の中の男はみんながみんな紳士じゃない」
「・・・ちゃん」
「ん? フィーくん何か言った?」
「・・・ちゃん、ちゃん! 前だよ、その大男の前にいる俺だよ!」
「俺だよ? げ、一之瀬くん?」
「ふざけてること言える状況じゃないんだよ! 俺だよ、忘れたとは言わせない!」
「俺? あっ、これがもしかして最近流行ってる噂のえーっと、もしもし詐欺!」
「振り込め詐欺だよ!」
「む、その日本語もしかして日本人!? やぁだ、ひょっとしなくても私のファンじゃんもーう。駄目よう、いくら私のことが好きでも他の人に迷惑かけちゃー」





 危ないよと制止するフィディオに構うことなく、はるばる訪ねてきたファンに美貌を拝ませてやるべくファンの前に立つ。
どうよ私見て満足した?
そう言ってファンを見下ろしたは、見覚えがややある気がしないでもない奇抜な髪型にあれぇと声を上げた。
ファンはファンでもどうやら今日のファンはとびきり太い筋金入りのファンのようだ。
まさか海を渡ってまで追いかけて来られるとは思いもしなかった。





「あっきー、こんなとこまで来てそんなに私に会いたかったの?」
「・・・そうだよ会いたかったんだよ! 愛してるぜちゃん!」
「ぅおう!?」
ちゃん!?!?」





 愛しているのは本当だし、見たさに我が身を省みずスーツ軍団に飛び込んだのも本当だ。
助かった、救われた、はマジの女神だった。
不動は目の前のをぎゅうと抱き締めると、安堵からかはたまた不意に襲われた後頭部の痛みからか、を抱いたまま意識を手放した。








































 美味しそうなカレーの匂いがする。
そういえば機内食を食べたきり、何も口にしていなかった。
円安だか円高だか知らないが、寂しい懐具合の中買い食いなどできようはずがない。
腹減った、留置所って飯出るのかな。
ゆるゆると目を開けた不動は、目を開けた瞬間視界に飛び込んできた女神の姿に奇声を上げた。
死ぬかと思った。
不動はおはようと暢気に声をかけてくる女神におはようとつられて返すと、ぶんぶんと首を横に振った。





「ここ、どこ?」
「マイホーム。あっきーよく寝てたよー、もうお腹減っちゃった」
ちゃんの、家・・・?」
「そ、様のお家。ごめんねぇ、あっきーをあっきーと認識してなかったのか私にハグしたあっきーをフィーくんが後ろからオーディン手刀しちゃって、あっ、フィーくんは私のお隣さんなんだけどね」
「・・・あの幼なじみバカか・・・」
「フィーくん私のこと好きすぎるから、下心ある奴にちゃんは触らせないって超意気込んでんの。すごくない? フィーくんマジイケメン」
「で、落ちた俺はちゃんに回収されたってことか」
「あったりー。ねぇねぇあっきー、あっきーほんとに私に会いに来たの?」
「んなわけねぇだろ。・・・まあ、ちゃんには会いたかったけど」




 布団から身を起こし、スーツケースから取り出した服に着替えながらも背中にの視線を感じる。
男の裸や下着姿など見慣れているのだろう、あっきー大きくなったねえとのんびりと声を上げるに時間の隔たりを感じる。
・・・としんみりしようと思ったが、思い返せば中学生の頃からは日本の幼なじみバカのおかげで男の裸などとうに見慣れてきゃあの『き』も上げなかった気がする。
ちゃんはこういう奴だった、乙女心が変なとこで欠如してる奴だった。
不動はに連れられるまま食卓に就くと、テーブルに置かれたカレーに手を合わせた。
ありがたい、家はいつも自分に温かい。
手を合わせると早速カレーを貪り始めた不動に、はねぇねぇと尋ねた。





「あっきー何しにここまで来たの? 学校は?」
「高校卒業した。こっちでサッカーしたくて来たとこ」
「へえ! どこかチーム決まってんの? 応援行っていい?」
「・・・・・・いや」
「へ?」
「まだ何も決まってない。決まってないけどイタリアでサッカーしたくて日本から出てきた。馬鹿で向こう見ずだって笑うだろ?」
「ううん、すごいと思うよ。そっかあ、あっきーはサッカーしたくて来たんだあ。ポジションは今もMF?」
「まあな。ちゃんこそ今は何やってんの? スーツのあいつらは?」
「あれはU-20のイタリア代表。フィーくんたちの合宿に私もついてったの」
「・・・ちゃん、もしかしてすごい人?」
「まっさかー。たまぁに呼ばれて練習とか試合のお手伝いサポートしてるけど、普段はバイト代わりに中学生くらいの子たちのチームの監督兼コーチやってる」




 フィーくんがごねるからついてってるだけで実力とかそんなのじゃないんだよーと笑って言うだが、笑いごとではないと思う。
きっとのバイト先のチームも相当鍛えられているのだろう。
はまだサッカーを見ている。
はまだ、いや、むしろ以前よりも輝きを増した女神に進化していた。
こちらもいつまでも燻っているわけにはいかない。
とりあえずどこかのチームの入団テストを受け、ボールに触れる機会を得よう。
に会えたことでやる気も俄然出てきた。
勢い良くカレーをかき込んだ不動は、水をぐいと飲み干すとに向かってにかっと笑った。





「ありがとなちゃん、この恩は出世したら必ず返すぜ」
「別にいいよー、私もあっきーと会えて楽しいし。あっきー、これから行く当てあるの?」
「ないから探す」
「じゃあ見つかるまで家にいていいよ、見た感じあっきーイタリア語喋れなさそうだしそんなんじゃ明日には無一文だよ」
ちゃんどんだけ俺に優しいんだよ」
「今更気付いたの? ていうかあっきーMFなら終末の試合にちょっと助っ人してくれない? メンバー足りなくてさあ」
「バイト先のチームって奴にか?」
「ノン、海の向こうから観光でやって来たマークくんたちとの草サッカー試合。ほんとサッカーバカってバカンス先でもサッカーんバカなんだからやんなっちゃう。
 いきなり試合組まれてもメンバー集まるかっての」




 草サッカーだけど相手は世界レベルだしひょっとしたらメディアも来るかもだから一気に名を上げるチャンスと思うのよ、どうするあっきー?
そう問いかけ不敵な笑みを見せたに、不動は最高だなと返した。







これぞまさに、内助の功




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