10年越しのウィニングラン
特別仲良くしていたわけではなくむしろ喧嘩の絶えなかった10年間は、後悔するどころか今になっていい道筋を示してくれたように思える。
試合はロスタイムが終わるまでわからない。
豪炎寺は深めに帽子を被り買い物を楽しんでいるを見やり、頬を緩めた。
稀代の天才コーチもベンチを離れればただの年頃の女の子で、買い物に興じる姿には何の違和感も覚えない。
暖色系等が好きなのは相変わらずだし、こちらの意見をまるごと聞き流そうとするところもまったく変わらない。
一応はイケメン選手で通っているこちらの都合と人気と商品価値を考え、彼女の中ではおそらくは控えめに行動してくれているのも彼女の優しさを感じる。
別に私とフライデーされたとこで私美人だし幼なじみだし、修也に悪いことなんてなぁんにもないでしょうけどと言ってのけるところなどは本当に当時と変わらない自意識過剰さだ。
フィディオは本当に正気で彼女の恋人になりたいのかと疑問に思えて仕方がない。
「」
「んー? あっ、見て見てこのワンピース可愛くない? てか私にぴったり」
「俺はこっちの方が好きだ。フィディオはいいのか?」
「えーそっちー? そっちなんか地味じゃなーい?」
「いいから着てみろ。あとフィディオだが」
「フィーくん? そうねえフィーくんはちゃんが好きならそれが一番可愛いよって言うと思う」
まあそれが事実なんだけど張り合いなくてちょっとねえ・・・。
そうぼやきながら2着のワンピースを手に試着室へ入っていったを見送る。
にフィディオは優しすぎ、そして甘すぎる。
それは決して悪いことではないし甘やかされ好きのにとっては願ったり叶ったりのことだっただろうが、今まで風丸以外の様々な連中からぞんざいに扱われ続けてきて、
そしてそれに慣れてしまったには今更のフィディオの甘さが物足りないようだ。
確かには今も昔も、そしてこれからもお姫様で女王様でたまに女神様な振る舞いをするし望むだろう。
しかし周囲は彼女に対して唯々諾々と跪いてはいけない。
は、逆境とまでは言わずともそれなりの抵抗の中でこそ輝き威力を発揮する人間兵器なのだ。
フィディオはの良さを活かしきれていない。
王子様はお姫様の召使いでもイエスマンでもないのだ。
「ねえねえどうどう修也」
「ああ、やっぱりこっちにしろ」
「えーこっちー?」
「何のために俺を連れて来たんだ。俺は黙ってるだけの荷物持ちじゃないぞ」
「そうでしたそうでした、意外とおしゃれにうるさい荷物持ちでしたね! でも確かに修也のチョイスも大人っぽくて可愛いかも。修也見る目あるじゃん」
「まさか忘れてはないと思うが、俺もも『大人っぽい』じゃなくてもう『大人』だからな」
「あ、そういやそうだった」
「・・・」
「な、何ようその顔! おっ、大人ならこれ買ってくれるよね、ねっ!」
ありがとー修也、修也だぁい好き!
そうわざとらしく言いながらぎゅうと腕に抱きつくに、こちらもわざとらしくため息をついてみる。
今日のはまるで、子どもに還った大人のようだ。
豪炎寺は買ったばかりのワンピースを手にふんふんと鼻歌を歌うご機嫌のを見つめ、俺も好きだよと呟いた。
フィールド以外で相対するのは久し振りな気がする。
昨日ならばもう少し緊張していたし不本意な劣等感や焦りを感じていたかもしれないが、今はそうではない。
むしろ、相手の方がいくらか焦っているようにも感じる。
豪炎寺はゆっくりとコーヒーを口に運ぶと、どうしたんだと問いかけた。
「珍しいな、のことで焦ってるなんて」
「そうだね、まさか俺も自分がここまで追い詰められてるとは思わなかったよ。君は本当に恐ろしいよ、ちゃんに何をした?」
「昨日家で夕香たちと食事して、今日は一緒に買い物してただけだが」
「本当にそれだけかい? それだけであんなにちゃんは変わるかい?」
「何を疑ってるか知らないが、10年ぶりくらいに会った恋人がいるかもしれない幼なじみにいきなり手を出すほど俺は落ちぶれてはいない。それには何も変わっていなかったぞ」
「・・・・・・ごめん、気分を悪くさせた」
「別に気にしていない。それだけお前がを想ってるってことだろう」
フィディオは一途すぎる。
ずっと幼い頃からに恋い焦がれていて、今もまだ夢のような現実の中でを想い続けている。
少しでも至らないことをすればはまたどこかへ行ってしまうとでも思い、ありえない空想に恐れを抱いているのかもしれない。
彼が恐れていることなど起こらないのだ。
微塵も起こりようがないから、一時は引退説まで囁かれたどん底の白い流星を自らの力で再び天に輝く存在へと戻したのだ。
どんな形であれはなりにフィディオを大切に思っていて、彼に反目することなど考えてもいないはずだ。
盲目的なまでの愛は、時として真実をも隠して自らを暗闇へ閉じ込めてしまう。
哀れだな。
思わずそう漏らしてしまった豪炎寺に、フィディオは表情を硬くして口を開いた。
「・・・それは、想い続けてるのに実らない俺のこと?」
「・・・自分の中ではそう思い当たることがあるのか」
「・・・・・・俺は本当はいつも自信がない。毎日一緒にいて同じチームにいるのに、自信がない。俺が見てるちゃんとちゃんが見てる俺は、全然立場が違うんじゃないかって」
「が好意にだけは鈍いって知ってるだろう」
「じゃあ訊くけど豪炎寺、君はどうしてそんなに余裕なんだ? 君だってちゃんを愛しているんだろう? 俺と同じなのに、いや、時間では俺の方が断然長くいるのに俺にはある焦りが君にはない。何が君をそこまで余裕にさせる?」
「簡単だ、も俺を愛しているからだ」
がたんと机が揺れる音がして、豪炎寺はフィディオの手元を見た。
酷く動揺したのか怒ったのか、両手がきつく拳を握っている。
愛を語るイタリア人に愛を教えることほど難しく不可解なものはないが、やるしかない。
豪炎寺は小さく息を吐くと、俺とはと切り出した。
「俺たちはフィディオも知ってるように、幼い頃はずっと一緒だった。家族ぐるみの付き合いで、初恋の人なんて以外の選択肢がなかったくらいだ。むしろあの状況であったら叱られてただろう。10年前も好きだったし、もちろん今も好きだ。でも、かたちが変わってしまった」
「・・・・・・」
「イタリアで活躍してるを見るようになって、愛情よりも尊敬が先にくるようになっていた。ずっと一緒にいたから、いつからかを家族の活躍を見守るように見ていた」
「家族・・・」
「そうだ。おかしいだろう、結婚どころかプロポーズもしていないのにもう家族だ。血を繋ぐ存在をつくらなくても、俺たちは家族なんだ。だから焦りなんかない」
自虐的になったわけでも、諦めたわけでもない。
きっとだって同じことを思ってくれている。
失恋ではない。
誰かに負けたわけではないし、を気遣ったわけでもない。
がフィディオをどう思っていて、彼女が彼にこれから何と伝えるのかはわからない。
わからないけれど、ただなんとなく、フィディオではないような気はした。
それはただひとつの結末を望んでいたフィディオにとってはとても酷で辛いことかもしれないが、はフィディオを選べない気がした。
「・・・来てたのか」
「うん」
フィディオと別れ、店を出ると案の定に出くわす。
思わず笑ってしまいそうになるくらいにの顔は困惑顔で、どうしたとしか声がかけられない。
修也、あのね。
数秒の沈黙の後にようやく吐き出された言葉に、ああとだけ答える。
ぎゅうと切なげに握り締められた買いたて着たてのワンピース姿のの口がわずかに動く。
ああ、これは言わせてはいけない言葉だ。
豪炎寺はゆっくりと歩み寄ると、そっとを抱き寄せた。
「いい、何も言うな」
「あのね、修也。・・・ごめんね」
「それは俺じゃなくてフィディオに言え。誠心誠意、ちゃんと言え」
「・・・・・・うん。・・・ありがと修也、・・・やっぱ私修也のこと好きだわ。すごく・・・ほんとに・・・好き」
「今更気付いても遅いぞ、馬鹿」
家族だから、家族だから、家族なのにこんなに近くて遠い。
豪炎寺はフィディオの待つカフェへ足を向けたの背中をぽんと叩いた。
・・・失恋したの、どっちだろな