シンデレラダーリン




 ラブ・ポーション。惚れ薬。媚薬。恋の秘薬。
恋する乙女や男子ならば一度は手に取りたくなってしまう代物が今、鬼道と春奈の前にある。
無色透明で特段甘ったるい匂いを放つわけでもない水同然のこれは、本当の本当に惚れ薬なのだろうか。
鬼道の疑問を見透かしたように、春奈は本物よと告げた。




「そこらへん歩いてた犬と猫に使ったら効き目あったから本当よお兄ちゃん」
「ただの発情期と被っただけじゃないのか?」
「そういうと思ってさっき一之瀬先輩に使ってみたら、木野先輩に猛アタック始めたから効き目は抜群よ」
「それは割といつものことだと言いたいがしかし、つまりはこういうことか。これをに使って、が一番に俺のことを見ればいいと」
「そう! ということでさん捕まえましょう!」
「捕まえましょうじゃねぇよ、なーに考えてんだこの兄妹!」




 半田は教室の扉を勢い良く開けると、の席を囲みごそごそと企んでいた鬼道と春奈に詰め寄った。
人の教室で何をやっているのか、また引き出しの中にラブレターを仕込んでいる馬鹿かと思いこっそりと外から見守っていたら、
馬鹿は鬼道たちで彼らのとんでもない陰謀を知ってしまった。
何が効き目は抜群だ。
そんなものを使ってを手に入れて、それで満足なのか。
半田はの机の上に置いてある小瓶を取り上げた。
何するんですか返して下さいと非難の声を上げる春奈の手には届かないように、瓶を持った手を高く掲げる。
今回という今回は、この兄弟の暴走を見逃すつもりはない。
チームメートよりも親友の方が半田は大切だった。




「こんなもん使ってを落として幸せか、鬼道!」
「それはあくまでも目的を達するための手段でしかない。それを使ったところで、俺が上手くできなければ意味はない」
「いつも上手くいってないからに恋心すら気付かれてないんだろ! こんなの使うには鬼道はまだ早い! もうちょっとレベル上げてこい!」
「レベルを上げて敵う相手ではないとわからないのか!」
「逆ギレ禁止! 風丸見ろよ、あいつのレベルくらいになれよ!」
「風丸にレベルなどという定規はない。風丸は風丸というその存在そのものが最強を意味している」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃまた難しく話しやがって、もっとすっぱり言えよ!」
「何をすっぱり? おはよ半田」




 椅子の上に立ち瓶を死守していた半田の膝に、言いようのない衝撃が走る。
これは膝カックンだ。
こいつ、アルトリコーダーフルスイングして膝の裏をぶちのめしやがった。
椅子の上という、ただでさえ身動きが取りにくい場所に立っていた半田の体が不安定に揺れる。
突然の膝カックンに耐えられるほど半田の肉体は強靭ではない。
うわあと叫び椅子から転げ落ち、床に強かに尻を打ちつけた半田の手から瓶が零れる。
空中で瓶の蓋が取れ、半田の頭にばしゃりと液体が降り注ぐ。
朝の挨拶代わりの膝カックンが予想以上に友を傷つけたことに驚いたが、慌ててしゃがみ込み半田に顔を近づける。
やだごめん、修也は避けるから半田もできるだろうと思ってやったら違ったとさりげなく幼なじみのスペックを褒め友を貶めたに半田はゆっくりと顔を上げた。
尻が痛い。腰が痛い。精神的な意味で頭も痛い。
朝から何をやっているのだこいつは。
捻挫でもしたらどうしてくれるのだ。




「あのさ、挨拶くらい真面目にやれ?」
「だからごめんって。ほら立てる? 今日は特別に引っ張り上げたげる」
「加害者はそのくらいするのは当たり前だろ。ったく、いってー・・・」




 が差し出した手に素直に手を重ね、半田はよっこらせというかけ声と共に立ち上がった。
床に落ちた瓶を拾い上げ中身を確認する。
少し減った気もするが、床に落とした時に少し零れたのかもしれない。
半田は瓶をポケットに突っ込むと鬼道と春奈を睨みつけた。




「これ没収」
「あの、半田先輩っ!」
「何だよ音無。言っとくけどなこれ、今すぐそこの手洗い場に流したっていいんだからな」
「いや、そうじゃなくてあのですね・・・」
「なんでもない。・・・半田、今、なんともないのか?」
「なんともって何がだよ。鬼道も見たろ、今、が俺を椅子からこけ落としたの」
「・・・わかった、何もないようならいい。行くぞ春奈」




 鬼道が見た限り、椅子の上の半田が床にダイブした時、瓶は蓋が開き確実に半田に降りかかっていた。
1回の服用量がどのくらいなのかわからないが、半分以上の液体が半田にぶちまけられていた。
どういうことだろうか。
あの瓶は香水瓶にしか見えなかったが、あれでも実は飲料だったのだろうか。
口に含まない限りは効果が出ないということだろうか。
鬼道は春奈を連れ教室を出ると、どういうことだと改めて尋ねた。
薬を調達してきた春奈も、取扱説明書を見ながら首を捻っている。




「あれ、香水なの。あれをつけて一番に見た人のことを男女問わず好きになるって書いてあるけど、半田先輩は何を見たのかな?」
じゃないのか?」
「私もそう思ったけどうーん・・・。即効性の薬だって書いてあるけどもしかしてこれ、偽物?」
「犬や猫はただの発情期、一之瀬はいつものことだと考えればその線が一番高いな。ふっ、半田が身をもって証明してくれたということか」
「せっかく用意したのにごめんねお兄ちゃん・・・」
「謝らないでくれ。俺の方こそ、いつまでも不甲斐ない兄ですまない」



 副作用とかないのかな。
どうせただの水だろうし、水に副作用はない。
鬼道と春奈は己が浅はかな所業を反省すると、それきり偽惚れ薬の存在を頭から消し去った。


































 いちゃつくなら余所でやっていただきたい。
半田とは箸に突き刺したおかずを口に突っ込んだまま、向かいの席で繰り広げられている痴態を眺めていた。
秋が困っている。
困っているから助けてやりたいが、今手を出すと魔術師に焼き鳥にされそうなので何もできない。
近いよ一之瀬くんご飯食べられない、じゃあ俺が食べさせてあげるほらあーんして。
もう一度言おう。
いちゃつくなら余所で2人きりでやってくれ。
しれっとクラスに紛れ込んでくれるな。
は半田と目配せを交わすと、ほとんど同時に弁当を手に立ち上がった。




「えっ、ちゃんたちどこ行くの!?」
「いやあ、見るからにわたしらお邪魔虫なんでお暇しようかと。ねぇ半田」
「そうそう。俺たちどっか行くからさ、この席使っていいからもう少し離れてやれ一之瀬」
「お気遣いありがとう半田、埋め合わせは今度するよ!」
「それはどうも。行くぞ、この時間なら裏庭空いてる」
「おう」




 半田に促され、弁当を抱え裏庭へと向かう。
わいわいと賑やかにごった返す校庭を横切り校舎の裏へ来ると、半田は倉庫の隅のベンチを引っ張り出し花壇の前へと設置した。
半田にしてはよくできた行動力だ。
はベンチに座ると、お礼にデザートの苺を突き出した。




「え、何?」
「珍しく気の利いた半田にご褒美、はいあーん」
「弁当箱に入れろよ」
「もう突き刺しちゃったもん。穴が開いた苺ってちょっと可愛くない」
「味は一緒だろ」
「いいや、私みたいな可愛い子が食べさせたげる方が感覚的には3倍美味しい」
「良くて3割増しだっての」




 まだおかず残ってるのにとぼやきながらも苺を食べた半田に、にっこりと笑いかける。
よく笑うよなと改まって言われそうかなと答えると、いつも笑ってると返される。
笑っているのは今が楽しいからだ。
愛想笑いができるほど器用な人間ではないから、笑いたい時にしか笑えない。
半田と一緒にいるの楽しいからだよと冗談めかして答えると、存外真剣な声で本当かと訊き返される。
は大きく頷くと、自らも苺を食べながらもしゃもしゃと口を開いた。




「半田と一緒にいると変に気合い入れなくていいからすごく楽だし楽しいよ。落ち着く」
「そっか。そうだったら俺、すっげぇ嬉しい」
「おうよ、喜べ喜べ。私にこまで褒めてもらえる人世界中探してもそういないしレアだよ、半田」
「そう言われるとなんだか俺、の特別みたいだな」
「特別特別! なんてったって半田だもん、とっくべつに決まってんじゃん!」
・・・! 俺ものこと、他の奴らとは違う特別な奴だって思ってる」
「お揃いじゃん! なんなら今度ペアストラップでも買ってみる? 携帯には付けらんないけど鞄付けるよ、私!」
「物はいらない。俺は、と同じ思い共有できてるだけで充分嬉しいし幸せだ」




 と名を呼ばれ、なぁにと答え半田を見つめる。
いつも見慣れているぱっとしない顔のはずなのに、今日の半田は少しだけきらきらと輝いて見える。
どうしたんだろう半田。
今日の半田はなんだかちょっぴりイケメンだ。
イケメンだと認識したと同時にドキドキしてきた。
まずい、相手は半田だとわかっているのにやたらと心臓がうるさい。
突然反旗を翻した心臓に落ち着けとバケツリレーで冷水を注入していると、またと呼ばれ冷めかけていた胸がまた熱くなる。
駄目だ、バケツリレーじゃ間に合わない。
ポンプ車の応援を要請する。




「は、半田・・・?」
。俺、がどんな滅茶苦茶ばっかやっててものこと嫌いになれない。だってお前、滅茶苦茶の中にも一本曲がらず通ってる芯あるもんな。
 俺はそういうが好きで、ずっと見てたいって思う。見てていいか?」
「い、いいとも・・・?」
「ありがとう! 俺、すごく、すっげぇ嬉しい!」
「ふお!?」




 心臓が爆発する。爆発して溶ける。
ドロドロに溶けて、半田に吸い取られる。
は非常用バッテリーのみで辛うじて働いている頭の片隅で現状を懸命に把握しようとしていた。
何がどうなったのかわからないが、半田に抱き締められている。
あれ? 半田の特別ってこういう意味だっけ?
まあもうどうでもいいや。
半田といると楽しいというのは事実だし、この流れには身を任せても一向に問題ない気がする。
半田ってこんなにイケメンだったのか、盲点だったなあ。
おかしくなってきてふふふと笑うと、今は笑うとこじゃないだろと叱られる。
こうやって間髪入れずにお小言を言ってくるのも半田らしいところだ。





「俺、あいつらみたいにイケメンでもないし頭も良くないしサッカーもすげぇ上手いわけじゃないし地味だけどさ、が好きってのだけは誰にも負けないから」
「うわあ・・・、それ超ときめくー・・・」
「そうか? なーんかやっとに勝った気分だ」
「俺は今日でお前に負けたと思ったのは通算29度目だ。春奈、を隔離! 半田を狙い撃つ!」
「へ!?」




 はぁいさんはこっちですよぅと春奈にめりめりと半田から引き剥がされる。
鬼道が手にしていたホースのスイッチをオンにすると、凄まじい水圧の攻撃が半田の後頭部に直撃する。
ぎゃあああ冷てぇぇと叫び地面をのた打ち回る半田がさすがに心配になり、春奈の手を振り解き彼の元へ駆け寄る。
大丈夫半田、鬼道くんどうしたの急な水鉄砲と声を張り上げると、鬼道がホースを手放しこちらへやって来る。




「間に合って良かった。何もされていないか、
「うん、ハグくらいだけど半田!? えっ、どうしたのマジで!」
「危ないところだった。・・・半田は惚れ薬に惑わされていたんだ」
「惚れ薬? なんでそんなもん半田が持ってんのよ」
「いってぇー・・・・・・。おい鬼道、おまっ、人の頭ぶち抜く気か!?」
「それでも構わないとは思った。・・・半田、のことは好きか?」
「は? まあ好きっちゃ好きだけど、鬼道が思ってるような好きじゃない」
「・・・そうか。惚れ薬・・・、いや、惚れ香水の効力は切れたようだな」




 惚れ香水と聞き、半田ははっとしてポケットの中をひっくり返した。
これか。これが俺に何かをさせていたのか。
何をしていたのかよく思い出せないが、もしかしなくてもに対して何かやってしまったのだろうか。
制裁が怖いが、逃げ場はどこにもないので覚悟を決めてを仰ぎ見る。
あ、何のことかさっぱりわかってない顔してる。
良かった、最悪の事態は免れたようだ。
半田はひっそりと胸を撫で下ろした。




「・・・さっきまでの半田、超イケメンだった・・・」
「いつもイケメンじゃなくて悪かったな。それよりも鬼道、俺の制服びしょ濡れなんだけどどうしてくれんのこれ」
「ジャージで受ければいいだろう。それに今日は週末だ」
「おま・・・っ、学ラン洗濯すんの手間かかるんだぞ!」




 水も滴るいい男状態で鬼道に詰め寄っている半田を見つめる。
先程までのあれは何だったのだろうか。
夢か幻覚でも見ていたのだろうか。
だが、夢にしては誰かに抱き締められていたという感覚と温もりがまだ体に残っている。
ドキドキしたなあ、王子様みたいだったなあ。
は脱ぎ散らかした学ランを手に取ると、ぎゅうと絞り水を花壇へと振り撒いた。






「へえ? これ半田の? つけてみよ」「やめろ風丸、それは禁断の「あ! おーいー!」




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