暗い部屋と黒い腹




 ここは家の別邸か何かだろうか。
豪炎寺は遠慮なく使われ続けている浴室へと視線を移し、ため息をついた。
試合観戦で出かける前日は待ち合わせなどの煩雑さから解放されるために自宅へを連れ込んでいるが、それにしてもマイペースすぎる。
呼んだのはこちらで向こうは客人なのだから、もてなすのはまあ当然といえば当然だ。
しかし、もう少し客という立場を理解してもらえないだろうか。
客らしくしていればきちんともてなすのだ。
夕飯の支度だって全部やってもいい。
そうする気が失せるのはすべて、何事も好き勝手にするのせいだ。
この間などは1時間ほど風呂から上がってこなくて心配して様子を見に行ったら、人の家の風呂を泡だらけのバブルバスにして楽しんでいた。
入浴剤では飽き足らずバブルバス。
自宅の風呂だけでやってもらいたい。




「うわ!」
「・・・?」




 リモコンも何も押していないのに、急にテレビの電源が切れ照明が消える。
リビングだけではない。
廊下の足元灯も暗くなっているし、外も真っ暗だ。
雷門町から光が消えてしまった。
テレビの電源を再度入れてみるが、何の反応もない。
ブレーカーが落ちるほど電力を使った覚えもないし、これは停電というやつだろうか。
懐中電灯を手探りで見つけた豪炎寺は、悲鳴が聞こえた浴室へと直行した。
足を滑らせて転んでいたら大変だ。
それで頭でもぶつけてしまったらもっと大変だ。
これ以上頭がおかしくなってしまったら、本当に手のつけられない馬鹿になる。




、大じょ「ちょ・・・っ、それ! 電気消して早く!」・・・!?」




 てっきりまだ浴室にいると思い懐中電灯を片手に勢い良く脱衣所のドアを開けると、ぎょっとした顔のと出くわす。
着替えていた途中なのか、中途半端に羽織っていた寝巻きから覗く肌が懐中電灯の淡い光に照らされやたらと艶かしく見える。
風呂上がりだからなのか羞恥心からか、ほんのりと赤く染まった顔もいつも見ないもので新鮮だ。
電気を消せと言われて優に5秒間、豪炎寺は電灯を消すことなく固まっていた。




「修也! 電気消せって言ったの聞こえないの!?」
「いや、聞こえている」
「じゃあなんで消さないの!」
「・・・もう着替えてるだろう」
「修也がぼさっとしてる間に着替えたんです!」




 手早く洗面道具類を片付けるを見守る。
暗くて足元が覚束ないをリビングまで誘導すると、は豪炎寺に詰め寄った。



「・・・見た?」
「忘れる。悪かった、すまない」
「ちゃーんと忘れられる? 修也、たっぷり5秒はガン見してたでしょ」
「減るものじゃないしいいだろう別に。・・・見せて悪い体でもなかったし」
「忘れる気ないでしょ、変なことに使ったら承知しないからね!?」
「そこまで飢えてない。飢えてるんだったらあの場で襲うかそもそもここに連れて来ない」
「その開き直り方が潔すぎて怖いよ修也。頭の中もショートしちゃったんじゃない?」




 心配されているのか馬鹿にされているのかわからないが、とりあえず怒りは鎮めてくれたらしい。
真っ暗な室内にようやく気付いたのか、停電だと理解する。
どういうことなのと尋ねてくるに、豪炎寺は極めて適当に説明することにした。
電力会社の社員でも技術者でもないこちらに尋ねてこられても、説明すること事態が無理なのだ。



「難しいことは俺にもよくわからないが、明日には復旧してるだろう」
「じゃあしばらくこのまま真っ暗かー。・・・げ、冷凍庫のアイス溶けちゃう」
「俺はアイスよりも明日の弁当の材料の方が心配だ」
「そうじゃん! どうするよ、唐揚げ作れなくなったら。唐揚げないお弁当なんて風丸くんいない雷門中じゃん」
「下ごしらえもできなくなったな・・・。明日は早起きするか」
「えーやだー」
「仕方がないだろう。もう今日は寝るぞ、テレビも観れないしな」




 ぶつぶつと文句を言いながら立ち上がったが、あいたと痛そうな声を上げる。
テーブルかソファーにぶつけたのか、うずくまっている。
暗闇の中むやみに動くなと叱りつけると、寝るなら部屋行かなきゃいけないでしょと至極もっともな返事が返ってくる。
しかしふらふらした状態のを1人にさせるのは心配だ。




「あいたたたたた・・・。修也、電気」
「電池が切れて点かなくなった。そういえばこの間肝試しで使ったからな・・・」
「持ち主ともども使えないよもう! サッカーボールないけどエアーファイアトルネードして部屋に明かり点けたらいっそ」
「家が燃えるだろう。動くなよ、今そっち行くから・・・」
「修也、それソファーじゃなくて私の肩」
「なんでそういう紛らわしいとこにいるんだ。・・・あ」





 暗闇というのは案外緊張する空間らしく、知らないうちに無駄に力を加えたりするらしい。
右手が触れたソファー、もといの肩を思った以上の力で押さえつける。
足元でぎゃあと色気の欠片もない叫び声が聞こえ、豪炎寺は慌ててを抱き支えるべく腕を伸ばした。
今彼女がどうしているのかはわからないが、押してしまったのできっと床に転がっている。
床に頭が直撃したら大変だ。
手探りしながら動くと、何かに足が引っかかる。
誰だ、こんな所に大きな荷物を置いたのは。
つまずいて転んでしまったではないか。
怪我をしなかったからいいが、悪戯をするにも程がある。




、どうしてこんな場所に荷物なんて置くんだ。床に置かずにテーブルの上に置けといつも言っているだろう」
「荷物ですみませんでしたね。人を勝手に押し倒した挙句勝手に人の足につまずいて、その言い方はないんじゃない?」
「・・・・・・」
「今日の修也が大胆だってことはよーくわかった。怒らないであげるから大人しく退け」
「もう怒ってるだろう。俺の下にいるのか?」
「いるいる。すっごく可愛い女の子が1人」




 豪炎寺の脳裏に数十分前のうっかり見てしまった光景が甦った。
まずい、何かがまずい、非常にまずい。
そういえば、寝巻きの下はやたらと無防備だった気がする。
胸がないわけでもないのにつけていないのは、もしかして誘っていたのか。
据え膳になっているのか。まな板の上の鯉なのか。
鯉というよりもピラニアの方がぴったりくるが、今は大喜利をやっている場合ではない。
暗闇に目が慣れてきたのか、徐々に状態が見えてくる。
相変わらずぶすくれた表情を浮かべているの髪にそっと触れる。
完全に乾いていないしっとりとした髪が指に絡みつく。




「そこ、遊んでないで早く退く!」




 誘ってはいなかったようで、少しほっとする。
手を払いのけようと伸ばされたの腕をなんとなく掴んでみると、苛々とした表情に少しだけ困惑の色が走る。
いつでもどこでも傲岸不遜なを困らせている。
豪炎寺の中にぴょこりと嗜虐心が芽生えた。




「私はだいぶ夜目がきいてきたんだけど、修也まだ見えないの?」
「ああ」
「・・・そ。あのね、今修也は右手で私の髪弄って、左手は私の腕を床に押さえつけてるからとりあえず退け」
「こうか?」
「右手が今度はほっぺに当たってるから、体ごと退いて。そしたらわかるから」
「わかった」




 退くと見せかけてごくごく自然に腰に指を這わせてみると、の体が急にびくりと跳ねる。
楽しい。暗闇でもわかるくらいに焦っているを見て、反応を確かめるように手を動かすのが楽しくてたまらない。
の方はまだこちらは夜目がきいていないと思い込んでいるようだし、だとしたらここぞとばかりに責め抜くしかない。
今度は腹とか触ってもいいだろうか。
大丈夫、理性には自信がある。




「退いてないよ修也。ねえ、ほんとにまだ見えないの?」
「見えないな・・・。俺が今、何に触っているかもわからない。これは何だ?」
「み、耳・・・と、腰・・・・・・。えっと、そのまま後ろに下がってくれる?」
「暗闇の中下手に動いて足を痛めたらどうするんだ」
「それもそっか。ていうかさ、私そろそろ寝たいんだけど・・・」
「もう寝転がってるんじゃないのか?」
「どっかの誰かのせいで起き上がれないもん。ほ、ほら! 明日は早起きしなきゃだし・・・」
「まだ10時前だろう。食べてすぐ寝ると太るぞ」




 の首がぐるりと動き、時計へと向く。
目の前に現れた耳に息を吹きかけると、また体が跳ねる。
押しには弱いと知っていたが、押されてここまで無防備になると逆に心配だ。
本気を出すところりと落ちそうだ。
現に今も、声を堪えているのか必死に口に手を当てているし。




「・・・ねえ、修也」
「何だ?」
「ほんっとうに見えてない?」
「見えないな」
「じゃあ、なんでさっき、まだ10時前だってわかったわけ? 時計はあそこにあるんだけどなー」




 の腕が豪炎寺の顔へと伸び、ぐいと強引に時計へと向かせられる。
しまった、墓穴を掘った。
光ってもいないただの壁時計で時間を確かめるのは、相当に夜目がきいた状態でないとできない芸当だった。
豪炎寺の下で修也くんと呼ぶ静かな声が聞こえる。
こういう時無視はしてはいけないのだろうが、ここはあえて無視を決め込んでもいいだろうか。
事の真相がばれたら厄介なことこの上ない。




「いつから見えてたのかな? うん?」
「・・・・・・」
「まさか、最初っから見えてたなぁんてことないよねえ」
「・・・・・・」
「沈黙は肯定と受け取り「、腰を撫でながら耳に息吹きかけたらどうなると思う?」
「どっ、どうもならないやめてマジやめ・・・!」
「この調子だとたぶん背中もいけそうなんだが、やってみるか?」
「言いながら人を勝手に抱き起こさないで! やだちょっ、待って・・・っ!」




 すすすと背筋を撫で上げると、腕の中のがひっと悲鳴を上げる。
なんとも可愛げのない叫び声だが、妙に艶かしい嬌声を上げられてもそれはそれで困るのでそのくらいが妥当なのかもしれない。
さすがにこの頃になると、少しやりすぎた感も出てきた。
必死に耐えているにもう一押ししたい気分も大いにあるが。




「修也が壊れた・・・」
「退いてほしかったならが俺の下からいなくなれば良かったんだ」
「退いたら本気で捕食されるかと思ったんだもん」
「するわけないだろう。するつもりだったら風呂場で襲ってるか今頃・・・」
「またそれ! 私が可愛すぎるのもいけないんだろうけど、修也ももうちょっと自分を大切にしないといつか私に刺されるよ」
「接近戦は手加減をしてやってもいつも俺が全戦全勝だということを忘れたのか」
「む・・・。・・・で、でもっ、私には夕香ちゃんに悪口吹き込むというファイナルウェポンが・・・」
「夕香に、俺に押し倒されたとか言うのか? 夕香経由で父さんの耳に入って、俺が責任取ることになるぞ。最悪、は俺の嫁だ」
「さっ、最悪ってことないでしょ!? こんなに気立てが良くて可愛い子、世界中探しても2,3人くらいしかいないよ! あ、そのうちの1人は秋ちゃんね」




 暗闇の中対峙していると、急に部屋が明るくなる。
電気が復旧したらしく、余所の家にも明かりが点いている。
豪炎寺はソファーに常備してあるブランケットをに肩にかけると、無言で立ち上がった。
今更だが、湯冷めしそうなこちらの身を案じてくれたのだろうか。
そうならそうと口に出して言えばいいものを。
少し怒りすぎたかもしれないとちょっぴり後悔したは、自らの姿を見て後悔したことを大いに後悔した。
ボタンの半分が外れている。
着替えた時はきちんと全部留めたのにやっぱりあの男、最初から見えていやがった。
そうでなければボタンを器用に外すなどできるわけがない。
冷めた顔をして何をやってくれたのだ。
どこまで見たのだ、奴は。




「修也! ちょっとそこに直りなさい!」
「断る。ああ・・・、明日は6時だ、忘れるな」
「修也!」




 次来る時は前開きではなくて、ボタンがない寝巻きにしてやる。
それでもって、スタンガンか何かを常に忍ばせておこう。
はクッションを手に取ると、勢い良く豪炎寺の後頭部へと投げつけた。






何が好きかって、書いてる私がドS鬼畜入ってる王子様が好きなだけなのだ




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