笑う女神と嗤う神




 自慢ではないが、不審者やそれに準じる人々と遭遇する確率は他の人たちよりもかなり高いと自負している。
それもこれもすべて人よりも2倍か3倍可愛いばかりに人混みの中で目立ってしまうゆえなのだが、可愛く生んで育ててもらったことには感謝しかないし、
なによりも先天的なものだから仕方がないと割り切ってもいる。
は15分前からずっと駅の看板の前で佇んだままの少年を、隣でじいと観察していた。
地図をずっと見ているようだが、目的地がわからないのだろうか。
この辺りに観光客が好むようなスポットはないはずだが、もしかしてそもそも降りる駅を間違えてしまったのだろうか。
哀れな子だ、中学生にもなって文字が読めないなんて。
いや待て、ひょっとしてひょっとしたらこの子、実は日本語が必要ない国からやって来た、いかにも読めそうな顔してるけど実はわからない人なのかもしれない。
いつぞやの一之瀬も確か同じように迷子になっていた。
彼もアメリカ暮らしが長かったせいか、今も日本語があまり得意ではない。
こちらが優しいからエキセントリックだピーキーだと言われても秋の顔を立て怒らないでいてあげているが、彼が何の後ろ盾も守護女神もいないただのサッカー少年なら、幼なじみに燃やさせていた。
日本語が読めないのなら迷って当然だ、ここはひとつ助けてあげよう。
があのうと声をかけようとした直前、隣の少年がおいと口を開いた。




「さっきから人をガン見しやがって何だあんた」
「あ、喋った。しかも日本語」
「隣からずっと睨まれてて黙ってられるか。あんた誰だ、俺を睨んで何の用だ」
「睨んでないよ、この人なんでずっとここにいるんだろうって気になったから見てただけ。
 で、もしかして日本語使えない迷子なら助けてあげようかなってスタンバイまでしてあげてたのになぁにその言い方。それじゃ私が変な人みたいじゃん」
「充分すぎるくらい変な奴だよ。・・・それよりもちょっと教えてほしいことがあるんだけど」
「アドレス教えてとかそういうのは無理。どうしてもってなら修也通して、でないと修也超うるさいから」
「んなもんいらねぇよ! あー・・・、その、帝国学園ってどうやって行くんだ?」
「ほうら、やっぱり迷子だった。ほうら、やっぱり私スタンバイしてて良かったじゃーん」
「いいからどこにあるのか言え! 西か、東か、駅向こうか!」
「ぶっぶー外れ。しょうがない、この超絶優しい様が連れて行ってあげる」




 帝国はねー、入口のチェック超厳しいから私が助太刀してあげる!
そう言うや否やおもむろに腕をつかみおそらくは目的地へぐいぐい引っ張り始めた正体不明の不審者女に、帝国学園サッカー部新入部員不動明王は慌てて待てと叫んだ。
こちらも相手も確かに同じ言語を話しているはずなのに、何もかもわからない。
発した言葉が彼女の耳に届く前に空気中の酸素と融合して化学変化でも起こしてしまったのか、凄まじい超変換されて返ってくる。
彼女は本当に帝国へ連れて行ってくれるのだろうか。
そもそも彼女は人間なのだろうか。
もしかしたら彼女の姿は実は他の誰にも見えていない駅に棲む地縛霊で、駅に毎日足を運ぶサラリーマンたちの負のオーラを大量摂取して元々あったはずの知能が溶け出し、
悪霊に足を突っ込みかけたやばいものなのではないか。
帝国に行く前に尾刈斗中へ向かうべきだったかもしれない。
いやでもこの子、駅から離れても一応動けるし腕も体も透けてないし、ということはもっと邪念の強いボス級かもしれない。
不動はリュックサックの中の交通安全のお守りに、強く自らの無事を祈った。










































 帝国学園へ来るのは3度目だ。
いつ訪れてもろくなことはなかったが、今日は1人ではないからきっと上手くいくはずだ。
連れてきた少年は髪型こそ妙だが、おそらくは髪型だけの問題だと思う。
地図が読めなくとも人生特別困ることはないし、妙な髪型で将来禿げてもそれは自己責任だ。
は校門の入口の守衛ににこりと微笑むと、少年の手をつかんだまま歩を進めた。
待ちなさいと制止を求められるが、聞こえない。
後ろで少年がおいとかお前とか喚いているが、やはりたぶん聞こえない。
は目の前に立ちはだかった守衛を見上げると、だめなのと尋ねた。




「帝国に観光に来た珍しい人を連れて来てあげたんだけど、だめ?」
「入館許可証を見せなさい」
「それがないとだめなの?」
「・・・他校の生徒がむやみに当校に入ると要らぬ事件の元です。君たちを守るためでもあるんだから、大人しく帰りなさい」




 話の通じない頭の固い男だ、面白くない。
は少年を顧みると、えええと声を上げた。
学生証を持っている。
昔鬼道が道端に落としていたものと同じカードタイプの学生証が、彼の手の中で光り輝いている。
自分の学校なのに場所を覚えられないなんて、どれだけ頭が弱い子なのだ。
そんな頭でエリート校に通うなんて、なんて人生歩んでいるのだ。
はそそくさと学生証を仕舞い校内へと進み始めた少年の後を慌てて追いかけた。
同伴者がいるおかげで門前払いはされなかったが、生徒なのであればもっと早く言ってほしかった。
無駄な手間がかかったことを詰ると、少年は存外素直に悪いと答えた。





「あんた、もしかしたら俺以外の奴には見えてない類のもんかと思ってた。さすがのあんたも人間まではやめてなかったんだな」
「え? 私が人間離れした可愛さだからマジ女神みたいだってこと?」
「・・・そうだな、あんたがいいならもうそれでいいよ。で、なんでついてきてる」
「せっかくだからお邪魔しようかなあって。帝国に知り合いいて、どうせだから紹介したげる」





 学校までの道のりは覚えていないが校内はわかっているらしい。
迷うことなくずんずん進む少年に続き、ホールに入る。
見覚えのある濃い緑色のユニフォームを着た集団に、はサッカー部だあと歓声を上げた。
ホール内にはまだ知り合い(未満)の人々はいないが、見ず知らずの少年にも女神のような美しさと称賛された可愛さだ。
一度見て忘れられる顔に生まれた覚えはない。
は私服のままサッカー部の集団と離れて座る少年の隣に腰かけると、おそらくこれからやって来るのであろうイケメンズの紹介を始めた。





「帝国にはイケメンがいてね、しかもサッカーも超巧いの! ていうかお宅もサッカー部だったの?
 帝国のサッカー部にいて私知らないって相当のもぐりか、さてはフットボールフロンティア地区予選休んだでしょ」
「あんた試合で何やらかしたんだよ」
「総帥っていうロリコンに拉致監禁されて逃げたら鉄骨の下敷きになった」
「おい、あんた本当に生きてんだろうな! やっぱ実は死んでるとかないよな!?」
「いたっ、痛い肩揺さぶるのやめて! 下敷きになったと思ったんだけど、鬼道くんと修也が助けてくれてほぼ無傷だったよ」




 周囲からあの時のとか、例の鬼彼女だといった不穏なざわめきが広がる。
鬼彼女って何だ、彼女の話にちらほら出てくる修也っていう奴とどこまでやればそのおぞましい通り名をほしいままにできるのだ。
大体彼女も彼女だ。
今もそうだが、名前も知らず訊こうともせず見知らぬ男にほいほいくっついて行って、危機管理能力がないのか。
そんな目に遭った帝国に来てトラウマ的なものを感じたりしないのか。
不動は隣で足をぶらぶらさせている通称鬼彼女の鬼には程遠い案外整った横顔を見つめ、はあとため息をついた。





「・・・あんた、そろそろな「あ、佐久間くんと源田くんだー!」




 そろそろ名前のひとつでも訊いてみようかなと口を開いた直後、目的の人物を見つけたらしい鬼彼女がぱあと表情を明るくする。
鬼彼女が喜んだ相手が自分にとっては決して相容れそうにない人々だと瞬時に悟った不動は、ひとまず連れの存在を忘れると源田と佐久間へ向けて不遜な笑みを向けた。
一度は敗北した奴がチームを率い、それに従うなどやっていられない。
例外的にあの天下の帝国からスカウトされたこの自分が、目の前の連中に後れを取るわけがない。
不動はあっさりと挑発に乗った佐久間に追い打ちをかけた。




「甘っちょろい気持ちでサッカーやってる奴らが仲間だなんだとべたべたしてんのを見ると反吐が出る」
「やめないか、不動!」
「へっ! 正直なんで油断してると本音が出るんでね」




 鬼道が去り、頭脳の要を失った帝国を蹂躙するのは驚くほどに簡単だ。
すぐに激昂する者、言い返せない者、間に入ってすら来ない軟弱者。
仲間だと繋がっているように見えても、自らに火の粉がかかるかもしれないと思うと人は他人のために動くことを躊躇する。
歯応えがなさ過ぎて面白くない。
これが帝国か。
そう吐き捨てた不動は、ちょんちょんと脇腹をつつかれああと凄んでみせた。




「俺に楯突こうなんざいい度胸じゃねぇか・・・ってあんたか。何だよ、今取り込み中なんだよ」
「それはわかるけどさあ、もーうちょっと言い方ってもんがあるんじゃない? 見なよみんなを。突然現れた髪が半分もげてる不良に超引いてるよ。
 たぶんみんな、引くことにいっぱいいっぱいで話の中身入ってきてない」
「それまでの奴らってことだろ」
「えー、そんなことないと思うけどなあー」
「やけにあっちの肩持つじゃん。さてはあんた、帝国に好きな男でもいるな。修也だっけ? どれだよ、ほら」
「ば、やめろ不動! 彼女を愚弄するな!」
「何だよ焼き餅か? 小せぇ男だ・・・って! てめぇ何すんだよ!」
「ごっめーん、私正直だから油断してる奴見るとすぐに手が出ちゃってえー。私も別に修也のことそうでも好きじゃないけど馬鹿にされると超むかつく、ぶつわよ」






 言う前に手を上げるのは、さすがにどうかと思う。
余計なことばっかり言うお口はこのお口ですかあと、張り手を飛ばした直後ににこにこ笑顔で両の頬をつねる目の前の少女は確かに鬼彼女だ。
やめろと口を動かしたいが、その口を弄ばれているので訴えることもできない。
口もなかなかに悪い女だとは思っていたが、手癖まで最悪だとは思わなかった。
ろくでもない女に捕まった。
初めに話しかけたのが自分だったという事実を都合良く忘れた不動は、背後で響き渡る機械音に気付くのに周囲よりも優に5秒は遅れていた。






「あ、え・・・、嘘マジで・・・?」




 先程までの威勢はどこへやら、頬から手を離しじりりと後退する鬼の異変に壇上を顧みる。
見るのは初めてだが、その姿は知っている。
帝国学園サッカー部元監督にして現在服役中のはずの影山が、なぜだか目の前で不敵な笑みを浮かべている。
『総帥っていうロリコンに拉致監禁されてた』。
そうさらりと口にしていたが、鬼もさすがに心は人間のそれなのだろう。
不動は反射的に鬼彼女を背に隠すと、影山を睨みつけた。
彼女が襲われる理由は、彼女が何者であるのか名前も知らない不動には知る由もない。
しかし影山が狙うほどの何かがあるから彼女は現実に被害に遭い、そして今はおそらく怯えているのだ。
なんでまた出てきたのよまさか脱獄とかしたんじゃないでしょうね、どうなってんの国家権力と小声で唸っているのは憤怒からではなく、
怯えている自分自身を奮い立たせるための魔法の言葉に決まっている。
影山はホールを悠然と見回すと、ゆっくりと口を開いた。





「私は政府が考案するアレス更生プログラムの実験対象に志願した。その結果短期間に刑期を終え、帝国学園の監督に再就任した」
「俺たちはあんたに従わないと決めた!」
「ほう、そんなことを言っていられるか? 私は大会に出るすべてのチームを分析した。私は帝国学園を勝たせるために帰ってきたのだ。再び帝国はサッカー界に君臨する。私の指示通りに動けばな」
「うっわ、相変わらず狂ってる。更生失敗してんじゃん」
「無論、私は君も来るというのであれば歓迎しよう。まさか自らここを訪れようとは、やはり女神は見る目があるということか」
「違うもん。私はお宅の選手をここまでエスコートしてきただけだから勝手に都合良く解釈しないでくれる? あと出所したんだからもう私をどうこうするの禁止!」
「その件については罪に問われてはいないので、約束はしかねる」
「はあ!? ちょっとふざけないでよ!」
「静かに!」





 聞き覚えのある、しかも大好きな声に体がぴたりと止まる。
ステージの隅から早足で現れた見慣れた姿に、はきゃああと叫んだ。
理由もわからないだろうに止めに入っていた不動を押しのけ、風丸に駆け寄る。
風丸ならわかってくれる。
今の理不尽な状況も影山の犯罪宣言もすべて、風丸の登場へどこかへ飛んでいった気がする。
風丸くんと叫びと、風丸は足を止めの前でしゃがみ込んだ。






「風丸くん!」

「あのね風丸くん!」
。今日は俺の話から聞いてくれる?」
「もちろん!」
、俺は今から総帥と帝国のチームと大事なミーティングをするんだ。だからは帰ってほしい」
「へ・・・? えっ、でも風丸くんなんで帝国? そのユニフォームなぁに? 似合ってるし背も伸びてますますかっこよくなってるけど、なんだか変だよ・・・?」
がそう思うなら、そうかもしれないな」




 風丸の手がの頭に伸ばされる。
いつものように撫でてくれる。
そう思いどきどきするが、いつまでも撫で撫でが訪れない。
風丸は小さく首を横に振ると、何事もなかったように手を戻し立ち上がった。





「え・・・風丸くん・・・? え・・・っ? なんで?」
「今の俺は強化委員として監督をサポートしている。わかってくれ。これが今の雷門の、俺たちの任務だ」





 風丸の言うことに逆らうような教育は受けていないし、教えを破るような悪い子でもないから従ってしまう。
はもう目も合わせてくれなかった風丸をじいと見つめると、言われたとおり出口へと歩き始めた。
ようやく人並みに気を遣うつもりになったのか、不動は心配そうな顔で声をかけてくる。
は不動をちらりと見ると、彼の耳元に口を近付けた。





「私、雷門中の。いーい、風丸くんに何かあったら、いや、何もなくても私に言って。もしあのロリコンが風丸くんに何かしようもんなら私、鬼にも悪魔にもなるから」
「いや、あんた今の時点でもうそっちだぜ」
「ああ? 口の利き方には気を付けた方がいいわよ。その髪もぐか、ぶつわよ」





 いったいどこのどいつだ、風丸を強化委員とかいう妙な肩書きで影山の元に送り込んだドアホは。
は帝国学園の校門前で、いーっと顔をしかめてみせた。







「鬼彼女サンの鬼彼氏ってもしかしてアイツ?」「そう。ただし付き合ってない」「と、本人たちが言い張ってるだけだけど見たらわかる」




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