話題のお部屋へご案内
下駄箱でおはようと挨拶を交わし、並んで歩きながら教室へと向かっていた。
サッカー部が甘ったれたこと言わないのと軽やかにステップを刻んでいたに叱咤激励され、どうにか朝の階段ダッシュという名の鍛錬もクリアした。
そしてようやく教室。
ほんの少し軋んだ引き戸を確かに引いた。
扉を開け放った直後にがおはようと声を上げ、いつもどおりの日常が始まると思った。
始まらなかったのだ。
半田は、と一緒に踏み込んだ教室ではない真っ白な世界に首を傾げた。
「いや、おかしくね?」
「えー、教室じゃなくない? みんなは?」
「窓もない、黒板もない、椅子も机もどこにもない。ついでに薄汚れた引き戸も変わってる」
おかしいなと口では言いながら、実は心当たりがないわけではない。
これはあれだ、最近よく見るあの部屋だ。
半田は首を捻り続けているに見つからないように、慌てて部屋に落ちているであろう紙切れ又は看板の類を探した。
できれば刺激が弱く、低反発のお題がいい。
こちらは現役中学生だ、対応できるテーマには倫理上限りがある。
半田はようやく見つけた紙切れに手を伸ばした。
何やってんの、スカート覗き?
頭上からの胡乱げな声が降ってくる。
半田はの表情と体勢を見て頭を抱えた。
何もない部屋にぽつんとあるベッド、夜を徹しての作業が必要だから気を利かせての仕様などではないはずだ。
一から十まで各媒体で聞きかじった設定とまるきり同じで、まるで自分が漫画の世界の主人公ではないかと錯覚しそうになる。
『転生したら可愛い同級生とラッキースケベな展開になる属性を持った主人公でした』みたいな世界へ瞬間移動しまったのかもしれない。
死んだつもりは微塵もないが。
「なぁんか半田全然困ってなさそうだけど、もしかして半田何かした?」
「いや? ただちょっと」
「ちょっと何よ、宇宙人の仕業じゃないってこと?」
「そうやって何でもかんでも宇宙人のせいにするのやめろよ。宇宙人は免罪符は売ってねぇって」
「わっかんないよ~? 宇宙人が宇宙人なら外貨獲得のために経済活動くらいするかもしれない」
「って急に頭良さそうなこと言うよな・・・。豪炎寺がいる時に言えば豪炎寺も泣いて喜ぶのに・・・」
ベッドに腰掛けたまま動こうとしないの体を器用に避け、落ちている紙を拾い上げる。
えーとなになに、中身は?
こそこそと隠れて読んでいる姿が不審に見えたのだろう、がぐいと顔を近付ける。
うわあ近い、こいつ今日から近視かな?
周りが全て白くて色があるものが自分と以外何もないためか、のありのままの可愛らしさが更に際立つ。
すっかり慣れたはずの観賞用の顔が、場所の特殊性も相俟って通常の5倍ほど輝いて見える。
どんなテーマにも誠心誠意頑張って取り組んでしまいそうだ。
半田は真横にあるの顔から意識を逸らすと、紙を覗き込んだ。
「キス? 何これ。半田、説明」
「俺とお前がここに書いてあることやったら部屋から出られる、みたいな?」
「ほんとに? やって出れなかったら半田が得するだけじゃない?」
「自分からのキスをご褒美だって当たり前に思ってるの感覚がすごいよ」
「私を誰だと思ってんの? 様よ。んで、どこにすればいいの? あ、半田からする? どこにしたい?」
「え、どこでもいいのか?」
「ごめんね、言い方が悪かった。半田はどこならできるの?」
「なあ、お前マジで今すぐ俺に心込めて謝って」
なけなしの勇気が、木っ端微塵に踵落としされた。
見た目だけなら可愛らしいをリードしてやろうと鼻息荒く意気込んでいたのに、はどんな部屋に放り込まれようとだ。
さすがは誘拐経験が豊富なだけある。
はうーんと可愛らしく唸りながら首を傾げると、おもむろに靴下を脱いだ。
すいと、目の前に右足が突き出される。
どうやらベッドから降りるつもりはさらさらないらしい。
そんなに座り心地がいいのなら隣に座ってみたいが、座ったら何かを越えてしまいそうな気がするので腰が引ける。
太めの理性を持っていることには感謝してほしい。
「・・・何これ」
「いやあ、さすがに私もこんなよくわかんない場所で出血大サービスはしたくないから手か足か・・・。ほっぺは半田、できないでしょ?」
「ほ、ほ、ほっぺって、俺ができたらどうすんだよ!」
「は? できんの?」
「できないけど! ・・・どこなら怒らない?」
「どこでも怒らないよ? ここから出れるんならなーんでも、どこでもあげる。やれるもんならね」
こいつ、この期に及んで楽しんでやがる。
半田はの顔を仰ぎ見た。
ふふんと不敵に笑う姿は、まるで異空間に君臨する女王様だ。
が女王なら、相対するこちらの役目は決まっている。
半田はそっとに触れた。
がちゃりと鍵が開く音が聞こえた。
金持ちの家はスケールが違う。
たとえここがマンションだろうと、部屋のひとつや2つ増設するなんて訳ないのだろう。
作りたてなのか家主の趣味なのか、壁も天井も真っ白だ。
「これから家具とか買い行くの? いいなー、勝也パパってキラキラのツヤツヤのテーブルとか好きかな」
「違うと思う」
「え~、じゃあピカピカのスケスケなテーブルは?」
「、違う。ここは俺の家じゃない」
「は? いや修也の家でしょ、だって押し入れ開けたもん。ん? 押し入れ?」
押し入れの中が随分と広くなっている。
お泊り用の敷布団を出したかったのに、真っ白な空間にあるのはベッドだけだ。
冬まで寝かせていたはずのコタツもなければ、そろそろ出番だよと起こそうとしていた全自動かき氷機もない。
は豪炎寺すら知らなかった秘密の隠し部屋に足を踏み入れると、ぐるりと周囲を見回した。
照明すらまだ灯されていないのに、壁が白いせいか部屋は妙に明るい。
後から続いて入ってきた豪炎寺は、なぜだか手にサッカーボールを抱えている。
部屋でサッカーをしてはいけないと約束させられていたはずなのに、約束を破るつもりらしい。
は豪炎寺の腕の中のサッカーボールをもぎ取ると、駄目でしょと顔の前で人差し指をぴんと立てた。
「勝也パパに言いつけちゃうんだから!」
「、返してくれ。ここはおかしい、本当に俺の家じゃない。何かあった時のために必要だろう」
「んなこと言って相手がバケツ水かけてきたらどうすんの、ファイアトルネードできないじゃん」
「俺のファイアトルネードはそのくらいで消えない」
「それもそっか」
「とりあえずここから出よう。、ほら」
ボールを脇に挟み、差し出された手を握り返す。
押入れ(仮)の出口へ向かったはずの豪炎寺の足が止まり、は背中に追突した。
止まるなら止まると言ってほしい。
こちらは豪炎寺しか見えていないのだ、きちんと目としての役目を果たしてもらわなければ困る。
は豪炎寺の手を振り解くと、ぶつけた額を撫でながら豪炎寺の隣に並んだ。
引き戸がない。
白くて隠れているのかと思いくまなく壁を見てみるが、壁しかない。
えーなんでなんで、どういうつもり?
物言わぬ壁に罵詈雑言を浴びせ始めたをひとまず部屋の中央に戻し、豪炎寺は考え込んだ。
良くない空間に囚われている。
恐怖よりも先に怒りの感情が芽生えたなので少しの間は無視しておけるが、いつまでも留まるつもりはない。
せめてだけは外に出してやりたい。
我慢ができなくなったは面倒だ。
「ていうか、これもしかして何かしないと出れない部屋じゃない?」
「何だそれは。宇宙人の仕業か?」
「さあ? こないだは半田がキスしたら出れたんだけど、今回も同じかも」
「・・・は?」
「どうする修也、やってみる?」
「待ってくれ、訊きたいことと確認したいことが山ほどある」
いつ危険な目に遭っていたのか。
部屋の中は危険でなかったのか。
半田は危険なことをしなかったのか。
疑問を口に出すたびに、が一歩ずつ歩み寄ってくる。
話を聞くつもりはないらしい。
平時でも人の話を聞かないだ、異空間で急に真人間になるわけがなかった。
豪炎寺は間近に迫った見飽きた顔を見下ろした。
他人から観賞用と呼ばれるだけはあり、にやにやと意地悪く微笑む顔すら整っている。
この顔では半田を強請ったのだろうか。
耐えられる半田ではないはずだ。
彼の理性は一般男子中学生とぴったり同じ太さだ。
やめろよと口では言いながら、実は耳が真っ赤になっている半田の生理現象を豪炎寺は知っていた。
「修也、どこがいい?」
「俺が半田と同じところにする」
「そう? じゃよろしく」
ぺたりと床に座り込んだが、スリッパと靴下を脱いだ素足を目の前に差し出す。
ほら早くと急かすに、本当にと念のため尋ねる。
気心の知れた相手でもなかろうに、たかがクラスメイトに何をさせているのだろう。
不肖の幼なじみに代わって菓子折りでも持って謝りに行く事案だ。
豪炎寺はの足を見つめた。
ほんの出来心が生まれ、足の裏を指でなぞる。
「ちょ」
くすぐったさに堪えきれず、が体勢を崩し転がり回る。
逃げる体を床に縫い止め、距離を詰める。
凹凸もない白いだけだった壁に、出口が浮かび上がった。
「で、ほんとに宇宙人の仕業じゃないの?バーン!くん」「事実確認したいから案内しろよ」