ここは対象限定の優先席




 自慢ではないが、観察眼はかなりある方だと思う。
物を見る力に長けているからサッカーでは司令塔の役割を果たすことができるし、特定の人物への誘導尋問の成功率も高いのだと思う。
のことは出会った時からよく視界に入ってきていた。
見たくなくても否応にでも視界に鮮烈な印象をお見舞いしてくる相手だったから、彼女の突飛な行動にいつしか目が勝手に追いかけるようになっていた。
だから今回の見落としがショックだった。
今回こそ見ていなければならなかったのに、自分にようやく舞い降りた幸運しか目に入らずの異変を見過ごしてしまった。
ここが日本ならば、たとえ自分が気付かずとも豪炎寺や鬼道、風丸や名前を忘れた地味な奴が気付きフォローしてくれていた。
しかしここはイタリアなのだ。
幼なじみバカのフィディオは一流サッカー選手として忙しく、どんなに彼自身がに構っていたくてもそれを世間が許してはくれない。
自分しかいなかったのだ。
そうだというのに、最初で最後の砦に近かったのにの異変に気付いてやれなかった。
あの日から、実はと会話をしていない。
こちらも引越しの支度やチーム入団の手続きに追われ忙しく、と話せるだけの時間が確保できていない。
の母に聞いてみても相変わらずのおっとり口調で『そうねえ、最近はよくお外にお出かけしてるけどデートかしらねうふふふふ』としか言わない。
毎日毎日をデートに連れ出してる果報者はどこのどいつだとも思わない。
ああ見えて繊細ながデートなどできるはずがない。
あのフィディオすら困惑していたを、どこの馬の骨ともわからない奴が慰められるはずがない。
不動は入団に当たっての資料を見下ろした。
もうすぐ家から出ていくことになる。
入団することになるチームはイタリア国内ではあるがここからは離れているので、おいそれとには会えなくなる。
このままと別れてしまうのだろうか。
はこれからどうなってしまうのだろうか。
このままサッカー界に絶望し去ってしまうことだけはあってはならない。
もしもが意外と汚いサッカー界に嫌気が差していなくなってしまうのであれば、・・・いや、それは絶対にさせない。
世界に羽ばたくことはできなくなるかもしれないが、の才能は決して枯らさない。
花を咲かせることはできなくても、枯れないように水を与え続けることならばできる。
ゲームメーカーは、選手たちの力を最大限に引き出し活躍を促すことができる者を言う。
はボールをろくに蹴ることもできないしそもそも選手でもないが、同じフィールドを見つめ背中を叩き続けてくれた頼もしい相棒だ。
不動は携帯電話を手に取るとアドレス帳を開いた。
これが今の俺にできて、たぶんこれから先の俺にとっても最大限のちゃんへの恩返しだ。
不動は発信ボタンを押すと、なぁにもしもしーといつもと変わらぬ、けれどもおそらくは空元気であろう声音のに話があると伝えた。











































 サッカーにおいて権力や名声が欲しいとも思ったことはない。
楽しくできればそれが一番良くて、楽しんでいる間にいつの間にやらプチ有名人になっていただけだ。
ただ、こちらは有名無名関係なく楽しんでいただけのサッカー監督ごっこは、権力や名声が大好きな大人には忌々しく見えたらしい。
有名になりたいのであればもっとそうなるべく勉強すればいいのに、人の手柄を横取りするとはとんだ大人である。
奪われたことが悔しいのではない。
誰が有名になろうとチームの主役は選手たちで、彼らが強くなればそれがいい。
あの親父は物事の本質を見誤っていたとしか思えない。
が悔しかったのは、その主役たちの成長の道を閉ざすまではいかずとも険しいものにしてしまったことだった。
正直、彼らがそこまで未発達だとは思っていなかった。
こちらのアドバイスに真面目に頷きプレイしていたから、こちらの伝えようとしている意図は自発的に理解してくれていると思っていた。
初めこそ丁寧に一から十まで指示していたが、いつかは『考える』ことに慣れた選手たちが独自にゲームメークできるようになると信じていた。
だからショックだった。
たかが1人のアルバイトコーチが欠けただけでまとまりを失い、てんでバラバラの動きしかできず守備も攻撃もくに機能せずフォーメーションもなかったチームを見た時の衝撃は今でも覚えている。
今までの教えが何も活かされていなかったことがショックだった。
何も伝えられていないことがショックだった。
何かを伝えられたと自負していたことが独りよがりの考えだったことがショックだった。
すべてが自分のおかげとは思わない。
けれども、泣かず飛ばずで士気も上がらなかった弱小チームに発破をかけ叩き直し、地方大会を勝ち抜き地元紙にも小さくではあるが選手たちの写真が載るほどになったチームだから、
何かしら得たのだと思っていた。
何も変わっていなかったのだ。
来る前と去った後で、彼らは何ひとつ変わっていなかった。
彼らが悪いわけではない。
彼らに何も伝えることができなかったこちらの教え方が悪かったのだ。
一瞬でも私ってこの仕事向いてるのかなと思ってしまった自分が情けなく、恥ずかしい。
向いてなどいなかった、むしろ全く合っていなかった。
今まで係わったチームにフィディオなどこちらの思いを余すところなく察してくれる人がいたから上手くいっただけで、本当の実力はこの程度なのだ。
フィールドの女神だのとちやほやされていたのが馬鹿みたいだ。
本当のは天使でも女神でもない、サッカー観戦が趣味なだけの普通の女の子に過ぎないのだ。
これからどうしようかなあ。
頭も大して良くないし特別いい学校に通ったわけでも専門的な知識があるわけでもないから、職を探すっていってもこの状況じゃ見つからないもんなあ。
誰かのお嫁さんにはまだなりたくないし、でも、家でごろごろするのは家族に悪い。
人生で初めてといってもおかしくないサッカーから離れた日々を持て余していたの携帯電話が軽快な音を立てる。
ああ、やはり彼は知ってしまったのか。
行きにくいなあ、でもあっきーを適当に扱うとすごく叱られちゃうもんなあ。
だってあっきー、見てないようで私のこといっつも見ててくれるんだもん。
はカフェの席から腰を上げると、不動の指定したサッカースタジアムへと歩き始めた。
不動とは最近ろくに口を利いていない。
不動は近々家を出て、所属することになるチームのホームタウンへと引っ越す。
彼のイタリア語が実際にどのくらいできるのかは使っているのを見たことがないからわからないが、生活能力はずば抜けて高いから一人暮らしでも充分やっていけると思う。
これから輝く未来へと歩んでいく不動については何も心配していない。
別れる前にちゃんと話しておくべきかもしれない。
無人のスタンドを訪れたは、練習中のチームを足を組んで見下ろしている不動の隣にちょこんと座った。





ちゃんのその恥ずかしげなくぴたっと隣に座ってくれるとこ、俺好き」
「えー、そこだけぇー?」
「そうやって信じらんねぇような強請りするとこもかなり好き」
「何ようその言い方、それじゃ私が変な子みたいじゃん」
「へえ、自覚なしか。ま。そういうとこもひっくるめて好きなんだけど。ちゃん知ってた? 俺がちゃんのこと好きだって」
「知ってる。私のこと好きだからイタリアに来たってわけじゃあないけど、私がイタリアにいたからイングランドじゃなくてイタリアに来たんだろうなってことくらいならわかる」
「そこまでわかってりゃ上等だ。ちゃん、俺さ、サッカーしてる連中を見てるちゃんが一番好きだ」





 イタリアに来てからどうも気分がオープンになったらしい。
日本にいた頃はふざけてやぼかしてでしか言えなかった『好き』という言葉が、こちらでは次から次に面白いように出てくる。
想いを素直に伝えられるのは素晴らしいことだと思う。
相手がレベルの鈍感頓珍漢であっても伝わるし、こちらもやきもきすることがない。
比喩などの日本語の美しさは失われてしまったが、見てくればかり気にしていては伝わるものも伝わらない。
そもそも、目の前にいる女性は面構えこそアジア人だが中身はイタリア人を通り越してもはや異星人だ。
不動は急に押し黙ったに苦笑すると、あれ見ろよと声をかけフィールドの選手たちを指差した。






「懐かしい連中だろ?」
「・・・あっきーってほんと意地悪なんだもん。私がクビになったこと知っててここ来いって言う?」
「意地悪されるってわかってて、それでも俺の誘いに乗ってくれる優しいちゃんも好きだぜ」
「・・・やっぱり駄目、教えた、教えることができた、伝えられたってこっちが思ってたことが何も伝わってない。教え方悪かったのかな」
「そうだろうな。少なくとも、ちゃんのやり方はあいつらには上等すぎた」
「へ?」
「考えてみろよ、イタリア代表のコーチやってのけるような超一流が同じことを一流どころか二流になれるかもわかんねぇ三下に言うんだぜ?
 そりゃ自力じゃ無理って話だよ。ちゃんあいつらに高いの求めすぎ」
「でも・・・」
ちゃんは見る目はあるけど教え方は要するにまだ下手なんだよ。見る目に言葉が追いついてない。
 フィディオみたいに付き合い長くて天才ならわかってくれるけど、世の中の9割9部は凡人でできてんだよ」





 そんなこと言われてもと口を尖らせ反論するの顔は必死で、不動は少しだけ嬉しくなった。
はまだサッカーへの思いを諦めていない。
むきになって反論するということは、自らの意見を戦わせようとする気概があるからだ。
それでいい、それで良かった。
不動はどうどうと言ってを宥めると、にかっと笑い用意してきた地図を開いた。





「これ俺が今度住むことになるとこなんだけどさ、街の真ん中に超でかい教会が建ってんだ。ちゃん行ったことある?」
「ううん、ない。へえ、綺麗そうなとこじゃーん」
「気に入った?」
「うん。あっきーくんが次に行くとこはよく尽くす子がいっぱいいていい町だったってママも言ってたよ」
ちゃんのおふくろさんほんと若い頃何やってたんだよ、こないだすげぇガタイいい怖そうなおっさんがおふくろさん見て冷や汗垂らしてたぜ」
「暑かっただけじゃない? でもあっきーいいとこに行けて良かったね。いいなあー」
「だろ? でも俺も安心した、ちゃんここなら喜んでついてきてくれそうで」
「へ?」




 きょとんとしているの前で、開いた地図にぐるぐると赤い印を書き込む。
今度からちゃんはここに住むの。
そう告げると、がもう一度へっと素っ頓狂な声を上げる。
事情を飲み込めていない様子のに、不動はゆっくりと丁寧に説明を始めた。





「今のちゃんに足りないのは目じゃなくて言葉だと俺は思ったわけ。で、俺も新天地に行くってのに相変わらずイタリア語がろくに喋れない」
「あっきーまだ喋れないの?」
「そのうち喋る! いいかちゃん、イタリア語も英語も話せない俺は、いい作戦思いついてもそれをチームに提案することができない。これは困るだろ、ゲームメーカーとしちゃ致命傷だ」
「だから早く覚えなよって言ったのにもー、どうすんの」
「そこでちゃん、いや、様の出番だ。俺の日本語でのゲームメークをちゃんが通訳して、チームメイトにちゃんと伝える。
 ちゃんの説明力超重要だからな、ちゃんの説明のやり方で俺のチームでの評価決まるから」





 ゲームメーカーの作戦通訳をこなすうちに、にはきっと説明力が身につく。
抽象的な対天才仕様ではなく、普遍的で具体的な万人向けの解説ができるようになる。
こちらも司令塔として活躍しようと思い日々戦術眼を磨いているから、ろくでもない策をに言わせることはない。
の更なる進化はこちらにかかっているし、自身の出世もにかかっている。
そして両方が活躍すれば2人ともに新たな輝かしい明日が待っている。
我ながら名案だと思う。
不動はどう思うと尋ね、の顔を覗き込んだ。





「俺はかなりいい案だと思うけど、無理強いはしない。ちゃんが直接サッカーに係わるってわけでもないしな」
「・・・あっきー、私の弱いとこわかってんのに私に頼んで平気なの? 私が上手くできなかったらあっきークビだよ?」
「好きな女に首切られるってのもいいんじゃねぇの? それにちゃん通訳にしたらひょっとしたら俺よりもいいゲームメークちゃんが勝手に思いついて勝手に言ってくれるかもしれないし」
「もうなぁにそれ・・・。・・・通訳やってもいいけど、あっきーお給金払えるの?」
「出世払いで手を打っちゃくれねぇかな。なんなら体で払おうか?」
「もう、あっきーやらしい! ・・・ふふ、指輪でもくれんの?」
「受けた恩は指輪一個じゃ割に合わないだろ。町のシンボル、教会貸切にしてやるよ」






 を信じている。
信じているから、今は少しだけコーチの仕事を休んでも休息中に得た通訳としての経験が必ずコーチとして復活した時に活かされるはずだ。
ありがとねあっきー、私にチャンスくれて。
ぽそんと呟かれた言葉に、不動はお互い様だよと答え笑みを向けた。






1人じゃ先に進みにくい。なあ、俺の後ろちゃんとついてきてくれてるか?




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