予測不測の不満足




 なぜだろうと思う。
同じ学校へ行き同じ時間に同じ勉強をして夏休みの宿題も冬休みの宿題も机を並べて一緒に取り組んでいたはずなのに、どこで差がついてしまったのだろうと思う。
雷門はともかく一応は木戸川清修に合格できただけの学力はあったはずだから、もう少し勉強ができていてもおかしくはないはずだ。
どうしてできないんだ。
ノートを開いてはいるものの一向に動かないペンを眺めながら、豪炎寺は思わずそう問いかけていた。





「特別難しいことじゃない、学校で習ったことだけなのに何がわからないんだ」
「それがわかってたら苦労してませんんー」
「どこがわからないかもわからないのか。どうしてだ」
「それもわかってたらこんなに悩みませんー」
「なぜわからないかもわからないのに何を悩むんだ」
「馬鹿にしてんのならどっか行ってくれる? 大体なぁんで修也が苛ついてんの、私がテストで悪い点取ろうが関係ないのになんで怒ってんの、修也ママなの!?」





 課題が終わったのなら、課題だけ置いてさっさと出て行ってほしい。
サッカーでもなんでもいいからとにかく放っておいてほしい。
嫌味なんていらない、今の自分に必要なのは勉強もサッカーもできる万能幼なじみではなくて万能幼なじみプレゼンツの課題の答えだけだ。
ここが幼なじみの家だろうが、お小言は必要ないのだからどこかへ行ってほしい。
暇ならジュースの一杯でも持ってきて勉学に励む健気な女子中学生を労わってよ。
が空になったコップをペンでつつきながらオーダーすると、豪炎寺は露骨に眉を顰めた。





「文房具の使い方も知らないのか、ちゃんと頭を動かせ」
「どこ動かしたら理科できるのかなんて先生教えてくれなかった」
「そんなことまで教えるわけがないだろう。今日中にやれ、明日は試合なんだぞ」
「試験前は部活禁止でしょ、だから明日の観戦もなし」
「サッカーもできない、試合も観れないなら俺は何をすればいいんだ」
「だから試験勉強でしょ」





 いつもサッカーバカやってんだからたまには勉強しないとマジのサッカーバカになるわよと、サッカーバカでもない天然ものの馬鹿に言われたくはない。
これでも昔からには勉学については非常に真摯な態度で向き合ってきた。
勉強を教えたり、気分転換にサッカーの観戦に連れ出してみたり、息抜きに試合に招待したり、試験前の緊張を解くためにサッカーの話を振ったり。
色々と手を尽くしてきたのに、それらにまったく靡かなかったに問題があるしか思えない。
ここまでやって、きちんとガス抜きさえもさせたのにどうして勉強ができないのかまったくもって理解できない。
原因はにしかないのに、彼女に拘束され試験前はサッカーボールに触れることすら禁じられる道理についていけない。
この世は自分に厳しすぎやしないか。
豪炎寺は天の神様を少しだけ恨んだ。




































 あれおかしいな、俺はいったい何の相談を受けてたんだっけ。
半田はほとんど味のしなくなったご飯をどうにか飲み込むと、主語が足りないクラスメイトにしてチームメイトのおそらくは深刻なのであろう悩みにへえと相槌を打った。
エースストライカーが苛ついているように見えるのは割といつものことだし実際に今は苛ついているのだろうが、何に苛ついているのかがわからない。
勉強ができないに対してなのか、言うことを聞かず勉強ばかりするに対してか、どちらの彼女に対しても苛立っているようにしか思えない。
あのな豪炎寺、確かにお前の幼なじみは他人を苛つかせたりさせるのもなかなかに上手い奴だけどな、今日はちょっとあいつがかわいそうだぞ。
サッカーができないのはのせいではなく試験前だからだし、ちゃんと勉強してるあいつはむしろ褒めてやってもいいくらいなんだぞ。
サッカー観戦を断るなんてとお前は言ってるけど、そりゃ普通断るから。





「サッカーサッカーって、豪炎寺はやっと自分が幼なじみバカだって気付いたのかおめでとう」
「馬鹿はだ。一年の練習は一週間の怠惰で消えるとは知らない」
「でも試験前くらいそっとしといてやれよ。さすがの俺も今日はの味方かなあ」
「そうやってすぐにを甘やかすせいで俺が苦労する羽目になる」
「ああもう何なんだよ今日の豪炎寺なんだかねちっこいぞ! にだかサッカーボールにだかちょっと触れないくらいで欲求不満になってんじゃねぇよ、この万年夫婦が」





 が絡んでくる話に真面目な要素などあるわけがなかった。
今日くらいはと何の根拠もない期待を抱いていた自分が浅はかだった。
悩み事を相談するに足る友だと思ってくれているのは嬉しいが、それなりに大切であろう友の寂しい身辺環境を少しでいいから考えてほしい。
いや、まずは気付いてほしい。
そういえばどうして半田は俺たちに惚気話を聞かせてこないんだろうとか、ふとでいいから疑問に思ってほしい。
半田は食べた記憶はないものの空になっていた弁当箱を仕舞うと、豪炎寺の頭をこつんと叩いた。
あっれー半田今日は修也とランチしてたのーと教室の外から華やかな声が聞こえ、声の主がこちらへ歩み寄ってくる。
半田は無意味に繰り出された平手にハイタッチで押収すると、豪炎寺を顎でしゃくった。





「豪炎寺、欲求不満なんだって」
「へ? よんきゅっぱ?」





 なぁに半田、今日どっかのスーパーがお買い得なの?
何と訊き間違えたのか頓珍漢な質問を繰り出すに、半田は知るかと答えた。
































 半田のくせに騙すなんて、いつから半田は偉くなったのよ。
今日のデザートにするつもりだったプリン買えなくて、今日どうすればいいの。
は何も安くなっていなかったスーパーマーケットから何も買わずに出ると、スパルタ家庭教師が待つ豪炎寺邸へと電話をしながら歩いていた。
酷使した頭を癒すために糖分を求めようとしたのに、この世は女子中学生に優しくない。
騙した半田はもっと優しくない。
デザートがないのに勉強なんて頑張れるわけないじゃんと電話の向こう側を詰ると、俺のせいじゃねぇよと逆切れされる。
は己の非を決して認めようとしない強情な友人の言葉に眉をしかめた。





「だったらなぁんであの時よんきゅっぱとか言ったの」
『言ってねぇよ、欲求不満をどうやったらそう聞き間違えるんだよ』
「はあ? 何よよっきゅーふまんって」
『豪炎寺が主にお前のせいで欲求不満なんだと』
「答えになってない。よっきゅーふまんってどういう意味って訊いてんの。あ、修也私開けてー」
『は、おま、マジで言ってんの? てかそこ豪炎寺の家か? なんでそうやって人を焚きつけるよ「もういい修也に訊く、またね半田」






 自分もろくに説明できないような言葉を使いたがるとは、半田もなかなかのおませさんだ。
は勉強の支度をすっかり整えていた豪炎寺の前に座ると、修也ってと口を開いた。





「修也、よっきゅーふまんなの?」
「・・・誰から聞いた」
「半田が言ってた。よんきゅっぱか49万かなって思うけど、結局それはいくらなの?」
「いくら・・・・・・。・・・、国語からまずしようか」
「いやいい。で何よ、私に言えない言葉なの? それとも修也も知らない感じ?」




 目の前でうーんと唸っているを見る限り、本当に何も知らなさそうだ。
欲求不満になっている自覚はまったくないが、はぐらかしてははいらぬ勘違いをしたまま大人になりかねない。
そもそもどうして半田はにいちいち余計なことを吹き込むのだ。
教えるのは構わないが、やるならきちんと最後まで面倒を見てほしい。
まあ、欲求不満についてに実演されてもそれはそれで困るが。
豪炎寺はに値段ではないとまず答えた。





「どちらかといえば人の感情だ。ああしたいこうしたいという欲求を上手く発散できないから、苛々したりもやもやする」
「じゃあ修也は今苛々してんの? ああしたいこうしたいって何? 修也は何したいの?」
「サッカー」
「そりゃそうだろうけど、だったらなんで私のせい?」
「どうしてのせいなんだ」
「だって半田言ってたよ。私のせいで修也は欲求不満だーって。修也、私に何したいの?」
「何もしない」
「ほら、やっぱり苛々してるー」




 は普段は半田の言うことを2割ほどしか聞いていないのに、どうして面倒なことが置きそうな時だけはすべて丸呑みにしてしまうのだろう。
欲求不満というのは認めよう、確かに今の自分はサッカーボールに触ることはできずフラストレーションが溜まっている。
てきぱきと勉強を進めないのせいというのも少しはある。
しかしに責任の100はない、あっても10くらいだ。
勉強に手を付けず不毛な口論をしているから現在進行形で1ずつ増えつつはあるが、それでもが直接の原因ではない。
大体、半田のあの言い方ではまるでと触れ合えないことで欲求不満に陥っているようではないか。
それは違う、断じて違う。
俺はあいつらが思っているほどに触らない。
子どもの頃はそりゃ手はよく繋いでいたが、今はソファで寝入ったを布団に運ぶといった必要最低限のこと以外はとんとご無沙汰だ。
触りたいなんて露とも思っていない。
欲求すらないものに対して何を不満に思うのだ、馬鹿馬鹿しい。
豪炎寺はねぇねぇと腕をつつき続けるを見つめた。
人の気も知らないでべたべたと触りやがって。
あーとが不意に声を上げ、わかったと続ける。
何もわかっていなさそうなことをわかったと勘違いしていそうで怖い。
豪炎寺はどうしたと、慎重にに言葉を促した。





「もう、修也ってば甘えたさんなんだから」
「・・・は?」
「何がしたいじゃなくて、してほしいんでしょ。何してほしい? 何食べたい? あ、やっぱサッカー行きたい? でもそれはだーめ、試験前くらい勉強させてよね」
「・・・言えば何でもしてくれるのか?」
「そしたら欲求不満ってのを解消できるんでしょ? ずっと苛々されてんのこっちも迷惑だしいいよ、サッカー以外なら」
「そうか、じゃあ・・・」





 豪炎寺はの悪戯好きな手をつかむと、ペンを握らせた。
抵抗が許されない状況におうと上がるの声を無視したまま、体を強引に机の前へ動かす。
頼むから真面目の勉強して、早く俺にサッカーさせてくれ。
半田の言うことは半分聞き流してくれ。
あと、不必要に俺を焚きつけるな。
豪炎寺はきょとんとしたまま人形のように動かないの耳元でそう言い聞かせると、ふいと背を向けた。
久々にまともに触ってなぜだかもっともやもやした気がするがきっと気のせいだ。
そうでないと今度は本格的に困る。





「いいか、次のテストでもしまた悪い点取ったら俺からもおばさんに言うからな」
「えーやだあママ怒ったら超怖いんだもん、やだ!」
「だったら勉強しろ。あといいか、俺は欲求不満じゃない。俺はにはときめかない」
「はあ!? ちょっともっぺん言ってみなさいよ、この超可愛いマジ天使な私にときめかないなんて修也あったまおかしいんじゃないの? 趣味わっる!」
「悪いもんか、なんて食べたら腹か頭か人生が壊れる」
「はあ!? 私超美味しいですう、はいつも甘くていい匂いするなあって風丸くんも言ってますう、修也には嗅がせてあげないけど!」





 ああこれだ、この方がきっとずっと気が楽だ。
豪炎寺はペンを放り出し怒り狂うを見やり、己のもやもやが消えていくのを感じた。






※勉強時間は一夜漬けで美味しくいただきました




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