08.容易く触れていい距離ってどれくらいなんだろうね
賢者一族の中では誰もが認める随一の愚者だが、それでも魔力は並の人間よりは少しは秀でている。
だから戦い慣れているわけでもない一般人に記憶操作を施すくらいは造作もない。
ドラゴンに姿を変えられることは誰にも、一族の者にすら知られたくない秘事中の秘事だ。
ドラゴンになれると知られればきっと、いや必ず一族の中での自分の立場は変わる。
一族、直系始まって以来の凡庸な男からすわマイラヴェルの再来かともてはやされ、
そして今よりももっと意味を変えて遠い存在となるだろう。
ドラゴンになるドラゴラムを操ることはミモスにとっては決して椿事ではなかった。
ドラゴンにならなければならない時は近付いているほどに、アレフガルドは危機に瀕している。
そう信じたくなかったからかもしれない。
「・・・誰も私を知らない。一生知らずとも良い。私は、到底私にはなりえぬのだから・・・」
人として生まれて、ドラゴンの姿となって初めて彼女のような人間と出会い、そして言葉を交わした。
魔物でも人でもない異形の姿に恐れを抱くこともなく、好奇心を露わにして話しかけてくる娘はミモスの心に深く存在を刻んだ。
だから尚更、二度と彼女とは会えなかった。
きっと今頃、彼女は自分が森で何を見たのかすら思い出せないはずだ。
呪文は呪いだ。
ミモスはそう小さく呟くと、冷ややかな神殿の門を潜った。
元に戻る