Load to the Ring
トロデーン城の中庭にあるパビリオンで、2人の艶やかな黒髪を有した女性が和やかに談笑している。
豪奢な衣装に身を包んだ碧眼の女性は、この国の宝とも言うべきミーティア姫である。
もう1人、姫の話に笑顔を浮かべて相槌を打っているのは、雷を自在に操る史上最強の近衛隊長の愛妻だ。
宝と称される姫はもちろんだが、この隊長の奥方も人間離れした大層美しい人だった。
元々彼女は人間ではないから、その賞賛は過剰なものではない。
人のものだから良いものの、そんな美しい人がフリーだったら連日告白の嵐だろう。
「それでね、ミーティアはその指輪を嵌めるのがとても嫌だったんです」
「・・・言われてみれば、あのアルゴンハートは随分大きかったですしね・・・」
「そうでしょう? あんなのが嵌め込まれた指輪なんてしたら、ミーティアの指は折れてしまいます」
「確かに、あれはセンスなかったですね。なんでも大きければいいってものでもないですし」
センスがあっても結婚なんてまっぴらでしたと言い放つミーティアには苦笑した。
彼女の結婚式未遂の時は訳あってこの世にいなかったから、人づてに聞くしかない。
聞けば聞くほどに現場を見たくてたまらなくなるのだが、それは叶わぬ願いである。
月の住人イシュマウリを召還すれば、あるいはなんとかなるかもしれないが。
「姫様の結婚式の時にが何かやらかしちゃったんですよね。だから、サザンビークにも行きにくくなったんですよね。
・・・詳しいことは誰も教えてくれないけど」
「・・・えぇ、まぁ。はとてもいい兵で素敵な幼馴染ですが・・・、さすがにあんなことをしたら誤解も・・・」
「誤解?」
「いいえ、こちらの話です」
ミーティアは強引に話を終わらせるとを眺めた。
僕の奥さん紹介しますとある日突然紹介されたが、きちんとした手続きは踏んだのだろうか。
左手どころか右手のどこにも指輪はないし、そもそも式を挙げたという噂も聞かない。
旅をしていることからそうだったが、溺愛の彼のことだ。
もしも結婚式を執り行っていたとあれば、誰彼構わず格好の惚気話として披露しているはずである。
「あの、。あなたの結婚指輪はどこに?」
「え?」
ミーティアの問いかけにはきょとんとした。
結婚指輪という存在はもちろん知っているが、そんな代物持っていないと思う。
あれって、王侯貴族間での慣習であって一般庶民が交換するものではないと思っていた。
指輪そのものは昔あれこれもらったが、あれで代用というわけにはいかないだろうか。
「昔、女神の指輪もらいました。あれ便利ですよ、歩くごとに魔力が回復して」
「いえ、そのようなものでなくてもっと象徴的な・・・」
じゃあないですと答えたに、ミーティアはがくりと肩を落とした。
まさか、あのが指輪の1つも用意していないとは思いもしなかった。
ただ単にごたごたしすぎてプレゼントする機会がなかったのかもしれないが、それでもミーティアは納得できなかった。
ここはひとつ、幼なじみと友人のために一肌脱いでやるべきである。
この際結婚式だって挙げさせてやりたい。
「も甲斐性なしですね。ミーティアがよく言って聞かせておきますわ」
「はい?」
何やら1人で勝手に意気込んでいる姫君を、訳もわからず眺めるだった。
は世界宝石全集を読み漁っていた。
ミーティア姫に言われるまで、その指輪のことをすっかり忘れ果てていた。
一生の不覚である。
も欲しいとかねだってくれないから、尚更気付かなかった。
言ってくれたらとびきり美しいのを持ってきたというのに。
結婚に至るまでの過程をことごとく素通りしてきた己が暴挙に、は今更ながら嘆いた。
きちんと手順を踏まえていればこんな失態は犯さなかったはずだ。
既成事実を作ってからプロポーズという、とても若気の至りでは済まされないことをしでかしたのが、そもそもの誤りだったのかもしれない。
いや、でも、あの時は無性にああしたくなったのだ。
決して飢えてたとか欲求不満だったとかがっついていたとか、そんなやらしい感情を抱いていたのではなく。
「父さん、僕もアルゴンハートみたいなのを取ってくるべきかな・・・?」
は天国の父に呼びかけた。
そうだ、思えば父も自分と似たようなことをやったではないか。
だから自分がこの世に生を受けたのだ、手出しの早さなら父の方がだいぶ上だ。
ただ父の方がいくらか女心のようなものを理解していたから、結婚指輪というアイテムを母に渡していたのだが。
両親の形見となった指輪は、グルーノから渡されてからはが大事に保管している。
これを持っていると、なんとなく両親を近くに感じることができた。
そうに話すと、その感覚間違ってないよと悪戯っぽく笑い返された。
もしかしたら自分が見えていないだけで、本当に近くで息子の愚業の数々を見守ってくれているのかもしれない。
それはそれで緊張するし、なんだか恥ずかしい。
「・・・僕、王位継承者じゃないからアルゴンハートは無理だし」
何かの奇跡、いや間違いでチャゴスが死に至らない限り王位継承権は回ってはこないし、そもそもその件については丁重に辞退している。
だからいくらサザンビーク王家の人間だろうと、トカゲから宝石を分捕ることはできなかった。
ビーナスの涙だってとっくの昔にゲルダに渡してしまったし、クランスピネルも魔法の鍋で茹でたらなくなった。
こうなったら、例のごとく竜神王に相談するしかない。
強請ればひょっとしたら、竜神族の知られざる秘宝とか明け渡してくれるかもしれない。
歴史は古いかの一族だ。
本に載っていないような珍品名宝が残されている可能性は充分にある。
「、今度のお休みどうする?」
本をぱたんと閉じて静かに闘志を燃やしていると、片付け物が終わったらしいがとことこと歩み寄ってきた。
そういえばそろそろ非番の日である。
竜神王に会いに行くには絶好の機会だった。
「あー・・・。僕ちょっと竜神王に用があるんだ。だから家空けちゃう」
「そうなの? 1人で平気? 私も行こっか?」
「大丈夫だよ。も知ってるでしょ、こないだ僕が格闘も極めたってこと」
「そういえばそうだったね。えへへ、もう絶対にに勝てないや」
素手でも強いんじゃ太刀打ちできないもんとは苦笑した。
ただでさえ天下無双の強さを誇るというのに、これ以上強くなってどうすると言うのだ。
このまま戦いまくった挙句に、しなやかな肉体がごついマッスルボディになったら困ってしまう。
ガタイが良くなったら、組み敷かれた時に潰れてしまうかもしれない。
私は今の細身でもしっかり筋肉がついてるの体の方が好きなんだけどな。
そんなことを考えていたら、急に恥ずかしくなってきた。
顔に熱が集中していることがわかる。
「何言ってるの。僕はいつだっての前じゃただのデレてる男だよ。
大丈夫、僕の体型が変わるほどに鍛え上げるつもりはないから。でないと、あんまり筋肉質になったらを潰しちゃうでしょ」
「もうやだっ、ったら何言ってるんだか! ・・・気を付けて行ってきてね」
「ありがとう。一緒にいられなくてごめんね」
「ううん、気にしないで」
果たして竜神王はの無謀かつ他力本願な願いを叶えてくれるのか。
は期待と不安を抱き、天の祭壇の最奥を目指す散歩に出かけたのだった。
竜神王は、戦闘前とほとんど変わらない落ち着いた顔をしている青年を見つめた。
強い者と戦うのが民族上好きだから、竜の試練キャンペーンをやっている。
やって来るのは最初は4人の人間たちで、最初の願いを叶えてやってからは5人になったりした。
そして時が経つにつれてその人数は2人に減っていき、今日はついに1人で挑みに来やがった。
なぜだろうか、いつもは可愛らしい天使のような愛妻を侍らせているというのに。
もしや、竜神王なんてもう僕1人でも楽勝だもんねと思われているのだろうか。
里への険しい道の9割9分をたった1人で切り開いてきた人間の血を引いた男だ。
竜神族特有の戦闘能力と父親の人間離れしたセンスを合わせれば、どんな強敵もぶち破れる破壊的な強さを秘めた者が生まれるのもおかしくはない。
しかし、なんだかものすごく寂しい気分にもなる。
フルボッコにされる日も近い気がしてならない。
「竜神王、今日はちょっとお願いというか相談があるんです」
「・・・またスキルの種か?」
「いいえ、あれはまた今度下さい。そのですね、に結婚指輪を贈ろうって思ってるんですけど何かおすすめありますか」
「・・・そなたらは、夫婦になって何年経った?」
さりげなく確実に痛いところを突いてくる竜神王には引きつり笑いを浮かべた。
恥をあえて曝け出して相談しているのだから、そういう点は優しく目を瞑っていてほしい。
人とのコミュニケーションを長らく取っていないせいか、竜神王は少しデリカシーがないようには思った。
「まぁ割と経ちますけど、僕たちっていつまでも新婚さん気分なんです。ほら、見た目も変わらないから月日の変化に鈍感になる、みたいな」
「・・・生憎と私は妻帯者ではない。そういうことならば、里の者に聞けばよかろう」
「それじゃあなたと戦いにきた意味がないでしょう。僕が本当に聞きたいのは」
言葉の続きを悟り、竜神王は手で発言を制した。
スキルの種だけでは飽き足らずに、里の宝を差し出せと言ってきたのだ。
そりゃあ人目に晒せないような素晴らしいお宝はある。
一体どこまで貪欲なのだ、この男は。
「そなたが贈るものであれば、どんなものであれ喜ぶのではないか?」
「うーん・・・。でも、僕も父みたいに由緒あるのがいいなーなんて」
「トカゲ風情と我らを同視しないでほしいのだが」
「するわけないです。僕の母はトカゲじゃありません」
竜神王は深く深くため息をついた。
初めて会った時は、愛しい娘のこと以外は考えていられないというような一途な青年だった。
いや、今でも彼女のことを第一に考えているのだろう。
だから、ちょっとぶっ飛んだ方向に思考が暴走して、不当な褒美を強要するようになったのだ。
全ては愛のため。そう締めくくってしまえば美談に聞こえるが、竜神王にとってみればの行為は強請り以外の何でもなかった。
断れないのは、自分から振った竜の試練だからである。
竜神王は観念して目を閉じると、杖をシャラリと鳴らした。
杖の先からきらきらと光るものが現れる。
「・・・これは、私からそなたたちに贈る結婚祝いだ。この天の祭壇にも浮かんでいる雲の中で結晶化したものだ。
持って行くがよい」
「ほんとにいいんですか!? なんかものすごく高価そうなんですが」
「・・・高価なものをねだったのはそなただ」
は真珠雲の結晶を手に取ると光にかざした。
なるほど、光の反射具合で色が赤や青に見える。
確かにこれはこの地でしか入手できない名宝である。
「ありがとうございます。あぁ、これをつけたも綺麗なんだろうなぁ・・・」
「喜んでもらえるといいが・・・」
「随分と長い間忘れてたもんな・・・。今更渡してもきょとんとされるかも」
びっくりさせるのもいいかもと妄想の世界に突入し始めたを見やり、竜神王は無言で杖を振った。
惚気話を聞かされてはたまったもんじゃない。
こういう時は、キレずツッコミを入れずに大人しく里へ返すのが一番である。
「あ、今度と一緒に遊びに行きますねー!」
ここは試練の場であって間違っても娯楽施設ではない。
竜神王はを送還した後に、ぽつりと呟いた。
いつもと同じようにご飯を作り、後片付けをしてくれている妻の背中を見つめる。
彼女にばかりさせているわけではなくもちろん自分の手伝ってはいるのだが、さすがに今日は戦闘の疲れからできなかった。
攻撃も吹雪も炎も別になんともないのだが、封印され金縛りに遭うのが辛いのだ。
あれさえなければ、もっと効率よく戦えるのに。
「今日もお疲れ様。1人で大変じゃなかった?」
「ううん平気だよ。それはそうと、今日はにあげたいものがあるんだ」
「なぁに?」
はに左手を差し出させると、薬指にもらったばかりの結晶を加工した指輪を嵌めた。
サイズもぴったりだ。
は指輪をぼんやりと眺めると、ことりと首を傾げた。
見たこともない美しい輝きを放っているが、これは一体なんだろうか。
新種の指輪を錬金釜で開発したのだろうか。
でもどうして薬指に?
は指輪の意味がわからなくて、と口を開いた。
こんないかにも高価そうな代物、いくら奥さんだろうと受け取れない。
「これどうしたの? すごく綺麗だけど、私にはもったいないよ」
「ちょっと遅れちゃったけど結婚指輪のつもりなんだ、それ。嫌いかな、こういうの・・・」
「え、結婚指輪!? わ、わ・・・、なんだか改まって言われるとすごく照れちゃう・・・」
「ずっと忘れててごめんね。ほんとは結婚式も挙げたいんだけど、式場とかまだ決めてなくて」
「ううん、ありがとう!」
結婚式も指輪もなくても私は幸せだよと満面の笑みで言うに、もふっと口元を緩めた。
なら、そう言ってくれるだろうとは思っていた。
確かに何か特別なことをしなくても、彼女が言うとおり幸せである。
しかし、彼女が笑顔を見せてくれる方がもっと幸せな気分になれるというものだ。
「えへへへへ・・・、今度、姫様に自慢しちゃおっかな。がくれたんですーって」
「ぜひともそうしてほしいな。姫様もきっとほっとするよ、自分のことは棚に上げて」
「あー・・・。姫様、本当にずっとこの国で独身貫くおつもりかな?」
「さあ?」
結婚しないんなら姫様の婚礼衣装を、来るべき自分たちの結婚式のために提供してくれないだろうかと、
次なる結婚生活埋め合わせプランを考え始めただった。
あとがき
誰か、私にタイトル付ける素敵ネーミングセンスを下さい。
ofじゃなくてtoだから大丈夫・・・、直訳『指輪への道』だから間違ってない・・・!
竜神王がものすごくかわいそうな人になってますが、大好きです。
※真珠雲・・・スコットランドやスカンジナビアなどの高緯度地方の高空に現れる。
巻雲みたいな形で、赤、青、緑などの色を帯び真珠色の光彩を放つ、美しい色の彩雲。
天の祭壇になるかなんて知りません。