時と翼と英雄たち

ダーマ    8





 悟りの書を手に持ち、青い僧衣を身に纏った少女がゆっくりとダーマ神殿の神官のいる祭壇へと歩を進める。
彼女の後ろでは、仲間である勇者リグを始めとした3人の若者たちが控えている。
広い世界の中でも1、2を争う厳かな雰囲気を醸し出すこの神殿から、今日、何十年かぶりに賢者になる者が生まれるのだ。
普段は血気盛んに神殿で修行を積む者たちも、この日は静かに式の成り行きを見守っていた。







「僧侶、エルファ。汝は今の職を捨て新たなる職、賢者の道を歩む事に後悔はないか?」


「ありません。私は賢者となり、人々の平和に少しでも貢献できることを願っています」


「・・・よろしい。では悟りの書を・・・」








 エルファが悟りの書を持って祭壇を登ろうとした、まさにその時だった。
彼女と神官との間に、まるで図ったかのように雷撃が降り注いだ。





「エルファっ!!」



 咄嗟にバースが捨て身の体勢でエルファを抱えて飛び退る。
彼女がいた場所の床は黒く焼け焦げている。
あのまま彼女がいたら、只事では済まなかっただろう。




「大丈夫か?」


「うん、平気。ありが・・・、バース、あれ・・・!!」




 顔を上げたエルファの目に飛び込んできたのは、夥しい数の魔物の群れだった。
魔物たちは神殿内へ易々と侵入し、真っ直ぐリグ達に襲いかかってくる。
突然の事態に一瞬戸惑ったリグとライムだったが、すぐさま剣を抜き放ち迫り来る魔物たちを斬り捨てた。




「バース、これ、どうなってんだよっ! こんな大勢の奴ら、俺たちじゃ太刀打ちできないって!!」


「わかってる! でも奴らの狙いは・・・!?」




 バースははっとしてエルファの方を振り返った。
始めから彼女を狙っていたかのように、執拗に彼女に攻撃を仕掛けるドラゴンたち。
必死に彼らの攻撃に対抗しようとしていても、非力な僧侶の力でどうにかできるほどドラゴンは弱くない。
バースは戦いの手を止めると、ドラゴンたちの動きをじっと観察した。
奴らはエルファの懐に飛び込もうとして低い姿勢から攻撃している。
今、彼女がその懐に抱いているのはただ1つ、この世界にふたつとない悟りの書だ。
ドラゴンたち、いや、彼らを操っている魔王バラモスの狙いは初めから悟りの書だったのだ。
勇者と同じほどの力を持ち、魔王が恐れる存在である賢者を生み出す書物を、この世から消し去ってしまおうとしているのだ。
その事実に気付いたバースは、自分に迫る魔物たちを上手く躱しながらエルファに叫んだ。






「悟りの書のいちばん最初に書いてある文を読むんだ!!」


「でもっ・・・、そんな事できない・・・! 今は戦わなきゃ!!」


「今賢者になってリグたちを救わなくて何が賢者なんだ! そんな事をさせるために神官長はお前を残したんじゃない!!」





 バースのかつてない激しい口調にエルファは黙り込んだ。
彼が言う神官長とは誰の事だろうか。
そもそも、悟りの書に文字など書いてあっただろうか。
祭壇に上る前にちらりとと中を覗いてみたが、一字一句書かれていなかった気がする。
エルファはドラゴンたちの攻撃に応戦しながら、頭の片隅でタイミングを窺っていた。
今の状態で悟りの書を開くことはできない。
仮に開くことができたとしても魔物たちに書物を奪われるか、自分の命がなくなるかのどちらかだろう。
エルファの不可解な動作を見て取ったライムが彼女の周りのドラゴンたちを切り伏せた。



「行って! ここは私が押さえとくから! 早く!!」




 エルファの方を見向きもせずに叫ぶ。
叫んでいる間にもまた1匹、もう1匹とドラゴンたちの数を減らしていく。
ライムに感謝しながらエルファは建物の柱の陰に隠れた。
震える手で悟りの書を開こうとする。
が、開いたと思ったその瞬間、エルファの周囲の温度が急上昇する。
エルファの向かった先を見張っていたドラゴンの1匹が炎を浴びせてきたのだ。




「あっつ・・・・!」



 文を読むどころか書を開く隙さえ与えられずに、再びその手にしっかりと悟りの書を抱き戦闘の場へと戻るエルファ。
彼女が見たのは、荘厳な神殿ではなく、血の臭いも微かに混じる生きるか死ぬかの修羅場だった。
どこかで見たことがあるかのようなその光景に、激しい頭痛を覚える。
頭が割れそうなくらいに締め付けられる。
力の尽き果てたエルファに迫るドラゴン。
逃げる事ができないくらいにそれは近く迫ってきていた。































 リグはひたすら戦っていた。
前を向いては剣を振るい、背後に気配を感じたら振り向きざまに剣を突き刺し、その繰り返しだった。
どこから湧いたのかもしれない魔物たちにリグはかなり手こずっていた。
いつもならば的確に攻略情報を与えてくれるバースも、この状況では頼ることができない。
ライムはエルファに纏わり付いていたドラゴンの相手をするので精一杯のようだし、エルファには悟りの書を守るという大役がある。
リグの視界の隅にエルファの呆然とした姿が入った。
無意識のうちに叫んでいた。




「俺達の援護は気にしなくていい! エルファを、彼女を賢者にするのに全力を尽くせ、バース!!」




 彼の言葉はバースの疲れきった身体を奮い立たせた。
エルファを賢者にさせる方法がひとつだけある。
今、果たしてそれができるのか、それはわからなかった。
時間と運の問題なのだ。
ゆっくりと立ち上がる。
さすがにそこは神聖なオーラで満ち満ちていて魔物たちも近付くことができないのだろう、祭壇の中へと足を踏み入れる。
戦場に唯一残された清らかな空気の中で、バースは自分の力が少しだけ戻ってくるのを感じていた。
今なら、ここでならばできるかもしれない。
いや、できなくてはならないのだ、この悪しき世界から抜け出すためには。
祭壇のより高い所へと登り、いつも身につけているグローブを外す。
片膝をつき目を閉じ、右手をついて呪文を唱え始める。
程なくバースの身体が青白く光り始め、一方はエルファを、もう一方はバース自身を包み込んだ。
すべての攻撃を受け付けなくなり、エルファは悟りの書を開いた。
見つけることのできなかった文字が書物に綴られている。
とても読むことのできないような文字をすらすらと理解する事ができる。






「『大地に生まれし者  今神の定めを受く 願うは光  時よ我に永遠の翼を!!』」







 エルファの身体を悟りの書が覆う。
まばゆい光の中から現れたのは、神の定めを受けし者、賢者。
真っ白な衣に身を包んだエルファが目を開けた瞬間、バースが作り出していた結界の力が途切れた。
力の消滅と共に消え行く魔物たち。
精根尽き果てて祭壇にそのまま倒れ伏したバースにリグたちは慌てて駆け寄った。
盗賊の持つ必要最低限の魔力で神殿すべてを覆い尽くす結界を張るのは、辛すぎることだった。




「バース・・・、ありがとう」



 賢者の力を得たエルファが彼にそっと触れた。





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