時と翼と英雄たち

ダーマ    7





 エルファが手にしていたのは紛れもなく悟りの書だった。
この広い世界にふたつとない、究極の職業である賢者になるための唯一の道。
しかしエルファがどんな経緯からこの巻物を手に入れたのか、彼女がリグたちと離れ離れになっている間に何が起こったのかをリグたちが知るのは難しかった。






「ん・・・。」




 小さな呻き声を上げてエルファが目を開ける。
一緒に部屋に詰めていたライムが彼女に向かって淡く微笑んだ。





「具合は平気? ゆっくり眠ってていいのよ?」


「ううん、もう大丈夫。・・・あのね、私ちょっとだけ記憶戻したの」



 ぼんやりと天井を見つめたままエルファはぽつりと呟く。
彼女の消え入りそうな言葉にはっとするライム。
そのまま次にエルファが口を開くのをずっと待つ。




「名前だけなんだけどね、私、エルファーランっていうのが本当の名前なの。どこかの国のとっても綺麗な王女様のお友だちになるために、上司っぽい僧衣を着たおじいさんといた」


「エルファーラン・・・。素敵な名前ね、綺麗な響きを持ってるわ。リグとバースにもこのこと話してこようか?」


「ううん、自分から話せるよ。それにやっぱり自分で言った方がいいな。だってこれは私の大切な記憶だもん」





 エルファはそう言うとふと視線を枕元にやった。
淡い光を発し続ける細長い巻物のようなものが目に入る。
いったいこれは何だろうと思いそっと手を触れてみると、彼女の身体を光が包み込む。
その光は徐々に弱まり、また元に戻ってしまったのだが。




「これね、エルファが見つかった時に持ってたの。悟りの書なんだって」


「これが・・・? 私どこでこれ拾ったんだろう」





 心当たりのない拾得物にエルファは首を傾げた。
エルファが記憶を辿り続ける間に、ライムは外に控えているリグとバースを呼びに向かった。
エルファが目を覚ましたと聞き、リグがほっとした表情を見せる。
しかしバースは浮かない顔をしていた。





「なんだよ、嬉しくないのかエルファが目を覚ましても」



「いや、そんなわけないけど・・・。エルファ、本当に悟りの書に認められるのかと思って・・・」







 バースの消極的な発言にリグとライムは眉を潜めた。
突然そんなことを言われても、困るしかない。
悟りの書についても賢者についても詳しそうなバースが不安でいると、こちらも不安な気持ちになってしまう。
バースは不安げにしている2人をちらりと見ると、微かに口元を緩めて考えすぎだよなと軽い調子で言った。
神の意思は人間にはわからない。
地上に生きる人間と天上の世界に住まう神々とは到底相容れない関係なのだ。
リグたちがエルファの休む部屋へ向かうと、ベッドの上には既に身支度を整えたエルファが座っている。
リグたちの姿を認めると、ふわりといつもの笑顔を向けた。






「エルファ、本当に大丈夫か? いなくなった時に何が起こったのか、俺たちに教えてくれる?」


「もちろん。・・・私、過去の世界に行ってたの。私が失ってる記憶の世界に」




 一度話を聞いているライムも含め、リグたちは顔を見合わせた。
バースの表情からはどんな感情をも窺うことはできない。
ただじっとエルファの口元を見つめていた。




「旅の扉を潜った先はどこかの国の廊下だったの。私は僧衣を着てて、似たような服を来たおじいさんと一緒に玉座の間へと向かっていた。
 私は同じ年頃の王女様のお友だちになることになってて、その王女様は黒い髪に黒い瞳のとても綺麗な方だったわ。
 見ているだけで、傍にいるだけですごくほっとする人。おじいさんは私の名前をエルファーランって言ってた。きっとそれが私の本名」


「・・・エルファ、悟りの書をもらったのはいつだ?」


「私もそれを思い出そうとしたんだけど思い出せないの。ただ、元の世界に戻ってくる直前だったのかな、綺麗な女の人の声が聞こえた気がしたの。懐かしくて、元気が出そうな暖かい声」





 そう話し終えるとエルファは大きく息を吐いた。
どんなに鮮明に過去の事を思い出そうとしても、誰かから悟りの書を貰ったことも、拾ったことも思い出せないのだ。
あるいは初めから手渡されたわけではなかったのだろうか。
では、なぜ自分は神に選ばれし賢者になるための道を持っていたのか。
曖昧な記憶と目の前の現実にエルファの頭は混乱していた。
混乱しているエルファを見て、バースは苦笑しながらぽんぽんと優しく頭を叩いた。
焦っても何も見つからない。
思い出せないのなら仕方がない。
これも神の思し召しのままと思えば不思議なことなんかない。
今はただ、エルファの記憶がほんの少しでも戻ったことを心から喜ぶべきなのだ。






「ごめんな、変なこと訊いて。でも心配したんだぞ、後ろ向いたらエルファいないし」


「心配してくれてありがとう、バース。でも・・・、どうしてそんなに賢者について知ってるの? バースは賢者の人と知り合いなの?」




 知り合いね・・・、とバースはぽつりと呟いた。
それきり何も答えない彼に疑問を抱きながらも、エルファはよいしょとかけ声を上げベッドから降りた。
もうすっかり身体の調子はいいらしい。
見た目はいかにもか弱そうなのに、案外身体は丈夫にできているらしい。




「いきなり飛び起きたりすると心臓に悪いぞ。悟りの書を持って神官の所に行くのはもうちょっと安静にしてからの方がいいんじゃないのか?」


「そんなの遅いよ。せっかく貰ったんだもん。このまま持っててどっかに失くしちゃう前に、これをどうにかしてもらわなくちゃ」






 悟りの書を握り締めて言ったエルファの言葉が、リグたちの心に重くのしかかった。




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