9.お久し振りは今じゃない










 すっかり出遅れた、陽はとうに空の彼方だ。
夜の港町もまたいいわねと、ジュース片手に夕食後のスイーツ巡りなんておしゃれな背伸びをして夜更かししていたのが仇になった。
気持ちのいい朝だと思いながら目覚めたその時間はもう、朝ではなかった。
海の男コンテストでは一番いい席を確保してイケメンを見飽きるまで見続けるという計画は、見事に頓挫した。
豪華なディナーを共にした夜以降、ホメロスとは会っていない。
悪魔の子捕縛のために、あらゆるところであらゆる手を尽くしているのだと思う。
働きすぎは良くないですよとさりげなく手抜きを要請したりしたのだが、ホメロスの耳には届かなかったらしい。
しゃがんで下さいとお願いしてから囁いた方が良かっただろうか。
そういう問題ではない気がするが、何がきっかけで事態が変わるかわからない以上は色々と試してみたかった。
悪魔の子、もとい勇者は悪人ではない。
根拠も何もないが、はそれだけは信じていた。
だからが無事に逃避行を続けられるならば命の恩人の足を多少は引っ張るし袖も引く。
今のところ、それらの効果はほとんど見込めていないのだが。





「海の男かあ・・・」




 祭り特有の熱気に包まれ、行き交う人々に肩をぶつけぶつけられながら開き直ってのんびりと会場へ向かう。
彼と出会ったのは海ではなかったが、海洋に詳しい男だった。
出場すれば、優勝候補の一角として挙げられるに違いないイケメンだ。
どのような方法で海の男が決まるのかは知らないが、彼が出場していれば投票していた。
他にどんなイケメンがエントリーしていようが、仮に対抗馬としてホメロスが出ていたとしても彼に一票を投じていた。
もちろん出ないと思う。
そもそも、こんな場所に彼らは立ち寄っていないと思う。
いてほしくない。
ここには、彼らが今最も見つかってはならないデルカダールご一行が逗留しているのだから。





「あれ、ちゃん?」
「ん?」
「ほら、やっぱりちゃんだ!」
「ゆ、ゆゆゆ勇者様!? えっ嘘マジで、なんで!?」




 往来で突然名を呼ばれ、振り返る。
サラサラとした茶色の髪が海風で靡き、空よりも澄んだ青い瞳に自分の姿が映っている。
うん、今日もしっかりばっちり可愛らしい。
去年は予期せぬ事情で失敗したが、今年はミスデルカダールコンテストでファイナリスト入りできるだろう。
店の命運をかけているのだ、ただの看板娘という肩書での売り上げの天井が見えているのならば、今度はミスデルカダールファイナリストという新たな称号で勝負を挑むべきだ。
グランプリは無理だ、ダイアナは可愛い。
・・・などと瞳の中の自分自身に見惚れているわけではなかった、今は瞳の持ち主に注目しなければ。
は他人の瞳を鏡代わりにしていたことを心の中で謝ると、目の前でにこにこしているを凝視した。
間違いない、だ。
絶対にいてはいけない場所に、絶対にいてはいけない人物がいる。
しかも1人で、おつきの盗賊はどこに行った。
は咄嗟に周囲を見回し、の手をつかむと路地に駆け込んだ。
昨日まではどこをぶらついてもいなかったホメロス麾下のデルカダール兵が、今日は町民に偽装してあちらこちらを巡回している。
用意周到すぎる。まるでたちの行動が読まれているかのようだ。
の姿が往来から隠れるよう路地の壁に押しつけると、なんでと早口で尋ねた。





「なんで勇者様がここにいるの。カミュは? どうして今? ねぇ」
ちゃんこそこんな所で会えるなんて思わなかったよ。カミュも聞いたら絶対喜ぶよ」
「私も思わなかったけど、ねえ、だからなんで」
「落ち着いてちゃん。あっ、これがもしかして壁ドンってやつなのかな」
「勇者様、真面目に話聞いて」

「は?」
「僕の名前はだよ。僕がここにいちゃ困るんだったらほら、僕のことを勇者様って呼ぶのは良くないよね」





 なるほど確かにそうだ、が言う通り一度落ち着いた方がいいのかもしれない。
幸いここは奥に細い路地だ、さすがにこんな所までデルカダール兵も覗きには来ないだろう。
他人のいかがわしい行為を覗き見するような悪趣味な連中は、ホメロス隊にはいないはずだ。




「・・・ごめんなさい、急に驚かせちゃって」
「僕の方こそ、いきなり声をかけちゃってびっくりしたよね。でも嬉しかったんだ、ずっとちゃんに会いたかったから」
「私に?」
「うん。上手くは言えないけど、僕はちゃんといなくちゃいけない気がしていたから」
「えっ、ナンパ?」
「うーんどうだろう? でも会いたかったのは本当、あれから僕たち仲間も増えて、今は・・・」
、無事か!?」
「あ、カミュ!」
「露天商からお前が若い女に路地に連れ込まれたって聞いて、ぱふぱふかと・・・って!?」
「ぱふぱふ、とな?」




 デルカコスタのド田舎で純粋培養された勇者はどこに行ってしまったのだろう。
彼はもう、ひと皮もふた皮も剥けてしまったのだろうか。
都会の荒波に揉まれ彼自身もどこかしらを揉み、立派になってしまったのだろうか。
むっつりさんだとは気付かなかった、そういった視線を向けられもしなかったということは即ちこちらの魅力不足なのだろうか。
そしてさすがはカミュだ、顔を見ずとも存在を認識してくれたのはちょっぴり嬉しくて思わず顔が緩んでしまう。
から体を離すと、カミュへ向き直った。
大きな怪我はしていない。
少し日焼けしたようにも見えるが、砂漠にでも行ったのだろうか。
彼の体質で砂漠はきつかろう、行き倒れるようなことがなくて良かった。




、なんでここに? デルカダールに住んでるんじゃなかったのか。まさか、オレたちとの関係がバレて逃げてるのか・・・?」
「逃げてません、ただの観光」
「1人で? お前なんでそうやって無茶ばっかり・・・」
「私のことはいいの。ねぇカミュ、も聞いて。ここにいちゃいけない、今すぐこの町から出て行って」
「出て行けとは物騒だな。けど、オレらには今は他にも仲間がいる。あいつらを置いてオレらだけで動くわけにはいかねぇ」
「そうだね・・・。ごめんねちゃん、いくらちゃんのお願いでもそれは聞けない」
「そんな・・・」
「それにオレらも少しは祭りの雰囲気ってのを味わってみたいしさ。も知ってるだろ、海の男祭り。せっかくだしお前のことベロニカたちに紹介させてくれよ」




 行動を起こす気がない人々には、何を言っても無駄だ。
この上は、彼らが悪魔の子ご一行と兵たちに気付かれず、ホメロスに出会わないことを祈るしかない。
デルカダール兵たちの目は欺けるかもしれないが、ホメロスはたちのことは逃さない。
彼が捕獲のために打った手とやらが何かはわからないが、歴戦の修羅場を命からがら潜り抜けてきた鍛え抜かれた女の勘は、警鐘を鳴らしまくっている。
どこまで幸運であり続けられるだろうか。
どの程度なら白を切ることができるだろうか。
ホメロスを前にした時、平静でいられるだろうか。
どちらを取るのだろうか。
とカミュを両隣に従え、海の祭りで賑わうメインストリートを歩き始めた。
彼らがサンドしてくれているおかげで視界が遮られているのか、すれ違うデルカダール兵は馴染みの店の看板娘に気付かない。
顔見知りを見かけるたびにドキドキする。
足が止まりそうになる。
緊張と恐怖で、全身がふらついているように感じる。
そうだ、言ってしまおう。
いくら仲間を放っておけないとはいえ、ホメロスはともかくデルカダール兵たちが多く出入りしていると知ればたちのお祭り気分も萎むはずだ。
たちを逃したと知ればホメロスは激怒するだろうし今度こそ首を刎ねられるかもしれないが、そうなった時は出奔すればいいのだ。
元より身寄りや家族などいない。
マスターには悪いが、反逆者と知れば納得してくれるはずだ。
は立ち止まると、ねえ、と今日何度目かもわからない問いかけを発した。
とカミュがほぼ同時に立ち止り、顔を覗き込んでくる。





「あ、あの、聞いて」
「うん」「どうした、
「や、やっぱり今すぐ出てって。お願い」
「またその話か。、さすがにしつこすぎるぜ」
「違うの! 今は駄目なの、今だけは本当に駄目なの、だってここ、デ」
「おや、そちらのお兄さんたち! お2人ともサラサラ、ツンツンと髪型が決まっていて男前ですねぇー! そんなに男前なのに見物とはもったいない!
 ぜひ海の男コンテストに参加して下さい!」
「おいおいオッサン、オレたちはコンテストなんかに付き合ってる場合じゃ・・・」
「カミュ」
「ん? どうした。あーさてはお前、オレたちに出ろって言うんじゃないだろうな」
「え、そうなのちゃん。ちゃんが応援してくれるんなら僕出ようかなあ。カミュも出るよね」
「おいおいマジかよ、オレたちお尋ね者だぜ?」
「ねえ、あなたもそう思うでしょう! これだけの男前、ひょっとしたら優勝もあり得るんですよ!」
「出ないで」
も出てけとか出ないでとか何なんだよ・・・。・・・おい。あの男、怪しくないか・・・?」





 受付の前でやいのやいのと騒いでいたカミュが、ふと視線を感じステージを見上げる。
つられて視線を向けたは、ステージ中央で不敵な笑みを浮かべる男の姿に小さく叫んだ。
いた。こんな所にいた。一番いてほしくなかった人物に見つかってしまった。




「・・・フッ。逃亡者は人混みに紛れるもの。このコンテストを利用し貴様を炙り出そうと画策していたが、その必要はなかったようだ。
 まさか人目も憚らず、堂々とコンテスト会場にやって来るとはな」
「ヤツのあの鎧・・・まさか・・・」
「聞きたまえ、ダーハルーネの民よ! この者こそ悪魔の子、! ユグノア王国を滅ぼした災いを呼ぶ者だ!」




 人混みに紛れているからかお仕事モードに入っているからか、ホメロスはとカミュしか見えていないらしい。
恐怖で動けないと勘違いしたのか、立ち尽くしたままのこちらにカミュがここでじっとしてろと叫ぶ。
ホメロスが鍛えたデルカダール兵は精鋭たちだ。
脱獄した時に追撃してきた巡回兵などとは格が違うはずだ。
一方の包囲を破っても、二重三重に囲まれじわじわと追い詰められる。
ホメロスが手を下すまでもなく、このままではとカミュは捕らえられてしまう。
何かないだろうか、どうすればいいのだろうか。
戦闘経験もないこの身が今動いたとしても、彼らの邪魔をしてしまうだけなのでは。
何もできない。
何かを為さねばならない時に、どうすればいいのかもわからない。
ホメロスを止めることもできない。
本当に足が動かなくなってしまった。
視線だけが、デルカダール兵たちの中で乱戦を繰り広げる2人を追いかけている。





「くそっ・・・! いくら倒してもキリがねぇ!」
「無駄なあがきはやめるんだな。さあ、大人しく・・・」
「待ちなさぁ~い! アタシのちゃんにおイタする子はお仕置きよっ!」
「お仕置きよっ!」




 つい最近聞いた覚えのある声が聞こえ、声の主を顧みる。
スイーツ店で知り合った金髪美人姉妹の姉だ。
5人の仲間とは、やカミュたちのことだったのか。
世間が狭すぎる。
新手が現れたことに動揺したホメロスが舌打ちし、兵を差し向けようとする。
どーんと巨大な火球がステージ上のデルカダール兵たちに直撃し、たちを囲んでいた包囲網が崩れる。
包囲の突破を見計らったように現れた美人姉妹の妹が、手際良くとカミュを手招きし脱走を試みている。
我が身の危険を顧みずを支える立派な仲間たちだ。
が、仲間たちを置いてはいけないと即答した理由がよくわかった。
それに比べてこちらはどうだ、逃げてとも強く言えず、ずるずるとステージ近くまで誘導され何の役にも立てなかった。
美人姉妹(妹)に促されステージから立ち去ろうとするたちを黙って見送る。
これでいい、今度もまた無事に逃げてくれれば。
と叫ばれ手を引かれ、我に返る。
まただ。
この男はいつだって、こちらの感情お構いなしに手を引く。
何も知らないくせに。手を振り払うことができないと知っているくせに。




「悪いな、お前を巻き込んじまった」
「カミュ」
「もう嫌も駄目も許さねえ、お前も一緒に来てもらうぜ」
「・・・いや、駄目だってカミュ、だって私」
! 貴様に何をする!」




 白昼堂々人混みをかき分け脱走を図る指名手配犯に手を引かれる姿は、さすがに見つかってしまうらしい。
ホメロスがどのような解釈をしたのかを考える余裕はない。
人をひとり連れているということをもう忘れたのか、全速力で駆け抜けるカミュに引きずられるがままなのだ。
カミュにもおそらく、ホメロスがこちらの名を叫ぶ声は聞こえているだろう。
それでも手を離そうとしないのは意地か、自棄か、それとも。
なかなかを捕まえることができないことに業を煮やしたホメロスが、呪文の詠唱を始める。
黒々と不気味に光る闇色の球体は、勇者が放つ眩い光とは対極をなしているようで目にした瞬間背筋が冷たくなる。
ホメロスはいつからあんな呪文を使えるようになったのだろう。
彼について、知らないことが多すぎる。
ホメロスが放った呪文が、の背中一直線に飛来する。





、あぶねぇっ!」
「えっ」
「な・・・っ、、避けろ!」
「え、私?」




 傍から見れば、間抜けな光景だったと思う。
を庇おうとしたカミュが彼を突き飛ばし呪文の前に立ちはだかったものの、急に立ち止まったために引きずられるままだったこちらは立ち止まることもできず彼を押しのけ、
呪文そのものは勇者ご一行でもなんでもない一般人である自分に直撃したのだから。




ちゃん!?」「!」「・・・くそっ!」
「いったー・・・」




 のた打ち回ることもできない痛みだ、目の前がくらくらする。
地面が近いということは、直撃した瞬間転んだのかもしれない。
狭まる視界に、デルカダール兵たちの軍靴が見える。
絶好のチャンスだ、もカミュも美人姉妹も今のうちに逃げてほしい。
そう思っていたのに、どうしてこの世は望んだとおりにならないのだろう。
最後の最後までおそらくわからなかったのだろう、カミュが庇うように覆い被さってくるのを感じは長く息を吐いた。
カミュのお望みどおり、嫌も駄目も言えそうにない。





「カミュさまっ!」
「オレらのことは構うんじゃない! 、お前だけでも逃げるんだ!」
「・・・さま、こちらへ!」





 たちの靴が消えて間もなく、聞き慣れた靴音が耳に入ってくる。
呻き声が聞こえた直後、体に圧し掛かっていた重みがなくなる。




「てめぇ・・・に何しやがる・・・!」
に触れるな、ドブネズミごときが」




 今までも散々ホメロスの怖い声は聞いてきたし怖い顔も見てきたが、どうやらかつて見てきたあれらはすべて茶番だったようだ。
私も元はドブネズミなのに、将軍てばすごい顔。
もちろんそんな軽口を叩ける体力も余裕もなかったは、ホメロスに抱きかかえられるなり意識を落とした。






私もいきなり会えて、びっくりしたけど浮かれてたんだろうなあ






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