の誘拐監禁ライフは、拍子抜けするほどに穏やかに過ぎていた。
最初の交渉で粘ったかいがあったのか、随分と待遇がいい。
VIP待遇ならぬ天使待遇とも言うべきだろうか。
たまには連れ去られてみるものである。
あんなやり方は二度とごめんだが。




「ふむふむ、じゃああの変な飲み物は神のアクアっていうんだ」
「そう。総帥のZ計画を完結させるために必要なものさ」
「Z計画のZって世宇子のZか!」
「そう。・・・ところで、それを訊いてどうするつもり? 本当にここから出れなくなるよ?」
「どうもしないよ、ただ暇なんだもん、ここ。ねえ、もうちょっと楽しい暇潰しないわけ? 天使をおもてなししてみなさいよ」




 どこが天使だ、堕天使の間違いだろうに。
本当に地に堕としてやろうか、精神的にも肉体的にも。
アフロディはソファーに座り退屈そうに足をぶらぶらと揺らしているを見つめ、額を押さえた。
早く総帥に引き渡したいのに、受け取ろうとしない。
彼女を連れ去ったことで既に犯罪を犯しているというのに、さすがにこれ以上犯罪者、特にロリコンというレッテルを貼られたくないのだろうか。
心配しなくても彼女はとうにロリコンショタコン呼ばわりしている。
ほんとにこの子、よく今日まで人に恨みを買わずに生きてこられたな。
彼女の周囲がさぞかし心優しいか、もしくは彼女の本心が見えていない盲目の連中だったのだろう。
アフロディは今度はふんふんと鼻歌を歌いだしたに声をかけた。
神と一緒にいるのにさも退屈そうに鼻歌を歌うのはやめてほしい。
退屈にさせている張本人のようで少し寂しい。
寂しいといえば、この距離もである。
第一印象がよほど悪かったのか、半径1メートル以内に近付くことを許されていない。
彼女の本性を知った今は、たとえ見目が良かろうと妙な事をする気持ちは失せていた。
けれども、そう言っても信じてくれないのだから今のように奇妙な距離を置いて会話をしている。
相当近くの男性が紳士的、かつ友好的に接していたのだろう。
ちょっと触れようとすると猫が毛を逆立てたように警戒する。
繊細なのか図太いのかよくわからない。
だからこそアフロディは扱いに困り、結局は彼女の好きなようにさせていた。





「試合っていつだっけ」
「明日だよ」
「私はいつ解放されんの? あ、試合は観たいから会場までタクシーよろしく」
「それは総帥に訊いてごらん。勝負が見えてる試合なんて観ても楽しくないだろうに」
「単なる数字の結果じゃ満足できない人がいるから、テレビはハイライト放送してるって知らないの?」




 円堂のマジン・ザ・ハンドはちゃんと完成しただろうか。
世宇子の練習はちらりと見ていたが、神のアクアを使わなくても彼らは強い。
ゴッドハンドでは到底太刀打ちできない技の数々は、円堂だけでなく他の選手たちを傷つけもするだろう。
だからといって同行することはできないが、とりあえず早く友人の顔を見たい。
あんな消え方をしてさぞや驚いただろう。
世宇子には係わるなと鬼道からも散々言われていたのに、敵に本拠地にまで不本意にも侵入してしまったし。
温厚な鬼道もさすがに今度ばかりは怒るだろう。
怒った鬼道はとても怖そうだ。
風丸の優しさディフェンスをもってしても乗り切れるかどうか。
ああ、ペンギン見たいなあ。
ペンギンの話題を振ったら少しは怒りを和らげてくれるだろうか。
振るほどペンギンのネタは知らないが、とりあえず笑っておけといつだったか誰かから聞いたことがある気がする。
誰だっただろうか、そうだあの人だ。
あの人今も元気かな、あの人もサッカー上手だったよなあ。
あの人のおかげでサッカーに興味持ったんだよなあ。
あれ、あの人ってなんて名前だったっけ。
日本人の名前に慣れると途端に欧米人の名前を思い出しにくくなる。
愛称で呼んでいたから尚更、本名が出てこない。
は『あの人』のことをとりあえず忘れると、目の前の雷門対世宇子戦に真面目に取り組むことにした。































 久し振りに見上げた空は、びっくりするくらいに青かった。
はゼウススタジアムのグラウンドのど真ん中でうーんと背伸びすると、ついでにごろりと寝転がった。
もっとぎちぎちに見張られるかと思ったが、影山という男はどうやら、自らの縄張りの中では好き勝手に動いていいというポリシーを持っているらしい。
帝国学園でもあっさりと逃がしてくれたし、こちらを値踏みしているようにも思えてくる。
どのくらい価値があると思われているのかは知りたくもないし興味もないが、どこを見ているのかは気になった。
やはり顔だろうか。
今まで不細工だと言われてきたことはないし、母の容姿を見る限りは数十年経っても美貌を保っていられそうである。
しかし、顔ではない気がする。
そもそも顔でいいなら秋たちマネージャー陣でも良かったはずだ。
あえてサッカー部とは何の係わりもない自分を指名してきたのだから、きっともっと大切な理由がある。
むしろ、考えなしになんとなく連れて来られただけならば張り手の一発くらいぶちかましたい。
乙女の日常をぐしゃぐしゃにして、更に唇まで奪おうとするとは何事だ。
あのアフロ、いつか潰す。
ただ大人しく監禁されていたと思ったら大間違いだ。
神のアクアを使って豪炎寺たちを痛めつけようとするのなら、こちらも神のアクアを逆手にとってやるだけだ。
具体的にどうするかはちっとも考えていなかったが、やる気メーターだけは高かった。





「みんな元気かなー。私の鞄、ちゃんと回収してくれたかなー」



 うっかり鞄を落としてしまったせいで、手元にある私物は制服しかない。
鞄の中に入れたままの弁当箱が不安だ。
誰かが気付いて洗ってくれていたら助かるが、そうでなかったらカビや腐敗といった悲劇が弁当箱を襲っているかもしれない。
見られて困るものは入れていなかったはずだから、別に誰に見られても構いはしない。
できることならばマネージャーたちか豪炎寺に回収してほしいが、この際半田でも文句は言うまい。





「・・・さて、行くかな」




 得体の知れない研究員に連れて行かれる前に、さっさと指定の部屋へと向かう。
本当に訳のわからない構造をした会場だ。
雷門の控え室に行くのは相当骨が折れる作業だろう。
道に迷って歩きすぎた挙句、筋肉痛になってしまうかもしれない。
もっとも、今日は彼らの元へはよほど無茶をしないと行くことができないだろうから筋肉痛の心配はなかったが。
ふんふんと鼻歌を口ずさみながら指定の部屋に入る。
あれ、なんだかここ、言われた部屋と違う気がする。
引き返そうかとも思ったが、少し奥でぐつぐつと音を立てて動いている機械に興味が湧きそのまま侵入する。
大きな浄水器のようだが、中身は何だろうか。
近くにあったコップに捻った蛇口から出てきた液体を注ぎ口に含んでみると、全身に静電気が走ったようになる。
少しばかり目眩もするし、一体何を精製しているのだこの浄水器もどきは。
うーんと考え込んでいると、外から複数の人数の足音が聞こえてきた。
まずい、いや、別にまだまずいことはやっていないが、ここに勝手に入ったのはまずいとしか思えない。
今更外に出るわけにもいかず、慌ててダンボールの箱の中に隠れ上に空き箱を載せてみる。
大きなダンボール箱があって良かった。太っていなくて良かった。
は息を潜めると、やって来た研究員たちの会話に耳を澄ませた。




「いいか、10倍で希釈するんだぞ。総帥は雷門ごときには10倍で充分だと仰っている」
「これを飲んだら俺らも強くなれるのかな」
「さあな。原液のまま飲もうと思うなよ。効きすぎて下手したら死ぬらしいぞ」
(げ、私死ぬの!?)




 昔、豪炎寺の父親から聞いたことがある。
子どもの体は大人に比べて小さいから、薬も大人と同じ分量を服用すると効きすぎてしまうと。
どうしよう、50ccは軽く飲んでしまったがもしかして死んでしまうのだろうか。
通常10倍で薄めて飲むものだからええと、ペットボトル1本分の神のアクアを一気飲みしてしまったということだ。
ダンボールの中で真っ青になっている間に、研究員たちがいなくなる。
はダンボール箱から出てくると、神のアクアらしい粉末を浄水器から取り外した。
こんなものがあるから、こんなものと水を混ぜ合わせるからうっかり死んでしまうかもしれないのだ。
は粉末を先程のダンボールの中へ捨てると、代わりに薬品棚の中から『NaCl』とラベルが貼られた瓶を取り出した。
理科はどの液体も水に見えてしまうほどに苦手だが、これはわかる。
『NaCl』とかやたら難しく書かれているが、いわゆる塩だ。
このくらいは覚えておけと木戸川時代の豪炎寺に試験勉強の時に教えてもらった。
10倍に薄めるのだから塩水で充分いけるだろう。
塩の隣に置かれていた『KCN』と書かれた理解不能の物質を放り込むよりもまだ、塩で手を打って冒険をしなかったのだから褒めてほしい。
本当は手当たり次第に粉末を投入したいくらいである。
それをしなかった自分は本当に天使だと思う。
塩水など、サッカーで汗を掻いた人間には神のアクア同然である。





「前半は間に合わなかったけど後半はいけるね。よし、頑張れ修也、みんな!」




 は今まさに決勝戦を始めようとしている雷門イレブンに声援を送った。






「KCN」・・・青酸カリ。うっかり混ぜると本気で死ぬからやめてね






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