炎天原へようこそ     終







 人生、何が起こるかわかったもんじゃないだねえ。
凌統は目の前を早足で歩くと彼女の後をこれまた早足で追いかける陸遜を見やり、ぼんやりと呟いた。
陸遜が寝込んでいる間に何があったのかは誰も口にしないからわからないが、以前よりも悪化している。
陸遜は所構わず公然と好きな女の尻を追いかけるようになり、はさらに露骨に陸遜を詰り避け疎むようになった。
男女の関係をがらりと変えてしまうような艶っぽいことでもやったのだろうか。
いやだかしかし、一般論と経験則から言えばそういう関係を持つと仲は良くなり、少なくとも罵声を浴びせられることはなくなる。
軍師さん難しい恋してるねえと零した凌統に、隣で笑みを湛え2人を見つめていた恋人がそうでしょうかと返す。
とてもわかりやすい恋をしているように思う。
わかりやすすぎて、だから恥ずかしさや照れを通り越してただただ疎ましく思えるのだ。
難しくはないが、愛される方は大変だなと少しばかり同情してしまう。
こんな考え方ができるようになっただけ、自分も少し恋に強くなったのかもしれない。






「あれでほんとにさんが落とせると思ってんのかな、軍師さんは」
「あるいは、もう既に陸遜殿の策にはまっているやもしれません」





 あれで落ちるんならさんもよっぽどの変わり者だっての。
凌統は今にも振り返って陸遜を足蹴にしそうなに向け小さく手を振った。







































 こいつと係わるとろくなことがない。
はとても高貴な身分の者が訪れる場所ではない食堂まで追いかけてきた背後に控える変質者に、振り返ることもせず邪魔と言い放った。
前方にいた兵が自身が言われたと思ったのか、突然のの叱責にびくりと体を震わせる。
駄目ですよ殿、人に八つ当たりしてはいけません。
すかさず背後のごく近しい、耳に息がかかる距離から密やかな声で囁かれ、もう一度邪魔と声を荒げる。
ああもう嫌だ、これでは仕事を探すこともできない。
背中の荷物が邪魔で、どこも仕事を恵んでくれない。
は主に背中のゴミにざわめく食堂から立ち去ると、こんなこともあろうかどころかここ毎日こんなこと続きのため用意することが日課となった手製の弁当を食べるべく、中庭へと足を運んだ。
求職中で決して多くはない俸禄の中から食費までやりくりするのは辛く、日に日におかずが減っているような気さえする。
素朴でとても美味しそうですねと当たり前のように隣で昼食を広げ食べ始めた陸遜の弁当をちらりと視界に入れ、は思わず吹き出した。





「黒焦げ」
「火を使えばいいと言うのでやってみたのですが、私は人や建物を燃やす方が性に合っているようです」
「火計と同じ加減でなんて馬鹿みたい」
「ええ、私は馬鹿です。ですから殿の美味しそうにして貴重なおかずをいただきます」
「ちょっと、やめて下さい! ていうかなんでいるんですか邪魔ですほんとどっか行って!」
「嫌です。こうしてずっと一緒にいれば、いつか殿は音を上げて私に屈してくれます。勝利のためには持久戦、相手を兵糧攻めすることも厭いません」
「私はやっぱり敵ってことね」
「ですからそれは違うと! わかって下さらない殿の今日のお昼は私はすべていただきます、兵糧断ちは立派な戦略ですから」
「本当に嫌いです陸遜殿」





 なけなしの弁当をすべて奪われ、絶望と空腹と怒りで頭の中と目の前が真っ白になる。
こいつめ、こうすることによっておやつをせびりに来るとわかった上でやっているのだ。
しかし甘い、今日はようやく新しく決まりそうな仕事場に挨拶に行く予定があるので友人の元へは出向かない。
凌統や甘寧と知り合いで良かった。
友人が意外と人脈のある人で良かった。
気を取り直し白湯だけ口にしていたに、陸遜は思い出したように声をかけた。





「そういえば、3日後から私の元に新しい手伝いが入るんです。今日いらっしゃるのでこの後はお相手できないんですがどんな方だと思いますか? お茶請けは何がいいですか?」
「肉まんとシュウマイと饅頭」
「わかりました。ふふ、これからは仕事が捗ります」





 この男、新人にすべての仕事を押しつけ自身は遊び呆けるつもりだ。
なんと酷い男だ、こんな男の元に行く子が哀れだ。
育ちが育ちなので給金は相当に弾まれそうだが、彼の元へ行くくらいなら甘寧の元で血気盛んな男たちと連日の酒盛りをやっていた方がまだいい。
陸遜を追い払った数刻後、新しい仕事場へ赴いたは両腕を広げ肉まんなどを用意し待ち受けていた新しい上官の顔に、職務経歴が書かれた木簡を投げつけていた。







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