かたきどもの遠吠え     12







 以前もそうだった。
肝心なところで彼女は一応は上官であるこちらを置き去りにし、遠くへ去っていく。
繋ぎ止めるのに必死でその度に腕を伸ばすが、人並みの太さと長さしかない己が手はいつも容易く彼女を手放してしまう。
命がけで愛しているなどとはとても言えない。
むしろ、命がけで守られているのはこちらの方だ。
誰の背中を見て育ったのはわからないし知ったところできっといい気分にはならないが、は時折凄まじい無茶をする。
命を捨てるような行動はしないとあらゆる人に叱責され誓ってからも、何が彼女をそうまで駆り立てさせるのか体を張り続けている。
守られるような命ではないのに。
刈り取られるべき仇なのに。
賈クはが消え流されていった濁流から目を逸らすと、残された数少ない部下たちを顧みた。
皆、一様に傷ついている。
水門周辺の関平軍はひとまず撃退したが、万が一増援がやって来たとしても交戦できるだけの余力はどこにも残されていない。
関平にもうひと暴れされたら、今度こそ壊滅する。
ここで関平を仕留めることは、今後の曹魏の展開を考えるとやめておきたい。
劉備軍の敵意は孫権軍に向けさせておきたい。
しかし、いつ訪れるともわからない幸運を待ち続けるわけにもいかない。





「・・・剣を、貸してくれ」
「賈ク様、しかしそれでは」
「なぁに、剣なら誰の仕業かわかるまい」





 手渡された剣をすうと抜き、正眼に構える。
戦場に出る者の嗜みとしての心得はあるが、普段使いこなすことにないそれは手に馴染みにくく振るうことを躊躇う。
こんな事態になるのであれば、と共に鍛練を重ねておくべきだった。
彼女が振るう剣は、彼女自身は気付きもしていないのだろうがとても綺麗なのだ。
無駄がなく俊敏で、姿が見えなくなったと瞬きしているうちに懐に入り込まれてしまう。
その技を得るまでにいったいどれだけの修行を続けてきたのだろう。
何を思い戦場に赴いていたのだろう。
少なくとも、仇を守るために命を散らす予定は微塵もなかったに違いない。
こちらとて、に守られ生き永らえるつもりはなかったのだ。
あんたが死んだら、誰が俺を殺すんだ。
剣を構え続けていた賈クは、背後の草むらから感じた人の気配に口を開いた。





「・・・何者だ? 悪いが今は取り込み中だ、俺らの敵なら見逃してほしいところだが」
「そう言われてほいほいと引き下がる馬鹿がどこにいるんだっての。ああでもあんたなら逃げちまいそうだ、なあ?」
「けっ、おめえこそちゃんと討てんのかあ? てなんだよ、曹魏の連中か。随分と派手にやったみたいだな」
「あれ、ほんとだ。戦功を上げるいい機会だと思ったんだけど残念。けどまぁここで会ったのも何かの縁だ、手は貸すぜ?」





 口ぶりだけは馴れ馴れしい、けれども警戒心はちっとも解いていない孫権軍の将2人を交互に見やる。
現れたのが関羽軍でなかったと安堵する半面、新たな局面に気を引き締める。
直接対峙したことはないが、手にした得物から彼らが何者かは推測することができる。
先の合肥の戦いでは鬼神のごとき戦いぶりを見せ、あの張遼の追撃から主を守り抜いたと聞く。
下手な動きをしようものなら2人の手にかかって闇に葬られかねない。
はったりは得意だが、正面から屈強な武将を相手に大立ち回りなどやるより先に結果は見えている。
さて、どんな手を借りようか、軍師の頭の使いどころだ。
賈クは剣を収めると、お手上げといったように手を振った。





「大事な副官が流された。今すぐ合流したいが、こいつが厄介だ。悪いが引き取ってくれないもんか」
「おいおい正気か? こんな大手柄譲るなんて頭大丈夫か?」
「百の手柄より1人の命さ。どうだ、あんたらにとっても悪い話じゃあるまい?」
「おいちょっと待てあんた、話が良すぎるっての。何が狙いだ?」
「そりゃあ当然関羽の首・・・って言いたいところだが、今はまず部下の無事だ。こうして今、あんたたちと話してる時間すら惜しい」





 嘘偽りは言っていない。
相手がどう捉えるかは知ったことではないが、足止めするには充分な餌も残してきた。
殺す前に彼らが現れて本当に良かった。
が命をかけてつかみ取った大戦功を内緒であろうことか他国にくれてやったことについては後で嫌味を言われるかもしれないが、
それで彼女と話す機会が増えるのであれば怒りも叱責も褒美のようなものだ。
と知り合ってから、どうにも自分の性格が変わったように思えてならない。
つくづく恐ろしい女だ、責任を取ってもらいたいのはこちらの方だ。
賈クは突然降って湧いた大手柄の処遇を考えているらしい呉将2人を置き去りにすると、濁流の終着点へと走り始めた。
















































 借り受けただぼだぼの戦袍を持ち主に黙って改造し、動き回るに支障が出ない状態まで仕立て直す。
命じられるがままに休息していたおかげで、足腰も万全とまではいかずとも戦えるくらいには回復した。
最前線で戦うことはできないが、後方で矢を射かけ紛れ込んだ敵兵と切り結ぶくらいはできる。
満寵の読みは正しく、押し寄せてきた濁流は時と共に引いていった。
引くにつれ被害の状況も明らかになってきたが、壊滅した部隊はともかく無事だった隊はどれも踏み止まって応戦している。
賈ク隊はどうなっているのだろう。
賈クは関平に圧倒され一時戦闘離脱こそしたが、致命傷ではなかったし別れる直前には猛然と動いていた気もするので恐らく生きているはずだ。
実に奇怪な趣味だと思うが、彼は今でも自分に首を取ってほしいらしい。
上司がそのような嗜好を持っているとは思わず対処の仕様もわからないので放っておいていたが、今となっては彼の夢を信じて無事を祈るしかない。
関平に深手を負わせた手応えは確かにあったが、彼は死んではいなかった。
土壇場での人間の力は本当にすごいと思う。
尽きているはずの力を命を振り絞り圧倒的な武を見せつけた人を、はよく知っている。
強くて優しくて、今までもこれからもずっと忘れることのない大好きな家族のような人。
賈クはもちろん家族ではなくて、どちらかといえば家族をぶち壊した側だ。
しかし今はそんなことを思い、殺してやりたいと憎むこともなくなった。
水門から無事に脱出し、樊城まで辿り着いてほしい。
そのためならば今できる限りの力で彼らの行軍を援護するつもりだし、それを為すだけの体力は整えた。
は満寵考案なのか、許昌では見たこともなかった形状の弓矢を手に取ると城壁へと急いだ。
梯子をかけよじ登ろうとしてくる関羽軍の兵を蹴落とし、工作兵に向け矢をつがえる。
誰もが皆必死で戦っている。
生きるか死ぬかは紙一重だ。





、後ろ!」




 鋭く名を呼ばれ、背後から襲いかかろうとした敵兵の足元を掬い城壁から突き落とす。
やはり使い慣れない剣ではいつもと勝手が違う。
もう少し後退し、後方からの斉射のみに集中した方が邪魔にもならずいいのかもしれない。
どうしたものかと脳内で作戦を立てながら敵を斬り伏せていると、剣戟の音に負けない大音量で再び名を叫ばれた。




! おまっ、賈ク殿は!」
「私だけ先行してこちらに。賈ク殿は無事・・・だといいのですが、大人しく待ってもいられないので城壁で出迎えようかと」
「ここにいるってことは、戦えるって考えていいんだな!」
「多少怪我はしたけどええ、このように」




 李典の背に隠れながら矢をつがえ、ひょうと放つと狙い過たず敵兵の額を射抜く。
共闘するのは実は初めてだったが、案外立ち回りやすい。
伊達に長く付き合っているわけではなかったらしい。
李典はへえと呟くと、再び前へ立ちはだかった。
どうやら背中を預けてくれるらしい。




「惚れ惚れする戦いぶりだな。・・・いや、何言ったんだ俺」
「知ってる。そういえば返事は」
「それは今言ってくれるなよ? どっちに転ばれても平静でいられなくなるから、俺」
「いい予感と悪い予感、どっちがする?」
が幸せになれるんなら、それが一番いい選択!」





 愛されているなあと感じる。
こちらは家族としてしか愛せないのに、充分すぎるほどに愛されていたのだなあと今更ながらに実感する。
答えは既に決まっていて後は彼に伝えるだけなのだが、おそらくどちらを選んでも李典はそうかと笑って言ってくれるのだと思う。
自称教育係が職務を全うしないまま逝ってしまったので色恋沙汰には疎いままだが、李典は拗らせすぎたと思う。
そうさせてしまった原因が決して口にしてはいけない感想だが。




「ねえ、李典」
「どうした。どこかやられたんならすぐに退け」
「李典は長生きしてくれる?」
「・・・・・・それはすごく、やな予感しかしない」





 その手の予感は、覆しようがないのだから嘘も気休めも言えない。
この子はいつからか、親しい人物の命数に気味が悪いくらいに聡くなってしまった。
李典は戦いの手を休めることなく敵を倒し続けるの小さな背中を、じっと見つめた。







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