かたきどもの遠吠え     9







 上が違えば兵も違うとは、こういうことを言うのだろう。
再編したてで、賈ク軍の色に染める前で良かったと今は言うべきか。
は先日の酔いどれへべれけ具合はどこへやら、勇ましい将軍としてきびきびと兵たちをまとめ上げ行軍させている楽進と李典を眺め改めて感心していた。
急ごしらえの兵たちを隊としてまとめ、実戦へ即投入するのは至難の業だ。
指揮系統がはっきりとしていなければあっという間に陣は崩れ士気も下がり、散り散りとなった兵たちは敵の格好の的になる。
殊に、今回の救出戦は苦戦している状況での参戦が濃厚なのでさらに厳しい。
2人が戻ってきてくれていて良かった。
これならば賈クも少しは余裕を持って軍師としての職務に励むことができる。
あれはいつも飄々としているが、実はとても忙しい人なのだ。
西へ東へと変わる戦場に応じ兵を割り振り作戦を決め、いよいよ自らも樊城へ向かわなければならなくなったほどに重宝されている。
己が才能のみでよくもここまでのし上がったなと思う。
曹操の下でなければ果たしてここまで厚遇されていただろうかと考えると、彼の元で働くと決めた賈クの人を見る眼もまた才能のひとつだったのだろう。
良くも悪くも合理主義の曹操だったからこそ、過去の恩讐を越えて今がある。
こちらとて、今ではすっかり毒牙を抜かれてしまっている。






「こりゃ、戦が終わってもあの隊は両将軍のものだな」
「お2人がいて心強い限りです」
「初めは渋い顔をしていたのに随分な心変わりなことで」
「楽進と李典、2人の将軍がいれば兵の動きも良くなります。私はあの方たちの下に就いたことはありませんが、あの軍は神出鬼没とよく聞きます」
「確かにいい組み合わせだ。楽進殿が先陣を切り攪乱した隙に、李典殿が側面から襲う。簡単なことではないが、あの2人はそれをやってのける」
「そんな素晴らしい将軍からも副官のお誘いを受けたのですが」





 夜営先の兵舎の前に並んで立っていた賈クが、聞いたこともないような声を上げは思わず上司を仰ぎ見た。
いつものようにさらりと流すと思いきや、喉にでも詰まらせたのかもしれない。
水でも汲んでこようか。
急に顔色の悪くなった彼を残しておくのも不安だが、子どもではないのだから真に調子が悪くなれば人を呼ぶだろう。
川辺へと背を向け足を踏み出したは、ぐいと腕をつかまれ立ち止まった。
ついこの間、似たようなことをされた気がする。





「楽進殿・・・いや李典殿か。あの御仁はわかりやすいお人だとは思っていたが、そう切り出されるとまでは考えちゃいなかった」
「酒の席での冗談でしょう。三食昼寝つきにおやつまで・・・なんて少し考えてしまいませんか」
「不満があるなら改善はする、生憎とうちは人手不足で余所に人をやる余裕はない」





 戦場に近付いていて気が逸っているのか、賈クの表情はいつになく険しい。
少し場を和ませようとしただけだったのだが、言う場所を間違えてしまったようだ。
上司との距離の取り方はとても難しい。
向こうが口癖のように副官就任要請をしているのでこちらもその話題を出しただけなのに、こうも気を悪くされるとは思いもしなかった。
は賈クの手をやんわりと解くと、ありませんと返した。
小さく首を傾げたわかっていない上司にもう一度、今度ははっきりと不満はありませんと念を押す。





「以前も言いましたが、私は前線で戦う方が性に合っているのです。ですから賈ク様はどうか、私が最も力を発揮できる策を」
「策を与えた結果、前線で戦えなくともあんたは俺の軍にいてくれるのか」
「それが曹仁様を救う最善の策ならば、拒む理由はありません」
「そうか。・・・斥候の報告だと、どうやら関羽軍は樊城を水攻めにするつもりらしい。もしその策が成れば曹仁殿でも危うい。
 そこで俺たちは関羽軍の迎撃と水攻め阻止の二手に軍を分ける。俺とあんたは水門を奪う」
「樊城への救援へ楽進様たちということですか」
「そうだ。あんたの話も聞いて確信した、あの将軍たちなら間に合うってな」
「承知しました。水門へは少人数の行軍、それも今すぐにですね」
「察しのいい部下を持って俺は幸せ者だねえ。そりゃあ余所からもお誘いが来るわけだ」






 曹仁の救援に直接出向けないのは本当は少しだけ残念だが、水攻め阻止はとても大切な任務だ。
水門を占拠しているであろう将を退けなければ樊城は水没し、城に籠もる曹仁たちはもちろん救援に向かった楽進と李典も危険な目に遭うことになる。
賈クと共に進軍するので誤りはないと思うが、少数での戦いをしかも早期に終わらせなければならないので時は一刻を争う。
は彼らの兵舎で深刻な顔で話し合っている2人を見やった。
ちらとしか姿は見えないが、今度の戦も2人ならば必ずやってくれると信じている。
無事帰還した後の話など知らない。
今は考えたくないし、きっと戻ってからもその気持ちは変わらない。
いっそいつも以上に暴れ回って、やはりこんな暴れ馬はいらないと目を覚ましてやるのも優しさのように思えてくる。





「指示を、賈ク様。私はいつでも」

「はい」
「俺から離れないでくれ。あんたに何かあれば、俺はとても困る」
「あなたを殺す者がいなくなるから、でしたか?」
「どこへ行っても血生臭い戦場だ。だったらせめて死ぬならあんたにやられたいんだよ、そのくらいねだっても罰は当たるまい?」
「本当に変わった人だと思います、あなたは」






 無論死なせるつもりはない。
殺すつもりは今はもうないが、彼がそう思っていることで無茶な戦いを控えているのならばずっと思わせておいておきたい。
殺意は漂わせていないはずだが、長く染みついてしまったものはそう簡単には消えてくれないのかもしれない。
復讐心を抱き続けるのはとても辛い。
今回は従軍しなかったが、いつか夏侯覇もその気持ちを清算してまっとうな戦い方ができるようになってほしい。
そうでないと、人は人でなくなってしまう。





「さて、じゃあ行くとするか
「はい」





 本隊を離れ、暗い脇道に入る。
本隊の指揮を任された李典とちらりと目が合い、は無言で片手を挙げた。







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