恋人は天使か悪魔          2









 いつになくピリピリとした緊張が張り詰めた会議場に、馬超は大きな戦の臭いを感じ取っていた。
一軍を率いる将のほとんどが集まっている。
これほどの規模なのだから相手は無論曹操か。
馬超は己に流れる武将としての血が騒ぐのを、どこか冷静に感じていた。
なぜだろうか、父を喪った当初は右も左もわからなくなるほどに血眼になっていたのに今はそれはない。
曹操への憎しみが薄れたわけではなかった。
ただ、周囲も見渡すことができる視野を手に入れていた。
劉備軍に身を投じてから、少し違う方向にも成長したのかもしれない。
いつまでも武のみを恃みにしていては乱世を生きていけない。
馬超は少し寂しくはあったが、統率の取れた軍の一部に組み込まれている自身に及第点をつけた。





「・・・大きな戦が始まりそうだな」
「えぇ。私たちも死力を尽くして戦わねば、馬超殿」
「・・・そうだな」




 趙雲が発した『死力』という言葉を聞き、馬超は複雑な気持ちになった。
趙雲は劉備からの信頼も厚い猛将だ。
趙雲自身も劉備に心酔しているため、戦となればそれこそ『死力』を尽くして戦うだろう。
もちろん将としての心構えとしては悪いことは1つもない。
むしろその昂ぶりを称えたいくらいだ。
だが、死力を尽くした上で本当に力尽きてしまったらどうだろう。
滅多なことを考えるべきではないとわかっている。
こんな悲観的な発想を戦の前にしてはいけないと、もちろん心得ている。
趙雲は万余の兵を相手に1人で立ち回っても、殿の愛息を守り抜くほどの猛将だ。
力尽きるはずなどないのだ。だから、自分が余計な心配をせずとも良い。
にも、今までのように笑顔で行ってくると告げて出陣すればいいのだ。
馬超は頭から趙雲と妹を振り払うと、間もなくやって来るであろう劉備と諸葛亮の到着を待つことにした。
今回の戦には、おそらく2人も出陣するだろう。
それほどに大きな戦になると馬超は確信していた。








「皆の者、よく集まってくれた。これより軍議を始める!」





 南瓜頭巾を被った軍師を従え颯爽と現れた劉備が声を上げた。
主君の言葉に部屋がしんと静まり返る。
参加している将たち全員の視線が劉備と諸葛亮の口元に注がれる。
劉備は座を一度ぐるりと見回して、大きく頷くと口を開いた。





「此度の戦は曹操と直接対決となる! 敵は精強で兵力も多い。我らも最大の力を発揮して戦う!」
「我らが目指すべきは曹操の首ももちろんですが、定軍山と挿旗山、まずはこの2つの地点を中心とします。初めに挿旗山を奪い、そして定軍山へ全軍で進撃します」




 中央に広げられた巨大な地図を羽扇で指しながら諸葛亮が淡々と説明を始める。
図面上を彩る緑色の駒を眺めながら、馬超は自身の配置場所を想像していた。
挿旗山を奪取する隊と、直接曹操軍本陣である定軍山に進軍する隊とに分かれるだろう。
相手は挿旗山の防備はひたすら固め、主力を劉備軍本陣にぶつけてくる可能性がある。
本隊の方が性格に合っていると馬超は思った。
光速で真正面から敵にぶつかり、行く手を阻む輩を片っ端から蹴散らす。
馬超が最も得意とする戦法だった。





「軍は二手に分かれます。殿が率いる本隊と、私や黄忠殿を軸とした別働隊。趙雲殿は、本隊の先鋒を務めてもらいます」
「わかりました」
「馬超殿は本隊の後詰めとして待機してもらいます。別働隊が挿旗山を奪取したと同時に進軍開始。
 ・・・万一の際は、殿が控える本陣に曹操軍を侵入させないための抑えとなっていただきます」
「いずれにせよ、曹操軍が我が部隊を抜くようなことはさせない」





 何かあった時は、自分が最後の抵抗となる。
劉備軍が敗走するなどということはないが、それなりの覚悟を持って臨むべき役目だった。
その後も諸葛亮が細やかに将たちに指示を与えた後、軍議は解散された。
これから兵の訓練を更に厳しくすべきだった。
何が来ても、何を襲っても打ち勝てるような、より精強な兵に仕上げる必要があった。
劉備や諸葛亮はそれを求めていた。





「岱、人を放ち我らの待機場所付近をよく調べさせろ。間道はもちろん、ちょっとした細道も見逃すな」
「心得ました。これから忙しくなりますね、従兄上」
「戦だからな。久々に曹操と正面きって刃を交える。血も滾ってくるというものだ」
「えぇ。曹操の首は劉備軍の悲願であり私たちの積年の望みでもあります。一刻も早く奴を血祭りに上げ、亡き一族の墓前とに報告せねば」
「そうだな」




 その後も2人は屋敷の道中、戦の向けての話を続けた。
兵のこと、武器のこと、馬のこと。
話しているうちに、馬超は従弟の成長を感じていた。
仇を討つために挙兵した当初はまだ武将としての器は未熟で、馬超自身もあまり彼をあてにせずただ指示を与えるだけだった。
しかし連戦に次ぐ連戦のおかげで、馬岱も将器を磨いたのだろう。
今ではほとんど対等に話し合うことができるようになった。
その成長が馬超は嬉しかった。





「岱、お前も立派になったな。そのうち俺の副将ではなく一軍の将として活用されるやもしれんぞ」
「何をおっしゃるかと思えば・・・。私はただ、従兄上の欠点を補うために精進したに過ぎません。頭に血が上ると周りが見えなくなる従兄上を宥め、諭すのが私の役目です」
「・・・本当に言うようになった、岱」





 ふふふと綺麗に笑う従弟を見やり、ほんの少し恐ろしくなった馬超だった。




























 は、買物帰りに出会った星彩と甘味処で時間を潰していた。
聞いてほしいことがあるのと珍しく相談されたため店に入ったが、星彩が口を開く気配はない。
元々それほど口数が多い子ではないので気長に待つしかなかった。





「・・・は、趙雲殿と上手くやってるの・・・?」
「え? あぁうん、まぁ・・・。兄上がうるさいから思うように会えないけど」
「・・・やっぱり、身内ってそういうのにうるさくなるのね・・・」





 ほぅ、とため息を吐いた星彩をはきょとんとして見つめた。
星彩が言う『そういうの』とは、男女の恋愛のことを言っているのだろうか。
いや、話の流れからしてそう受け取るしかない。
では相手は、と思いはぱぁっと顔を輝かせた。





「あれ? 星彩って関平殿とお付き合いしてたの? やっぱりそうなんだね」
「どうして関平って・・・」
「だって、他に釣り合う人いないでしょ。へぇ、良かったねお似合いだよ」





 お似合いと言われた星彩の顔が少し紅く染まった。
趙雲の更に上を行く生真面目で奥手そうな関平だが、大事なことはきちんとこなしていたのか。
さすがは軍人の息子、根性は据わっている。





「聞いてほしいことって、もしかしてそれ?」
「ううん・・・。・・・関平、次の戦に勝ったら荊州の関羽様の所に行くんだって・・・」




 一緒にいられないのが少し寂しいと呟いた星彩の表情が曇った。








分岐に戻る