恋人は天使か悪魔          6









 趙雲は、馬岱の確認するかのような問いかけに眉を潜めた。
が自分の元を訪れないのは気を遣ってからか、もしくは馬超たちの差し金とばかり思っていたのだ。
だから彼の『趙雲殿の元へも』という言葉が変に引っかかった。
まるで行方知れずになったかのような口ぶりだった。





「戦をすると殿が最初の軍議を開きその帰りに会ったきり、殿の姿すら見かけていない」
はいずこかヘ修行に出たのだ」
「修行? いったい何の、誰の元へ?」
「わからぬ。ある朝、何の前触れもなく修行に行くと置き手紙があっただけだ。家族たる俺や岱にも何も告げずに、だ」





 星彩殿や関平殿とも会っていないようですと言い、馬岱はほうとため息をついた。
放っておくと決めたものの、こうも何の音沙汰もないと不安になる。
せめて友人たちには会っているのではと希望を託し尋ねても、逆に彼女はどうしているのかと訊かれてばかりだった。
山奥に籠もっているわけでもないだろうに、手紙の一通も寄越さないとは。
逃亡生活が長く手紙をしたためても送る相手が不在だった人生なので、文を寄越すという手段に思い当たらないのかもしれない。
もう少し全うな教育を施していればこのような事態にはならなかったものを。
馬岱は大らかに育てすぎた遠い故郷の亡き人々を、ほんの少し恨めしく思った。





「あいつがどこにいるのかわからん以上説教もできん。趙雲殿もを見かけたら、文の一通くらい寄越せと言っておいてくれ」
「わかった」




 いい意味でも悪い意味でも、いつでも彼女は自分を飽きさせないものだ。
戦も間近に迫っているというのに、頭の片隅にのことを案じる空間ができてしまった気がする。
今回の戦は曹操との直接対決で、余計なことを考えず死力を尽くして戦うと決めていたのに。



(だが、彼女は余計なことではないな・・・。第一、そうだと知られれば怒られるどころでは済まない)




 に会ったらきつくお小言を言わなければならないと意気込むと、趙雲は兵の訓練場へと戻って行った。



























 はひたすら包帯を巻いていた。
より早く、より安定性が出るように。
どうしても物資が乏しくなる戦場で、いかに節約してそれらを活用するかに重点が置かれていた。
使いすぎると、本来救えるべきだった兵に充てるそれがなくなってしまう。
緩く巻いてしまえば行軍途中、あるいは戦闘中に解けてしまう。
分厚くすると、その上から甲冑が着込めなくなる。
怪我の治療と一口に言っても色々あるものだと、は白い包帯を見つめ思った。
これが終わったら、次は戦場での薬の煎じ方とやらを習うらしい。
すり潰して患部に塗りたくるだけだろうと思っていたが、これはの知識とそう変わらなかった。
ただ、使う薬草の種類が遥かに多く、毒草までどうにかして薬として使うのには驚かされた。
そんな猛毒、怖くて人には使えない。
分量を間違えたら失明の恐れもあると念を押されてからは、戦場で使おうという気が失せた。
教官も非常の時と言っていたので、使わないことにする。
癒すはずが人を傷つけたとあっては、責任も取りきれない。





、そなたの配置が決まったぞ」
「・・・そうですか。どこですか、私の戦場は」
「激戦地となるであろう詰所だ。私と共に、前線で傷ついた兵を癒すことになる」
「いや、無理ですって。どうせ私が戦えるとか、そんな虚言で決まったんですよね」
「だから謙遜は良くないと言っているだろう、まったく・・・」





 謙遜ではない、これは事実なのだとは口を尖らせた。
しかし董医師は聞く耳を持たず、私が守られるやもしれぬなと冗談まで飛ばしている。
ふざけるな、人を守るなんてできない。
馬に乗らなければ自分はただの娘なのだ。
の命が懸かっている必死の弁明が聞き入れられることは、遂になかった。




























 馬超と馬岱は薄暗い部屋の中で相対していた。
出陣前夜になっても依然として行方が知れないの身を、本気で案じていた。
諸葛亮が絡んでいるかもしれないと知り、その思いはさらに強くなっていた。





「諸葛亮殿のことです。おそらく、我々がいない時間を見計らいを訪ねたのでしょう」
「俺もそう思っている。しかし・・・、なぜなのだ、あいつは馬にしか乗れんただの小娘だ」
「えぇ、武芸を嗜むことは私も従兄上も阻止しましたから。・・・諸葛亮殿が何かなさったとして、何を要求されたのかわかりかねます」





 手っ取り早く諸葛亮に尋ねればいいのかもしれないが、それによって得られる答えが自分たちの望むものとはかけ離れていることはわかっている。
が口を開かなかったのだ。
たとえ何かあったとしても、体よくはぐらかされるに決まっていた。





「どうしますか従兄上。出陣するとしばらくは、本気でのことを忘れなければなりません」
「・・・出陣前夜も家を空けているくらいだ。よほどの事なのだろう、それも俺たちが到底手助けできないような」
「・・・まさか、戦場で再会するようなことは「ありえん」





 馬超は従弟の言葉をぶち切った。
戦場で再会などあってたまるか。
そんな酔狂なことが起こったら、諸葛亮にどういうことだと即刻で詰め寄ってやる。
戦いなんて知らない玲緒が、逃げるわけでもないのに戦場にいるなどありえないのだ。
そう思いたかった。
―――しかし、馬超は『ありえない』ことが世の中簡単に起こることを身をもって知っていた。
自分にあんなに可愛らしい異母妹がいることも『ありえない』ことだったし、父を突然亡くしたのも『ありえない』ことだった。
涼州で挙兵して壊滅し劉備軍に身を寄せたのも、士気盛んだった挙兵当初からしたら『ありえない』落ちぶれ方だった。
だから、馬超は誰よりも『ありえない』という言葉の脆さを知っていた。
今こうしての行方について案じているが、やはり彼女も本当は『ありえない』様な場所にいる可能性が高かった。
とても信じたくはなかったが。






「・・・もう休むぞ。明日は出陣なのだ、無用な夜更かしは良くない」
「そう、ですね・・・・・・」





 今ここにいない者の事を考えていても仕方がない。
死んだわけではない、だからいつかきちんと会えるに決まっている。
今まで離れ離れになったことがほとんどなかったから、慣れない事態に戸惑っているだけなのだ。
馬超はそう自身に言い聞かせへの未練を断ち切ると、明朝の出陣に備え眠りに就いたのだった。









分岐に戻る