公主様の秘め事     序





 むかしむかし、大きなお城にとても優しくて綺麗なお姫様が住んでいました。
お姫様には、とても人には言えない秘密がありました。















 三国一の華やかさを誇る都、許昌―――。
市街地すらも厚い城壁に囲まれたこの都の奥には、曹操の居城が建っていた。
本来ならば宮城で多くの人々が勤め、あるいは戦に向けての訓練が行われている。
しかし最近は違った。
ほとんどの兵は官渡での戦いに駆り出されているからだ。




公主はいずこへ参られた?」
「はぁ・・・、公主は供回りの者たちと先程、市街へ降りられましたが・・・」





 曹操の愛娘の世話兼監視を任されている荀彧は、護衛の兵の話を聞きため息をついた。
手がつけられないやんちゃな姫君ではない。
むしろ楚々としていて、宮殿で花を愛で詩を作るような大人しい娘である。
利発で品も良く、亡き母に似て可憐な容姿をしているため曹操にも滅法可愛がられている。
荀彧と面会した時も、よろしくお願いしますと笑顔で挨拶されたものだ。
そのせいか安心しきっていた。政務の繁忙さにかまけて忘れていた。
荀彧は額に手をやると、眼前の兵に指示を下した。




「公主をお見かけしたら、早々にお帰りを促すように」




 彼女とて悪気があってしているわけではないはずだ。
荀彧はそう結論づけると、再び政務に戻っていった。
























 はほんのわずかな供を連れて市場を散策していた。
城内で身に着けているような煌びやかな装いではなく、侍女たちの衣を着ている。
そのため、人混みの中でを認識することは供の者たちにとって非常に困難を極めるものだった。





「ほんの少し見なかっただけで、随分と品揃えが変わるものなのですね・・・」




 そう言っては左右を顧みた。
はいともいいえとも帰りましょうとの返答も聞けず、ぱたりと立ち止まる。
ゆっくりと辺りを見回し名を呼んでみるが、顔見知りは1人とていない。





「・・・この人混みです、致し方ありますまい。それに・・・」



 それに、1人だから周囲の目を気にすることなく存分に楽しめる。
は心中でそう思うと、足取り軽く人だかりの中へと足を踏み入れた。
1人でいることがこれほど楽しくて気軽なものだとは知らなかった。
いつも必ず周りには侍女なり護衛なりがいて、決して孤独を許されなかった。
曹家の姫として生まれた定めと割り切ってはいても、やはり庶民のように街中で似合いの装飾を探したりしたいという思いは捨て切れなかった。




(聞けば父上も若き頃は花嫁を攫ったりなどしたとのこと。わたくしも、父のように在りたいものです)



 の意気込みと共に空がぴしゃりと鳴り閃光が走った。
何事かと思い天を仰ぐと、大粒の雨が顔に落ちてくる。
一滴落ちてきたと思ったら、あっという間に空が暗くなり大量の雨粒が降ってきた。
つい先程まであれほど晴れ渡っていたのに通り雨でしょうかと思いつつ、雨宿りできる場所を探して市街地を彷徨う。
ようやく見つけた薄暗い廃屋に身を隠すと、はほうと小さく息をついた。
が、誰か来たのかという声に体を強張らせる。




「足音したから誰か来たと思ったんだけどな・・・」
「・・・・・・」
「気のせいかな・・・・・・、とでも言うと思った?」
「きゃっ」





 肩にぽんと手が置かれ、は思わず声を上げた。
何ふり構わず暴れると、べしっと手が何かを叩いた。
痛いってと慌てて叫ぶ声に、ははっとして我に返った。




「も、申し訳ございません! どこかお怪我は・・・」
「平気。でも驚いた、最近の女の子ってみーんな乱暴?」
「ち、違います! わたくしはただあなた様に驚いて・・・」
「ま、先に驚かせたのは俺だし、悪かったねびっくりさせて。こんなに暗いのにさらに怖い思いさせたし」





 は手探りで台を探すと、その上に腰を下ろした。
相手がどういった男かわからないため一定の距離は置いている。
の警戒を知ってか知らずか、男は入り口付近まで歩き空を見上げた。




「許昌ってのはいつもこんなふうにいきなり雨が降るのかい?」
「はい。むしろ今日のように晴れていたことの方が少ないかと。旅のお方でございますか?」
「そう、南から来たんだ」
「暖かそうです、とても」




 余所に比べると、と答えると男はの方を向きにこりと笑いかけた。
その時は初めて気が付いた。
この男が思いのほか整った顔立ちをしていたということに。
じいっと青年を見ていると、困ったようなからかったような言葉が降ってきた。





「どうした? 俺に一目惚れしちゃったってかい?」




 存外軽い口調には眉を上げた。
とんでもありませんと告げると、立ち上がって青年を見つめる。




「若い殿方を見ることがあまりないのです。お話しすることも滅多にないゆえ」
「・・・あんた、もしかしてどっかのお嬢様?」
「え?」




 素性がわかってしまったのかと思い口を噤む。
自分が姫だとも、城の話もしていない。
身なりだって質素なものだし、今はただの庶民のはずである。





「大商人の娘さんとか将軍のお嬢さんって、割とそういう子が多いらしくて。だからあんたもそういう人なのかなってね。これ旅人の勘ってやつ」
「・・・確かに、ほとんど外には出してもらえません・・・。今日も、密かに抜け出して供とはぐれて・・・」





 が言いかけた時、不意に様と叫ぶ声が響いた。







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