公主様の秘め事     9







 は、自室の隅に置いていた武器を手に取り、静かに見つめていた。
武器を手にしても血が沸き立つということはなかった。
鋭い光を放つ刃に己が顔を映してみても、なんとも思わなかった。
は一度宮城の広場を見やり、そして再び武器に視線を戻した。
孫策軍は圧倒的な勢いで主要な拠点を占拠しつつあった。
このままではあっという間に宮殿内へと侵入される。
前線へ出て行かなくても、身辺を守る兵たちの緊張の度合いを見ていればすぐにわかった。




「いずれ、ここにも兵は参りましょう・・・」




 が1人呟いた直後、部屋の外で何かが爆発する音がした。
どこぞの誰かが火計でも行ったのだろうか、女性たちの悲鳴が飛び交い、次いで刃が交わる音が聞こえてきた。
どたどたと慌しい足音が、がいる部屋に向かって近づいてくる。
部屋の入り口を守っていた兵が抗戦している音がした。
は声を耳にして、とっさに武器を握り締めた。
このような事態になるかもしれないとは思っていた。
だから、準備はしていたつもりだった。
曹孟徳の娘ともあろう者が、あっけなく捕らわれの身になどなるものか。




「曹操のご息女とお見受けいたします!」



 年若い青年の声がして部屋へ入って来た直後、はひらりと窓から飛び降りた。
地面に着地したと同時に部屋が火を噴く。
これでいくらか時間は稼げるだろう。
義母たちは城を無事脱出したというし、先程の兵たちからもとりあえずは逃げることができたはずだ。
は辺りを見回し誰もいないことを確認すると、ここからさほど遠くはない荀彧の元へと向かったのだった。





























 荀彧は援軍の到来を待ちかねていた。
早く来てもらわねば、許昌が陥落してしまう。
聞けばあちこちから兵が進入しているというし、ここが襲われるのも時間の問題だった。




「申し上げます! 公主が行方知れずになったとのこと!」
「なに!? 警護の兵はどうしたというのだ!!」
「はっ、敵と交戦した模様で、亡骸は公主のお部屋の前にて発見されました!」




 まさか、あの公主が捕らわれの身になったというのか。
荀彧は思わず天を仰いだ。
あれだけ気を付けようと思っていたのに行方不明とは。
あと少し粘ってくれれば、卞夫人らと合流できたというのに。





「・・・殿、荀彧殿」




 本陣の入り口から柔らかな声が聞こえた。
戦場には不釣合いな女性の声である。
荀彧は、兵たちに道を開けさせて歩み寄って来る姿を見て驚いた。
あの可憐な公主が、血を滴らせた武器を持っていたのだ。




公主! なにゆえこちらに・・・!?」
「部屋が襲われたので逃げて参りました。・・・警護の者には申し訳ないことをしてしまいました・・・」
「よくぞご無事で・・・。行方知れずと聞き、向こうに捕らわれたのではないかと思っておりました」
「そのことですが荀彧殿」




 は周囲の兵たちをぐるりと見回した。
皆、自分の方を注目している。
普段見ることすらできない姫君が、物騒なものを持って目の前にいるのだから当然だろう。




「わたくしもこれより戦場へ赴きます。味方の士気を上げるためにも」
「なりませぬ! 危険すぎます!」
「今はどこにいても同じくらいに危険ではありませぬか? それに、この許昌が奪われるのは耐えがたきこと。わたくしも、孫策軍に抗いたいのです」




 は兵たちの方を向き直ると呼びかけた。




「父の、いえ、曹操様が築き上げてきたこの美しき許昌の都を守るために、私に力を貸していただけますか?」




 の声に兵たちが立ち上がった。
おぉと逞しい雄たけびを上げる。
荀彧はほんの数分で士気を最大限に引き上げた公主を見つめ、目を閉じた。
兵たちをその気にさせるのは、さすがは曹操の血を引いているといったところか。
彼女が戦場に向かうのは今でも危険だと思っているが、もう止められないのだ。
それに彼女は、これでなかなか戦えるはずだ。
ここに来るまでに人を斬ってきたということでわかっていた。
そして願わくば、人を斬ったことによって彼女の純粋で気高い心が汚れないようにと思った。




「公主、決して無理はなさいませんように」
「心得ております。父よりの援軍が来るまで戦い抜きましょう」




 許昌を守り、孫策軍を退けるためならばなんだってしてみせる。
人だって殺すし、後先考えずに自室を破壊してみせる。
ただ、ほんの少し心残りなのはやはり公績のことだった。
彼には本当に申し訳ないと思っている。
無事に戦闘に巻き込まれずに故郷へ帰ってほしいと思っている。




(共に行けずともあなたのことは忘れません、公績様)




 は公績から送られた髪紐を風に靡かせながら拠点へと降り立った。
武器を構え将らしき男に向かって声をかけ、そして頭の中が真っ白になった。






「・・・どうして、ここ、に・・・・・・」




 驚きのあまり、思いが言葉となって出ていた。
それは相手にしても同じだったようで、呆然とこちらを見てた。
立ち竦んでいる対象を尻目に戦い始める兵卒たち。
は襲いかかってきた兵を無意識のうちに切り捨てると、次なる襲来に備え武器を構え直した。
ぶわりと横から冷気を孕んだ攻撃が加えられ、は武器でそれを受け止めた。
男女の力の違いからか、じりじりと味方から引き離されていく。
あるいは、それが攻撃してきた張本人である公績の作戦なのかもしれない。
しかし、は彼の真意を測ることができなかった。
押し返そうにもそれ以上の力で押し付けてこられ、気が付けば2人は誰もいない場所へとやって来ていた。





「・・・なんでがここにいんだよ」
「・・・・・・」
「どうしてこんな戦場のど真ん中で武器持って戦ってんのって訊いてんの」
「・・・同じ事をわたくしも訊きとうございます」




 と公績は一定の距離を置いて見つめ合っていた。
本当は顔を合わせることすら辛かった。
しかし、たとえどんなに辛くても現実から目を背けてはならなかった。
一歩退いているからこそわかる、互いの返り血や血を吸った武器を見なければならなかった。
ほんの数日前までは人目を忍ぶように逢っていた関係も、今では憎むべき敵となっている。
しっかりと見据えておかなければ、攻撃されかねない。




「・・・旅のお方ではなかったのですね」
「許昌を潰すっていう目的の旅だったんだよ。間違いじゃないっての」
「あなたは・・・・・・、わたくしの、わたくしたちの敵なのですね」
「残念なことに」




 口では軽いことを言っているが、凌統も信じられない思いでいっぱいだった。
自分に刃を向けていたということも、戦場で血まみれになっているということも、何もかも信じられなかった。





「・・・わたくしを捕らえますか?」





 の静かな問いかけに、凌統は目を見開いた。







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