世の中、あまりにも美しい女性のことを傾城の美女というらしい。
だけど私は絶対に認めない! あの人、ただの化け狐!







女狐の艶笑          序










 近くて遠くて、近付くことを許されない関係。
趙雲は、自身と愛する娘との距離関係をこのように評していた。
まずもって、彼女の元へ歩み寄ることに全力を注がなければならない。
恋人の家族はそれはもう彼女贔屓だ。
恋人がうるさいどっか行ってよと声を荒げ怒るまでに妹にしつこく、溺愛している。
おまけに、彼女の従兄には毒殺を警戒せねばならないほど嫌われている。
容易に近付けるわけがなかった。
わずかな時間恋人と共に過ごしていても、どこからともなく兄か従兄かのどちらかが現れ、2人きりの時間と雰囲気を全力で壊しにかかる。
そしてその度に我が恋人は、兄上うるさいどっか行ってよ馬鹿と応戦してしまうのだ。
喧嘩っ早いというか気が短いというか、挑発されると簡単に乗ってしまう性格のようだ。
そこらへんの兵卒よりも間違いなく血気盛んだろう。
だからといって、もう二度と戦場で彼女を見たくはないが。




(だが、今日こそはしっかりと言わせてもらおう。祝言を挙げないか、と!)




 と付き合い始めてそれなりの時が過ぎた。
彼女のことは誰よりも愛しているし、愛されていると自負している。
いつだったかそれとなく確認した時には、彼女の方も夫婦となることを前提に付き合っているというような反応を返してきてくれたし、
そろそろ口にしていい頃合いだと思っていた。
大きな戦が始まる前、できれば静かな時にやっておきたかった。
そこまで決めているのならば、今更立ち止まる必要はない。
早速彼女に逢いに行こう。
趙雲は通常の3倍の速度で机仕事を片付けると、愛しい恋人がいるであろう厩舎へと向かうのだった。
































 はふんふんと鼻歌を歌いながら愛馬の手入れをしていた。
多少苛々することがあっても、こうやって馬と一緒にいると気持ちが和む。
これに乗って最後に趙雲と遠駆けに行ったのはいつのことだろうか。
最後まで兄たちに邪魔されることもなく2人きりになれたのはいつのことだったろうか。
は兄たちのことは好きだった。
家族として誇りに思うし、尊敬に値する人々だった。
彼らがいなければ、自分はとうの昔に涼州の地で野垂れ死んでいただろう。
しかしあれはいけない。
あそこまでしつこく仲を邪魔されては、嫌いになるのも仕方がない。
は、趙雲との空間に土足で上がりこんでくる時の兄と従兄は嫌いだった。
あれさえなければどこでも自慢できる立派な兄たちなのに、ただあの一点があるだけで嫌になる。
たった1人しかいない妹を大切にしようとしてくれているその気持ちはわかる。
わかるのだが、もう少し放っておいてほしかった。
もう子どもではないのだ、いい加減妹離れしてほしい。




、いるか?」
「あ、子龍殿!」




 は馬の手入れを中断すると、厩舎の入り口へと駆け戻った。
精が出るなと笑顔で話しかけてくる趙雲に笑顔で頷き返す。
は片づけを手早く済ませると、趙雲と並んで厩舎を出た。




「また遠駆けに行きたいな」
「はい! 私、こないだ出入りの商人から北の外れに綺麗な泉があるって聞いたんです」
「ほう、そこは私も知らないな」
「じゃあ行きたいです! 朝行って夕頃帰れるって言ってたんで、お昼ご飯持って!」
「それは楽しそうだな。が作ってくれるのか?」
「子龍殿に美味しいって言ってもらえるように特訓中なんです、今」




 の料理の腕前に関しては、趙雲はそこそこ期待していた。
野宿生活が長く、それ以前は馬家のお姫様として暮らしていたおかげで包丁を握ったことはほとんどなかったらしい。
こちらへ来てから本格的に勉強を始めたらしいが、美味すぎず不味くもないといった平凡な味の食事しか振る舞われたことしかない。
しかし、今が平凡ということは、将来もっと美味しく作れるようになる可能性もあった。
事実、星彩と頻繁に作っているという肉まんだけは、そこらの店にも引けを取らないくらいに上達していた。
初めの頃は中身が悲惨だったのに、これは大きな成長だった。
こつこつと努力を重ねる子なのだろう。
趙雲はそんなが好きだった。




、話があるのだが」
「はい、何でしょう?」
「・・・私とし「こんにちは趙雲殿、こんな所までお散歩ですか?」




 木の影からすっと現れた人物に、趙雲は極力平静を装って挨拶を返した。
内心はまたかこの男はと怒りで燃えているが、それを表に出してしまうと大人気ないのでやめている。
はおなじみの人物の出現に、これまたおなじみの台詞を口にした。




「もう、岱兄上邪魔なの! せっかく子龍殿と一緒にいるんだから出て来ないでよ!」
「可愛い従妹を見守るのは当然の務めです」
「可愛い従妹を怒らせてばっかりじゃない、岱兄上は! そんなに暇なら岱兄上も昔みたいに女の人引っかけて遊んでればいいでしょ!」
「・・・おやおや、何を言い出すかと思えばこの子は」




 ふふふと口元を緩めて笑う馬岱の目はちっとも笑っていない。
ああ、今日も言えなかった。
馬岱殿ってどんな過去があるのだろう。
趙雲はわあわあと怒鳴り散らしているを見つめ、苦笑した。








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