甘いよりも痛いを先に




 訳あって共に住むことはまだ叶わない、愛しい娘が住まう邸へ向かう。
と呼びかけると、庭に面した軒下で書物に視線を落としていた娘がゆっくりと顔を上げる。
柔らかな笑みとともに公績殿と声をかけられ、凌統はの傍へ駆け寄った。


「何読んでんの? 詩集? 兵法書?」
「説話集のようです。民はこのような話を好むのですね」
「下世話な話から色恋沙汰までなんでもあるだろ。もそういうの読むんだ」
「これは甘寧殿の子分の方たちから差し入れで頂いたものです。珍しいものだそうで」
「ま、みたいなお姫様は見ることない代物だろうけど・・・。これは土産、美味いって評判の甘味処の」
「まあ、ありがとうございます。ではお茶の支度を・・・」



 こちらに来る前に出会った周瑜たちが薦める甘味処だ。
味覚に自信がない若造の舌よりも、周瑜たちが日々嗜む味の方が美味いに決まっている。
紹介された店は美しさも価格も見たことがない菓子ばかりで、に食べさせるにはぴったりだと確信した。
普段遣いは決してできないが、とっておきの日に利用しようと思う。
周瑜も後であの店に寄る予定だったのだろう。
周瑜予約分が別に取置されていた。
彼の友人は太史慈が作る料理がお気に入りなので、あれは間違いなく奥方への手土産のはずだ。
おそらく友人なのだと思う。
あの2人の関係は深すぎて、自らの恋路にすら自信がない若造の目では何もわからない・・・ということにしている。



「腹ごしらえしたら鍛錬とかどうだい? 邸に閉じ籠ってても暇だろうし、火計以外の相手なら大歓迎」
「では、こちらは鍛錬の後にいただくとしましょう。いかがでございますか、公績殿」
「そんなに体動かしたかったんだ」
「わたくしは武芸も得手ではございませんが、それでも、今身についている技量が劣っていくようなことは避けとうございます」
はそうまでして俺にもう一度会いたかったんだって思うと男冥利に尽きるね」
「生半可な腕であれば、孫呉はわたくしを捕らえる前に殺していたのでは?」
「確かに。ということは、俺が助けに行くまでは生き永らえてもらえるくらいにを鍛えればいいってことかい」
「曹魏も劉備軍も精強・・・、鍛えて損はありますまい」



 まだ曹魏の姫君としての感覚が抜けていないのか、は同盟相手の劉備軍すら敵と認定している。
凌統は床の下から模擬剣を取り出したを見つめると、一足先に庭へ降りた。
恋人との甘いひとときはまだまだ先のようだ。




「まあ美味しい。どなたにご紹介いただいたのですか?」「俺が見つけたとは思ってもないんだね」「ええ」



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