秘密の雪あそび




 また知らず知らずのうちに諸葛亮様を困らせてしまっていた。
赤壁の戦いの諸葛亮様の大活躍は蜀の子どもたちなら知らない人はいない物語で、私ももちろん関興殿や銀屏殿に聞かせてもらった。
本当は諸葛亮様ご自身や月英様から聞かせてほしかったけど、話すほどのことではないと諸葛亮様が謙遜したので聞けずじまいだった。
赤壁の戦いの頃は関興殿も小さかったから、関羽殿たちから話は聞いたらしい。
人から聞いた話を別の人に話すから、きっとかなり脚色されているんだと思う。
その刷り込みを踏まえたうえで、私は諸葛亮様なら雪だって降らせることができると信じたのだ。
とても申し訳ないことをしてしまったと反省している。
後で肩とか腰とか揉んであげようと思う。
お体に負担をかけたくないから、抱きついたりするのもやめようと思う。



「雪? 峨眉山では降っていると聞くが」
「峨眉山?」
「ここから少し離れたところにあるが、打ち身をした時などは湯治に出かけている」
「姜維殿、最近怪我したりした? 今からちょっと叩いていい?」
「いや、結構。殿もどこかぶつけたり転んだりしたのか?」
「ううん、姜維殿が痣つくった時に一緒に連れてってもらおうかなって」
「峨眉山なら成都から日帰りで行ける距離だ。興味があるなら連れて行こうか?」
「行きたい!」



 駄目元で姜維殿に訊いたら、思いがけない答えが返ってきた。
しかも連れて行ってくれる!
峨眉山はばっちり蜀の領土にあるから、諸葛亮様たちを心配させずに済む。
道中の露払いも、姜維殿がいるので何の問題もない。
湯治はよくわからないけど、きっと体に良い何かだと思う。
姜維殿が率先してこそこそ行ってるくらいだ、私の体にもきっと効き目があるはずだ。



「でもなんで諸葛亮様、峨眉山で雪が見れるって教えてくれなかったんだろ。ご存知なかったのかな」
「いつも見れるわけではないので、不確かなことを言いたくなかったのだと思う」
「そうかも。え~でも雪見れなかったらどうしよう」
「雪がなくても充分楽しめると思うが・・・。それから、私もこれ以上丞相から誤解を受けたくないので丞相と月英殿にはくれぐれも内密に」
「わかった」
「鮑三娘殿と星彩殿にも絶対に言わないでほしい。あと、馬岱殿と関興殿にも」
「とにかく内緒にすればいいんだよね。でもなんで?」



 言われなくても不必要に誰かに言い触らしたりはしないけど、姜維殿は何を警戒してるんだろう。
諸葛亮様からの誤解って何?
私の疑問に答えることはなく、姜維殿は曖昧に笑うだけだった。


























白い塵のようで塵ではない、手の上に乗った瞬間に溶けていく水が降っている。
これが雪、あれも雪。あそこにどっさり積もっているのも全部雪!
すごいすごいと歓声を上げ雪の塊に向かって走る私に、姜維殿が走ったら危ないと声を上げる。
急に声をかけられたからか、はたまた滑る地面に足を取られたからか、身体が積もった雪に倒れ込む。
う、冷たい。
諸葛亮様が言うとおり、雪にぼふんと埋もれるのは心の臓に悪いらしい。
もがいても足掻いても掴みどころがない雪から起き上がるのに苦闘していると、背後から襟首をぐいと掴まれる。
姜維殿がいて良かった。
ひとりで来ていたら雪に埋もれたまま凍え死んでいた。
遠出するとこにはなぜか姜維殿が勝手にくっついてきてるけど、今日は初めて姜維殿の同行に感謝したかもしれない。



「雪が降るほど寒い地域は水気を含んだ地面も凍っている危険があるので、走るなどもってのほかだ」
「うう、冷たい。でも楽しい」
「どこか痛むところは?」
「大丈夫。えい!」
「うわっ、冷た」



 もふもふの防寒具を身に纏っている姜維殿が唯一無防備を晒している頬に、ぴたりと冷え切った手を当てる。
雪に埋もれ真っ赤になった私の手が、姜維殿の顔から温もりを奪い取る。
えへへ~と笑うと、姜維殿が真っ赤な顔をして私の手を引き剥がす。
冷たいですね。
剥がした手をそのままゆっくりと撫でる姜維殿の指の動きがくすぐったくて、身を捩って手を振り払おうとする。
足場も悪く非力な私の腕力では、姜維殿の手から逃げられない。
姜維殿はふふふと笑うと、私の手を引いたまま煙っている地点まで歩き始めた。
滑りそうになるたびに姜維殿が身体を引き寄せてくれるので、私が転ぶことはない。



「袖、捲ってもいいですか」
「え、なんで。寒い」
「いいから」



 私の許可を得ずに袖をたくし上げた姜維殿が、煙の中へ私の手を突っ込む。
あ、熱い。
冷え切った指先からじんわりと熱が伝わり、ちょっとだけ痺れる。
あったかい。
ぽつりと呟くと、姜維殿が温泉ですよと笑顔で教えてくれた。



「温泉?」
「この辺りは湯が湧いている。私はここに浸かるのを目的でいつも来ているが、雪見をしながらの湯治もいいな」
「ふぅん? でもこのお湯あったか~い。脚も入れたいかも」
「手伝おうか?」
「嘘嘘、冗談。でも姜維殿とか殿方はいいよね、行きたいなって思ったらぱって脱いで入れるんでしょ」
「他所を向いているので殿も入りたければぜひ」
「ほんとにずっと余所見できる? 我慢できる?」
「・・・できないかもしれない」
「でしょ」



 なるほどなあ、姜維殿が内緒にしたかった理由ってこれかあ。
そりゃ知ったらみんな駄目って言うし、諸葛亮様は今度こそ姜維殿の下心を看破するだろう。
私は、温泉に導いた後も手を握り続けている姜維殿の耳元に顔を近付けた。
背中くらいなら流してあげようか?
我ながらなかなか蠱惑的に言えた気がする誘い文句に、姜維殿が相変わらず真っ赤な顔で頷いた。




「その、あまり触らないでもらえないか・・・」「なんで?」「なんで・・・なんでと訊くのか!?」



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