ダーマ 9
バースは魔物襲来事件から数日、死んだように眠っていた。
エルファが何を話しかけても起きない、リグがどんなに彼の目の前で真剣で素振りをしても目を覚まさなかった。
己の持つ魔力を必要以上に使い、その失った魔力を回復させるために仮死状態に入っているのだろうと神殿の神官は言った。
仮死状態と聞いてほっとする人はいない。
リグたちは交代で彼の枕元に詰め、ひたすら彼の目が再び開く時を待っていた。
「バースいつになったら起きるんだろ・・・。あの時私がもたもたしてたからこんなことになったんだよね・・・」
真新しい白地のローブに空色のマントを羽織ったエルファが、隣で彼女と共にバースの容態を見守っているライムに話しかけた。
賢者になりたての彼女の表情はここ最近沈みっぱなしだ。
エルファを賢者にする機会を作ったために、バースは仮死状態に陥ってしまっているのだ。
ライムは柔らかく微笑むと、気に病み続けるエルファの背中をぽんと叩いた。
「そんなことないわよ。バースも目が覚めて、エルファがちゃんと賢者になってるの見たらものすごく喜ぶわ。それにいつまでもそんな顔してたら、せっかくの可愛い顔が台無しよ?」
「・・・でも、やっぱり悲しくなっちゃうんだよね、こうやって魔物が襲ってきて、その度に誰かが怪我したりするのは」
神殿を襲ってきたドラゴンたちは、魔王バラモスの差し向けた下僕と言われていた。
戦いで傷を負ったのはリグたちだけではない。
ダーマ神殿で修行を積んでいた、数多く未熟な修行者たちをも命の危険に晒したのだ。
幸い彼らは神官の咄嗟に張った守護結界の中に非難していたため大事には至らなかったが、それでも本当の戦いの恐ろしさというものを身をもって経験していた。
襲われたのは建物、しかも天下にその名を知られるダーマ神殿なのだ。
この事件は瞬くうちに世界中の知るところとなり、人々のバラモスに対する恐れはますます強くなっていくだろう。
あるいはそれが、初めからバラモスの目的だったのかもしれない。
どちらにしても、今回の神殿襲来は人々の心に恐怖の種を植え付けていた。
「終わったことをぐだぐだ言ってても仕方ないだろ。ったく、人にあれだけもっと呪文を使えとか言ってる癖して自分はこれだからな。こんな師匠がどこにいるんだよ」
部屋の入口から憎まれ口が聞こえてくる。
ライムは苦笑すると、それもそうねと相槌を打つ。
エルファはもう、と怒ってリグを軽く睨んで言った。
「いつもリグが使ってるような呪文と今回バースが使った呪文は全然違うの。あんな呪文使える人世界中探してもなかなか見つかんないんだよ?
それにバースは盗賊でそんなに魔力高いわけでもなかったんだから」
「相変わらずバースばっかり庇って。いいよな、こんなに親身になって看病してくれる子がいて。仮死状態に入ってまでこの扱いなんだから、今バ−スが起きたらどんなことが起こるか」
「じゃあお望み通り起きてやろうか?」
ベッドの上からやつれた感じのする声がした。
不意に聞こえた声に、リグたちははっとしてベッドへ視線を動かした。
つい先程まで微動だにしなかった布団がもそもそと動き出し、中から大きな欠伸が聞こえてきた。
「っあぁぁぁ・・。なんか久々によく寝たって感じがするな。おはようエルファ。お、賢者にちゃんとなれたんだな、よく似合ってる」
「バ・・・バ・・・、バースの馬鹿ぁっ!!」
身体を起こしたばかりのバースにエルファは思い切り飛びついた。
軽い眩暈を起こしながらもなんとかエルファの華奢な身体を抱きとめる。
泣いているのだろうか、エルファは肩をびくびくと震わせながら叫んでいる。
バースはエルファの背中を撫でながら、小さくごめんなと謝った。
「もう生き返らないんじゃないかって思ってて・・・!! どうしてあんな無茶したのっ!? どれだけ心配したか・・・っ!!」
「わかってる。ごめんな、心配させて。死ぬとは思ってなかったんだけど、仮死状態に入ったからな・・・。さすがに盗賊業やっててあの結界はきつかったかなとは、一応今反省してるんだけど」
そう言うとバースは未だに張り付いているエルファの身体をライムに渡し、大きく伸びをした。
リグは彼に上着を放り投げると、ため息をついた。
「魔力は回復したのか? エルファほどじゃないけど、俺もライムも心配してたんだからな。今度からそんな呪文使う時は、もうちょっと魔力増やしてから使えよ」
例えば賢者になるとか、とリグはぼそっと付け足した。
バースは一瞬びくりとしたが、諦めたように小さく笑うと自分の鞄の中からごそごそと何かを取り出した。
リグの額にあるサークレットに似ていなくもない、使い古されたそれ。
エルファの額にあるそれに酷似しているが中央の宝石の色が彼女のは水色、バースのは碧色と違っている。
バースは懐かしそうにサークレットに触れると、しみじみと言った。
「実は俺も賢者なんだよね。ちょっと昔まで賢者やってた。一身上の都合で今の盗賊業に専念してたけど、今回の襲来事件でよくわかったよ。
リグやライムみたいに剣持って魔物と渡り合えるわけでもないし、エルファみたいにどんどん呪文使ってく魔力もない。それじゃ駄目なんだって」
「バース・・・?」
エルファが不安げな瞳でバースを見つめる。
バースは彼女に優しく微笑みかけると、エルファの額の宝石にそっと触れた。
触れた指先から新たな力が溢れ出てくる感じがする。
仮死状態に陥っても手に入れることのできない、今までとは全く違う力が。
「エルファのと俺ので色が違うのは置いといて、盗賊のままでバラモス倒すのは無理だからな。だから俺もこの際すっぱり足洗って賢者に戻るわ」
「バースがしたいようにすればいいと思うわ。盗賊になったのだって、何か思うところがあったから転職したんでしょ? だったら今度も賢者になればいいじゃない」
「ライム言い過ぎ。俺の言う台詞がなくなった」
「リグは基本は寡黙だからね」
どうでもいいことで言い争いを始めそうな2人を脇目に、エルファはそっとバースの手の中のサークレットに触れた。
次に彼の手をぎゅっと握り締めて呟いた。
「今度からは無茶ばっかりしないでね。私もできる限りバースの助けになるように頑張るから。・・・それが『エルファーラン』だった時の私を知ってる神官長さんへの恩返しね」
「・・・そういうこと。物わかりがいいな、エルファはやっぱり。どっかの田舎勇者とは大違いだ」
翌日、ダーマ神殿からもう1人の若き賢者が誕生した。