〜果てにあるもの〜
『絶対に、また逢えるから。』
そう一方的に告げて別れてから、どれだけの月日が経ったのだろうか。
今でも、あの時の彼女の哀しげな、訴えるような瞳と顔は忘れられない。
時折夢の中ですら視てしまう。
そう、まるで今日のように。
「・・・・・・っ!!」
人々が寝静まり返った真夜中、銀髪の青年がベッドから身を起こした。
額にはうっすらと汗が滲んでいる。
苦しげな顔をして、ぐしゃっと右手で前髪を乱暴にかき上げた。
終わることのない、悪夢だった。
後悔してはいけないとわかっていても、そう思い込ませる度に今を生きるのが辛くなる。
こうなるかもしれないと、わかっていたはずなのに。
「それでも・・・・・・、俺は君を愛しているんだ・・・・・・・!」
青年――――バースは星空を見つめた。
遥か遠くにいる、彼女ではない『彼女』を想って。
決して届くことのない、己の心の内を静かに吐き出しながら。
バースは本当は、リグたちと別れる予定はなかった。
すべては、エルファの記憶によるものだったのである。
彼女があのタイミングで自分のことをあやふやながらも思い出してしまったから、その事実にバース自身が耐えられなくなったのだ。
現実逃避をしたと言っても過言ではない。
エルファはまだすべてを思い出していない。
しかし近くない将来、必ずその記憶はすべて還ってくるのだ。
その時に、自分が彼女と会い、言葉を交わすことは辛いだろうとバースは簡単に予想することができた。
もう変えることのできない過去と、現在進行形で動いている現実のギャップがあまりにもひどいからだろう。
また、過去を知ってしまった時のエルファの気持ちを考えても、やはり笑って済ませられる問題ではなかった。
「・・・どうしてあなたは我々の運命を狂わせるのですか・・・・・・。」
天に向かって投げかけたバースの問いに応えるものはいない。
それで良かった。
応えられる者など、いないのだから。
バースはルーラと唱えようとした。
しかし、向かおうとしていた先に待つ人のことを思い、躊躇った。
時期尚早な気がしたのだ。
それになによりも、平穏な生活を壊したくはなかった。
合わせる顔も、今は持ち合わせていないのだし。
「・・・しばらく、本業に専念するか。」
そう独り言を言い、ついこの間まで本業が盗賊だったことを思い出し苦笑する。
リグやライムはかなり定期的に里帰りをしているが、バースは旅に出てから一度も実家に帰ったことがなかった。
決して実家が嫌いなわけではなかったが、普段はいても落ち着かないのである。
しかし、いつまでも帰らないというわけにもいかない。
バースは渋々、実家に帰ることにした。
バースと別れた後、エルファは記憶の早期完全復活をひたすら祈っていた。
正夢でもいい、とにかく過去に彼と何があったのかを知りたかった。
あんな、たった一言二言の会話だけでは満足できなかった。
もっと多くの、彼にまつわるたくさんのエピソードを思い出したかった。
なぜだかひどくほっとさせるあの優しげな笑みは、今も昔も変わっていない。
身なりだって若干の違いはあったが、サークレットも、それにはめ込まれていた宝玉の色も同じ碧色だった。
どうして彼のことすらも忘れていたのだろうかと、エルファは自分の記憶神経を呪った。
あんなに素晴らしい人のことを忘れてしまうなんて、なんて自分は馬鹿なんだろうか。
「バースは知ってたのに、私は何もかも、全部忘れてた・・・。」
その事実がどんなにかバースに苦しみを与えていたのだろうか。
エルファは彼の胸の内を思うと、やるせなくなった。
当時の自分はどんな感情をもって彼と接していたのだろう。
そう考えた途端、エルファは自分の背中に冷たいものが走るのを感じた。
もし、当時とこれから抱く感情がまったく別のものだったら、どうすればいいのだろうか。
というよりも、自身の心はどうなってしまうのだろうか。
どちらの思いを優先すればいいのだろうか。
自分が下した決断で、バースが傷つくことはないのだろうか。
エルファはなによりも、それだけは避けたかった。
大切な仲間を傷つけたくはないのだ。
「どっちも私自身の感情・・・。
でも私は。」
エルファの瞳に強い光が宿った。
どんな苦境に立たされても、決して自己の信念を揺るがすことのない、決意の瞳だった。
過去も未来も、わからないことを考えていても無駄なのだ。
今を生きる、それが一番大切なことなのだ。
「バース、早く帰って来てね。」
エルファはどこに行方をくらませたとも知れない昔なじみ(らしい)でもある青年に向かって、小さく呟いた。
「珍しいじゃない。
リグが文句の1つも言わずにバースの言葉に素直に頷くなんて。」
「その言い方じゃ、まるで俺がいちいちバースに嫌味を言ってる小姑じゃんか。
人聞きの悪いこと言うなよ。」
「人聞きって、他に聞いてる人はいないでしょ。」
リグとライムは月夜を肴に武具の手入れをしていた。
思わず手を止めて眺めてしまうほどに美しい月なのだが、その光はどこか冷たくもあった。
もっとも、そう思っているのはこの2人だけかもしれないのだが。
「リグは驚かなかったわね、バースとエルファが昔会ったことがあるって知っても。
私はそれなりに驚いたんだけどね。」
「俺だって驚きぐらいしたさ。
でも、あいつはエルファの力を最大限に引き出させるような効率のいいサポートをしてるっていう俺の意見に、ライムも同意したじゃん。
まるで昔から知ってるみたいにって言ったのはライムだろ。」
「そうだけど、でもそれがまさか本当とは誰も思わないでしょう?」
リグはライムの言葉にそれもそうだけど、と相槌を打ち、すっと夜空を見上げた。
どうして神は人間に哀しい試練を負わせるのだろうか。
リグは別段信心深くはない。
教会には行くが、神に対してあまり敬意を払っていないと本人は思っている。
バースとエルファのことは、定められた運命だったのだろうか。
そうだとしても、あの2人は重いものを背負いすぎている、とリグは思った。
彼自身も、父であり当代随一の勇者でもあったオルテガの遺志を継ぎ、バラモスを倒すという避けようにも避けがたい使命を担っている。
しかし、これは最終的には自らが旅に出ると決断したわけであり、世論に流されるがままにこうなったわけではなかった。
リグは、隣で熱心に盾を磨いている美しい赤毛の女性を見やった。
彼女だって、実の両親が誰だかはわからない。
手がかりも得られぬままに、養い親からいわくありげな短剣を渡されたという。
彼女の話によれば、なんでもその短剣は本当に訳ありらしい。
『今更生みの親が見つかっても・・・。
私は全然わからないわけだし。』
そうあっけらかんと豪語しているものの、時折短剣を見つめ小さくため息をつく彼女を知っているリグは、ライムの言葉がすべて真実だとは思えなかった。
旅に出た以上、ライムは心のどこかで生みの親と会うことを願っている。
少なくともリグにはそう思えた。
「人の顔をじっと見つめてどうしたの?」
「いや、相変わらず1年に1回は苦労しそうな美人だな、と。」
「喧嘩売ってるの?
自分の考えに行き詰った時の冗談は性質が悪いわね、相変わらず。」
「相変わらず俺の性格をよくご存知で。」
おどけて言ったリグの頭を軽く叩き、ライムは優しさ溢れる声になって言った。
「いつでもなんでも1人で抱え込むリグの気を、少しでもいいから紛らわせるのが私の役目。
伊達に長い付き合いやってるわけじゃないからね。」
「・・・ありがとう。」
リグはライムの言葉に自然とありがとうと答えていた。
自分が素直になりきれる相手はまだ少ない。
それでも、確実にその数は増えていった。
これからも、旅を続けるごとにその数はより多くなるだろう。
リグはもう一度空を見上げた。
闇に浮かんでいる月は、今では彼の果てしなく長い旅路を照らす光明のようだった。
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