精霊ルビスと愛し子たち 8
三角関係、いや、もっと面白く興味深く神々しいものを見た。
きっともう二度と見ることはできない闇の世界に差し込んだ一筋の光と共に生まれた奇跡を、ガライは辛うじて崩壊を免れた塔の柱の上から見下ろしていた。
ライムは確かに殺した、殺された。
ライムが奏でていた命の旋律はあの時確実に途絶えた。
代わりに聞こえてきたのはプローズの凄まじい音で、やがてそれは思わず耳を塞ぎたくなるような激しさで塔を包み込んだ。
彼の奏でる怒りと悲しみと絶望の旋律は遅れて現れた異世界の勇者たちをも飲み込み、世界も覆い尽くすかと思われた。
いっそそれでもいい、プローズに、愛する人に世界を滅ぼされるならばそれもいいと考えたのも事実だ。
ガライにとってプローズとはただの友ではなかった。
闇と光いずれに向かうかもわからないアレフガルドの命運よりも、それのために誰にも理解されない中単身命を駆けているプローズの方が大切だった。
生まれて初めて命を狙われ、生まれて初めて命を救ってくれた大切な愛しい友。
やがて人々の記憶からも世界からも消えてしまう、そうなることを誰よりも本人が望んでいる変わり者の賢者。
プローズはやはり今でもルビスの愛し子だった。
愛し子は愛し子のままいなくなるのが一番いい。
いなくなるのは辛いけれども、闇に染まり人でなくなるよりは人として、賢者としていなくなった方がきっといい。
少なくともそれを望んで竪琴を奏でた。
ガライはバースが目を覚ます前にライムたちの前から姿を消したプローズの元へ舞い降りると、そっと隣に並んだ。
「・・・君がやったのか」
「うん。ライムを殺すように魔物をけしかけたのは僕だよ」
「・・・・・・そうか」
「怒らないの? 憎まないの? プローズの大切な人を亡き者にしようとしたのは僕だよ?」
「ライムが傷つくことは不死鳥に予言されていた。僕は不死鳥と話したことはないけれど、不死鳥の予言は本物だ、
たとえ君でなくても誰かがきっかけを作っていたとおいうなら、僕は君で良かったとすら思っている」
「プローズ・・・、君って本当に不器用だよ」
「そうかもしれない。・・・僕は今からあの方の元へ行く。ガライ、僕はもう一生君の前に現れることはないだろう」
「そこは僕は行けないところなんだね」
「ああ。これは賢者として、愛し子として生を受けた中でも僕か弟にしかできないことだ。だけど弟にこれ以上負担は強いられない」
時が経ったとはいえ、一度金を犯したバースは力のすべてを取り戻すことは永遠にできない。
近い力を得ることはできても、時や空間を渡る力は一生回復しない。
だから自分がいるのだ。
だからまだ、ルビスは賢者の力を奪わなかったのだ。
勇者には勇者の成すべきことがあるように、消える賢者にも賢者にしかできないことがある。
人生最大の危機を乗り越えたライムの未来にはもう、これといった障壁はない。
安心して使命を全うすることができる。
プローズは頂上が崩壊した精霊の塔を見上げた。
さようなら、勇者ロト。
そう呟き姿を消したプローズがいた場所の地面を見つめたガライが、さようならと小さく答えた。
肝心なところで役立たずなのは昔からの悪い癖だ。
命に係わる一大事の時はいつも決まったように意識を飛ばし、その間に兄がすべてを片付けている。
どうやら今回も例に漏れず同じだったようだ。
バースは魔力の消耗による昏倒から目覚め辺りを見回すと、まるですべてが終わったかのような静けさに再び目を閉じた。
結局いつまで経ってもあれのやりたいことがわからないままで、いくつになってもあれには勝てない。
同じ天才と呼ばれていても、向こうとこちらとではもって生まれたものが大きく違うようだ。
あいつ、ついに人まで生き返らせるようになったのか。
そう思いぼんやりと動くライムを見つめたバースは、はっと我に返りえっと声を上げた。
「ライム!?」
「あら、どうしたのバース」
「どうしたのかはライムだよ! は、ライム!? ライムいつから・・・!?」
「ついさっきよ。ラーミアがくれた世界樹の葉とルビスの力で治ったみたいなの。その調子だとバースももう良さそうね」
「俺は元々どこも悪くないんだけど・・・っていうか、ルビス様・・・? ルビス様が俺たちの前に、いた・・・?」
「いたよ、ついさっきまで。お前も親父さんもぶっ倒れてたからなあ、覚えてないだろ」
「ルビス様、私の笛の音で目を覚まして下さったの。とても綺麗な方だったよ」
自分が寝ている間に思った以上に事態は二転三転していたらしい。
こちらの記憶に残っているのは父がドラゴラムの術者で、自分たちを守ろうと命を賭していたことだけだ。
しかしその父は人間の姿のまま隣に倒れていて、彼のドラゴラムが成功したようには見えない。
そして、もう1人の賢者の姿はどこにもない。
兄を慕っている死神詩人もいない。
本当にすべてが終わっている。
バースは天を仰ぐと、天界へと戻ったであろうルビスに問いかけた。
「精霊ルビスよ、お答え下さい。あなたはなぜ、俺の兄から賢者としての力を奪わない? あれがあなたに仇なす存在だとご存知であろうはずなのに、なぜあれを野放しにする?」
「バース、あなたのお兄さんは悪い人ではないわ」
「・・・まさかライムの口からそう言われるなんて思わなかったよ」
「プローズは本当は、いいえ、ずっと前からすごくいい人なのよ。ただ、それを上手く表現できないかわざと隠しているだけ」
「俺もライムと潼関かな。俺の勘はあいつは敵じゃないって言ってる。でもってお前らのいがみ合いはただの兄弟喧嘩ってとこだ」
「なっ・・・」
「兄弟喧嘩で世界とか精霊とか巻き込むなよ。バースももっと素直になること。こんな意地っ張りな弟が可愛いわけないだろうが。
大体お前らがそんなんだから親父さんストレスで白髪になってぶっ倒れんだよ」
リグはそう言い放つと、以前としてエルファに見守られ続けているミモスを見下ろした。
立派な父親だと思う。
初めは捉えどころのないモシャス好きの変人で、何事に対しても消極的・悲観的な男だと思っていたが今は違う。
凡人の姿をもモシャスの効果なのかと勘繰ってしまうほど、当代守護賢者にして手のかかわる2人の息子の父親は自らを隠すことに長けた天才だった。
ルビスの恵みと世界樹の力を受けてもなお目覚める気配を見せない彼は、きっと今も心の中で不甲斐ない自身を恥じ嗤っているのだろう。
そんなことは微塵もない。
世界を救うために旅に出てそれきりの俺の父さんもすごいけど、賢者だとかそういう肩書きの前に息子のために戦うあんたもすごいよ。
たとえ仲違いをしていたとしても、父と会えるバースが羨ましかった。
「エルファ、親父さんなんとかなりそうか・・・?」
「わかんない・・・。でもお父さんの体に魔力が戻らないの・・・。呼吸も落ち着いたっていうよりも、これは・・・」
「・・・身の丈に合わないことやるからだよ」
「「バース」」
リグとエルファの咎めるような視線から目を逸らすことなく、横たわったままの父に触れる。
父親らしいことをしてくれた思い出はほとんどない不出来な親だったが、それでも親だった。
母を守ることもできない非力な奴めと何度罵っても、黙って受け止めるだけの静かな男だった。
魔力が乏しく、けれどもこちらよりも遥かに膨大な魔力を使い果たしてしまった父はもう目を覚まさない。
体の機能を維持するための魔力をも失ってしまった父は、闇夜が開けても目覚めの時が来ることはない。
彼にとってのルビスの恵みは、蘇ることではなく黄泉還ることだったのだ。
ルビスが知っていたかどうかは知る由もないが、人の命は驚くほどに儚い。
救えた、間に合ったと思っていた命も実は手遅れだということも少なくない。
父は今頃はきっと愛する母に今度こそ会いに行っているのだと思う。
誰よりも愛していたのに守ることが間に合わず死なせてしまった母の元を、母が愛した白銀の竜の姿で訪れているのかもしれない。
守護賢者一族は、脆く細くはあったが当主を失ってしまった。
ルビスを守るためならば命も惜しまないと伝えられ続けてきた名誉ある氏で、大黒柱を天へと還した。
そして次の柱となるべき者はどこにもいない。
どちらもふさわしくなかった。
「・・・さよなら、親父」
「バース・・・?」
「守護賢者の命が還る先は精霊の元だ。俺らの先祖の魂は精霊の力となり、そしてルビス様と一緒になって俺らを見守って下さる。
これからは親父はこそこそしなくても堂々と俺たち見てられるってことだよ」
「ほんとにお父さんは、もう・・・」
「・・・ありがとなエルファ、こんなダメ親父看取ってくれて。ほんと、ありがと・・・・・・」
喪ったものは想像以上に大きく、重かった。
バースはエルファの肩に顔を埋めると、声を殺して泣いた。