ジャンクション 3
あの人はライムの好きな人なのですかとラーミアに尋ねられ、ライムは苦笑いを浮かべていた。
生まれたばかりのひな鳥不死鳥は本当に好奇心旺盛だ。
あれは何これは何と、気になったことはなんでも訊いてくる。
答えられるものならばいいが、バースやエルファのように賢者の知識があるわけでもないライムには難しい質問も時々出てくる。
どうして空は青いのでしょうなど、誰に訊けば答えが得られるというのだ。
あなたの上司のルビス様に訊いてみればと言いたくなる。
『ライムはやはり、たくさんの人に好かれているのですね』
「そうかしら。リグたちのことが好きな人だってたくさんいると思うわ」
『もちろん、リグたちも好かれています。ですがライムは、ライムが困ってしまうくらいに人から好かれています』
「よく意味がわからないわ」
『わたしは不死鳥。出会い知り合った人の心を知ることができます。人間のことは好きです。リグやライム、マイラヴェルのことはもちろん。でも』
「でも?」
『言わない強さをライムは持っています。庇う優しさも、見守る温かさも持っています。でも、ライムが言わないその人は、おそらくライムのことを傷つけてしまう』
庇っているつもりはない。見守っているつもりもない。
バースとどんな因縁があって今に至ったのか、その過程すら知らない。
特段知りたいとも思わない。
全力で戦い、潰し合いたくなるまでに憎み合っている仲なのだ。
2人の間には、他人が干渉できる余地がないほどに深い溝があるに違いなかった。
ライムはラーミアの背をそっと撫でた。
ラーミアは自分を優しいと評してくれるが、真に優しいのはラーミアだ。
心正しき者しか背に乗せないという乗車基準を設けているばかりに、人間の心の深淵を知り。
人間すべてが心優しい善人ではない。
善人のふりをして、実はとんでもない悪党だっている。
この世界は、清らかで汚れを知らない天上の生き物が生きるには相応しくない澱んだ地なのだ。
『わたしはマイラヴェルの一族ではないので、過去も未来も読めません。それでも、わかります。あの者は、近い将来ライムを必ず傷つけてしまう。
それがあの者の意思でなかったとしても、ライムは傷ついてしまう。ライムは様々な人に好かれてしまうから』
「・・・アレフガルドに行って仮にそうなるとしても、私は行くって決めているの。それに、傷つくことが彼の本意でないならそれは彼のせいじゃないわ。
怪我にも慣れてるし大丈夫よ」
『ライム、でも・・・!』
「バースもエルファも、リグだって回復呪文は使えるわ。私は剣一本で魔物に立ち向かう存在。傷つくことを恐れてちゃ、進めるはずの道も歩けない。
ありがとうラーミア、心配してくれて」
アレフガルドに行って、何も起こることなく魔王が倒せるとは端から思っていない。
それなりに辛い道を歩み、厳しい戦いをしなければならないとは覚悟している。
今までだってそうだった。
ラーミアは優しいけれども少し心配性だ。
1人で向こうに行くわけではないのだから、もう少し安心してほしい。
ライムはラーミアの背から再び降りると、宵闇の中で煌々と輝くアイシャたち海賊の館の戸を開けた。
魔物がいなくなってしまうと、海賊稼業は成り立たなくなるらしい。
そういう点ではまだもうちょっと稼げるねと朗らかに笑う双子の姉を、ライムは驚きに満ちた瞳で見つめていた。
なるほど、言われてみればそうだ。
アイシャたち海賊の仕事は海の魔物退治である。
基本的に人は襲わない人道的な海賊なので、魔物がいなくなるとたちまちのうちに食うに困る事態に陥ってしまう。
養う部下たちも大勢いるため、雇い主としての責任も重大になってくる。
リグやこちらのような慈善事業の無償活動ではないのだ。
今もこうしてどんちゃん騒ぎをして食費はかなりかかっていそうだし、アイシャたちにとって魔物は大事な金づるなのだ。
「まあ、いないに越したことはないんだけどね。一応これでも平和になった後の仕事も考えてるんだよ」
「何をするの?」
「運送業でもやろうかと思ってね。船を動かせる奴はそういないし、野郎どもは海に関しちゃ他のどんな連中よりも詳しい。
ルザミみたいな小島を知ってるのなんてあたしらくらいだよ」
「それもそうね。いいんじゃないかしら、運び屋さんも。ルーラじゃ行けない場所もあるし、船だと一度にたくさん運べるし」
「だろ? だからライムも安心して向こうに行ってきなよ。帰って来た時には新生アイシャ海賊団を見せてやるよ」
やはりアイシャも行くなとは言わない。
送り出してくれる、背中を押してくれると予想していたが、こうまであっさりとアレフガルド行きを認めてくれるとは思わなかった。
試しに、意地悪とばかりに心配してくれないのと尋ねてみる。
するとアイシャはまた、大きく口を開け豪快に笑った。
「そりゃライム1人で行くんだってならあたしも一緒に行きたいよ。でもリグたちも一緒なんだろ? だったら心配するよりも先にほっとしたよ」
「ほっとって・・・」
「それにライムには海の神様がついてる。多少の炎ならあっちが勝手に避けてくし、水鏡の盾の力はまだまだこんなもんじゃないってね」
「海の神様・・・」
「アレフガルドって世界にもきっと海はある。海がある限り、海の神様はあたしらを見守って下さる。あたしら一族は海の神様に愛されてるんだよ」
生家と実の家族を遠くへ引き離した海。
十数年の時を経て、再び家族と会わせてくれた海。
レーベの村は村人のほぼ全員が農林業に従事していて、海にはあまり縁がない。
それでも幼い時から暇があると水平線を眺めていたのは、もしかしたら目には見えないけれども見守ってくれていた海の神と話をしていたからかもしれない。
特別信心深くないライムに海の神という存在は、それほど大きなものではない。
ラーミアやバースがしきりに口にする精霊ルビスとやらも、実際に見てみなければいまいち信用することができない。
精霊ルビスと本当に似ているのだろうか。
買い被られている気がしないでもなかった。
「実は私ね、とある子にあっちに行ったら傷つけられるって言われたの」
「へえ、その子は予言者かい?」
「ううん、予言はできないんだって。でもすごく聡明な子で、人の心が少し読めるみたいなの。どんな風に傷つくのかしら、私」
「怪我とかじゃないのかい? というよりも、怪我で済んでほしいよ」
「私もそう思ってる。でも、怪我じゃない傷つき方をすることになってもやっぱり私は行くわ」
「そう言うだろうと思った。そうだ・・・、これ持ってお行き。あたしらからの心ばかりの餞別だよ」
「まあ、すごく重そう・・・」
「バスタードソードって言うんだよ。切れ味は抜群、いるだろ?」
「欲しいわ。ありがとうアイシャ、大切にする」
「気にすることないよ。可愛い妹がそこらの店で売ってる量産品装備してちゃ可哀想じゃないか!」
ずっしりと重い剣を受け取り、早速腰に佩く。
ゾンビキラーはエルファが欲しがれば彼女に渡そう。
エルファならば必ずアレフガルドに行くだろう。
バースの頼みなのだ。仮にバースが来るなと言ってもついていく。
エルファはきっと、もう二度とバースを独りにさせたくないと思っているはずだ。
「傷つくかもしれないって思った時はさっさと逃げるんだよ。一応女なんだから、顔に刀傷なんか作るんじゃないよ」
「アイシャの口から女とか出てくるなんて不思議」
「あたしはいいけどライムはそうじゃないだろ。いざとなったらあいつ、リグでも盾にしときな。あの子見た目そうでもないからいいだろ別に」
「・・・本人結構気にしてそうだからリグには言わないでね」
いくらあたしでも言わないよそんなこと!
お酒の席でも言っちゃ駄目よ。
ライムの忠告にアイシャがうっと言い淀む。
アイシャの酒癖が少し心配だが、いざとなったらこちらがフォローするから大丈夫か。
私の行きたいとこはもう全部行ったかな。
そろそろレーベに戻って旅の準備でも始めようかな。
ライムはアイシャたち海賊団に別れを告げると、外で寂しげに待っていたラーミアの体をそっと撫でた。
ライムと泣きそうな声で名を呼ばれ、こちらも愛情を込めてラーミアと呼び返す。
ライムまでルビス様みたいになるのは嫌です。
ラーミアはそう悲しげに呟くと、ライムを乗せ再び空へ舞い上がった。