ジャンクション 2
初めて訪ねた時、サマンオサは黒く沈み込む重い空気が漂う暗い国だった。
すべてはサマンオサ王に化けていたボストロールの暴政によるものだったが、王が魔物だと気付くことなく尊い命を絶たれてしまった者も多い。
もっとここへ来るのが早ければ、もっと多くの命が救えたかもしれない。
そう思ってしまうのは見当違いだとわかっていても、思わずにはいられない。
ライムは教会の隣に所狭しと建てられている墓から顔を上げると、隣に座るハイドルを顧みた。
父の唯一の形見とも言うべきガイアの剣を託し、結局墓の下に何も入れることが叶わなかったサイモンの墓前にいる。
絶対に墓参りに行くと約束していたから、バラモスを倒し凱旋を果たし、再びハイドルと会えるのはもっと嬉しいはずだった。
あんなことを言われなければもっと、心の底から再会を喜べたはずだ。
しばしの別れが前提での再会など、嬉しさよりも先に寂しさがやってくる。
「・・・やはり、そうなのか・・・」
「わかってたの?」
「バラモスを倒したというのに魔物は一向に減らない。むしろ、力をつけたように思われる。だから私は、ライムやリグたちの旅はまだ終わらないのだろうと思っていた」
「バラモスを倒せばすべてが終わるって思ってたのにこれだもの。私たちだって驚いたわ」
「私もそう思っていた。バラモスを倒せばまたあなたと逢え、今度こそゆっくり話ができると思っていたのに」
「・・・止めないの?」
「行きたがっているあなたの道を阻みたくはない。共に行き、加勢したいくらいだ」
ハイドルはライムを連れ自宅へ戻ると、向かい合って座りふっと頬を緩めた。
ライムと会って話を聞いた時からわかっていた。
確かに彼女は、突然降って湧いた異世界への旅に戸惑ってはいた。
色々と相談したいこともあったのだろう。
けれども、悩みや不安があってもライムは向こうには行くつもりだった。
行くと決めていたがやはり不安をそのままにはしておくことはできなかったので、ここへ報告がてら来たというあたりだろう。
自分がライムの立場でもそうするとハイドルは考えていた。
元々、平和を待ち望んでいても待っているだけでは何も変わらないから動き出したのがリグやライムたち一行だ。
バラモスを倒してもまだ平和が来ないというのであれば、彼らは必ず旅に出る。
たとえ向かう先が未知の世界で、時の流れも違う遥か彼方であったとしてもだ。
決してひけらかすことはしないが確固たる正義心を持ち、時に頑固な彼らだから好きになった。
好きな人々の出発を暖かく送り出すのが友だ。
素晴らしい友を持てて幸せ者だと思えた。
「やっぱりハイドルにはわかってしまうのね。・・・行きたい。行って何ができるのか、本当に大魔王を倒すことができるのかはわからないけど行きたい。
だって行かなくちゃ未来を拓けないでしょう?」
「ライムの言うとおりだ。けれども・・・、怖いのならば言ってほしい。不安であれば言ってほしい。
私はライムを見送り無事を祈ることしかできないが、もっとあなたの心の支えになりたい」
「・・・怖い。向こうに行って、帰って来た時にハイドルや家族に受け入れてもらえないんじゃないかと思うと怖くてたまらない。
私を私だと認めてもらえないんじゃないかと思うと、足が竦むし体が震える」
「それは私の方が不安だな」
「え・・・?」
「ライムは1年しか歳を取らないのに、私は10年も年老いてしまうのだろう? 若い男に現を抜かし、私に見向きもされなくなるとそれはとても不安だ」
「そんなことないわ! だってあなたはどんな姿になってもハイドル、あなたよ」
「そうだ。私は何年経っても私だ。同じようにライムも、何があろうとライムだ。
リグたちとの旅の期間は短かったが、あれは10年やそこらで忘れてしまうような儚い思い出ではない。
だから、10年後には再会できたあなたを年甲斐もなく抱き締めているかもしれない」
姿に、若さに惹かれたのではない。
芯が強く凛々しく、けれどもリグたちの姉代わりを買って出ているせいかどうしても自らの悩みは抱え込みがちなライムの不安を少しでも軽くしたくて、
支えになりたくて惹かれた。
たとえ10年もの月日が仲を阻もうとも、ライムへの思慕の情が薄れるとは考えていなかった。
むしろ、各地を旅して多くの人々と出会っているであろうライムが自分よりも相応しい男性と巡り会っているのではないかと、そちらの心配をしてしまうことの方が多かった。
だからライムの悩みを初めて聞かされた時は、拍子抜けさえした。
そして、ああ、この人と私は同じことを考え同じように悩んでいたのかと気付き、おかしくなった。
ハイドルはテーブルの上に置かれたライムの手の上にそっと手を重ねた。
「大事な、大切な話を聞かせてくれてありがとう。ここまで来るのは大変だったろう? 私たちにはルーラが使えないから」
「キメラの翼で来るつもりだったんだけど、不死鳥の翼に乗って来ちゃった。可愛い子でね、生まれたばかりなのか神のしもべだからなのか、とても純粋で」
「それはあなたと一緒にいるからだろう。ライムを前にすると、どんな悪人も改心してしまうような気がする」
「まあ、そんなこと言っても何もしないわよ」
「何もいらない。・・・また、帰って来たらこうやって他愛ない話でも笑いたい」
「私も。待っててね、必ず帰って来るから。帰って来たら私、あなたと」
「それから先はすべてが終わってから、私の口から言わせてほしい」
「じゃあちゃんと帰って来なくちゃね。また1つ約束が増えちゃった」
顔を見合わせると、どちらからともなくふふっと笑みが零れてくる。
これから辛い旅が待っていて長い別れになるかもしれないというのに笑みを浮かべることができるとは、人は案外強くできているらしい。
未来を信じているから笑える。
幸せを願うことができる。
この思いさえ捨てなければ、大魔王とも充分に渡り合えるような気がしてくる。
「ここを発てばすぐに?」
「ううん、アイシャのとこに行こうと思ってるの。だってあの人、私のたった1人の姉だもの」
「彼女もきっと、いや、必ずライムの背中を押してくれる」
「私もそう思う。また餞別くれるかもしれないくらいに、喜んで送り出してくれそう」
「その『餞別』がどこから手に入れた物かは気になるが・・・。だが、彼女だから出所は大丈夫だろう?」
「もちろん。私たち、結構人様の家宝とかフルに使って旅してるから、いちいちそんなこと誰も気にしちゃいないわ」
町外れの門までゆっくりと並んで歩き、残り少ない時間をじっくりと消費する。
また会おうとハイドルに笑顔で別れを告げられ、ライムもまたねと笑顔で返す。
さよならではなく、またねなのだ。
これが永遠の別れだとは誰も考えてはいない。
考えてはいけないのだ。
「また絶対、絶対に帰って来るから」
サマンオサを後にしたライムの前に、空の散歩をちょうど終えたらしいラーミアが舞い降りた。