時と翼と英雄たち


囚われの人々    2







 アイシャは海図を机の上に広げると、幽霊船の話を聞いたことはあるかいと口を開いた。






「ロマリア南の海域にね、出るんだよ」


「幽霊が船を動かしてるってことなの? それとも単に無人の船が彷徨ってる?」


「見た目はボロボロだよ、穴は開いてるし舵だって壊れてて使い物にならない。でも夜な夜な動いてるってんだから厄介だったね」




 あそこは昔から航海の難所って言われてるから、それで沈んだんだろうねとアイシャは悲痛な面持ちで呟いた。
一応部下と共に中を散策したが、壊れ方からして大波に揉まれ海面に叩きつけられたのだろうと推測できた。
本来ならば真っ二つになっているはずの船がなぜ動いていたのかはわからない。
調べようにも、魔物が襲いかかってきたからだった。




「あの船の行ってからどうも調子が悪くてね。何かに祟られでもしたかと不安に思ってたんだよ」


「どうだエルファ、何かに憑かれてるように感じるか?」


「ううん、大丈夫だよバース。たぶん、普段視えないはずのものが視えちゃったショックが大きいんじゃないかな」


「・・・幽霊船と一緒じゃないと、アイシャさんたちは幽霊が視えないってことか?」





 リグはちらりと扉のあたりを見やった。
幽霊船なんてものを見たことがきっかけで全員そういった類のものが視えるようになったと思っていたのだが、それは違ったらしい。
だから今部屋に浮かんでいるこいつの姿も見えていないのか。
はるばる幽霊船から出向いてきたというのにとんだ無駄足だったことだ。
幽霊に通常足は生えていないから、無駄になる足もないのだが。
リグは幽霊に向かってそう落ち込むなと声をかけた。





「・・・リグ、あんたはどこ向いて喋ってるんだい?」


「わざわざ幽霊船からお越しになった幽霊男に向かって」



「・・・は?」






 ここにいるよと虚空を指差したリグを見て、アイシャの顔からほんの少し血の気が引いた。





























 リグたちは船上の人となっていた。
座礁1号の隣を一隻の船が併走している。
愛船の操舵をアイシャ配下の海賊に任せ、5人とアイシャは円になって甲板に座り込んでいた。







「あの船は奴隷船だったんだって。大小問わず何らかの罪を犯した奴らが漕いでたらしい」





 どおりでお前酷い格好してんだなとリグは1人頷いた。
彼意外に幽霊の姿は視えていないため、格好のことに言及されてもライムたちにはどうしようもない。
ただ、こういう現象も初めてではないので勝手にコミュニケーションを図ってもらっている。
相手が生きていようと死んでいようと、とりあえず仲良くなっておけば損はないだろう。
特にこの幽霊はずっと昔から彷徨っているように感じるし。





「なんだってうちの館にまでくっついてきたのか教えてくれる?」



「・・・呪縛? 呪いを解いてほしかったから・・・? 何言ってんだよ意味がわかんない」





 幽霊から話を聞いていたリグが疑問の声を上げた。
いきなり呪いと言われても対処に困ってしまう。
エルファは、おそらくは幽霊が浮いている方を向いて控えめに尋ねた。





「あの、私たちから見て呪縛って言ったら、あなたがいた幽霊船の存在そのものになるの。それとはまた別の、船の中での問題なの?」


「俺たちはリグみたいにやたらと幽霊視える体質じゃないから、細かいことは助けにくいんだけど」


「そうね。ジパングやサマンオサみたいに魔物が絡んでるんだったらある意味手っ取り早いんだけど、幽霊船総成仏とかだったらエルファの手には負えないわ」






 ライムの言葉にリグはそうだよなと言うと、どうなんだと幽霊を顧みた。
言葉を聞いているうちにリグの表情が険しく、そして悲しみを帯びてくる。





「・・・アイシャさん、オリビアの岬って知ってる?」


「知ってるよそりゃ。あそこの海峡通ろうとすると、どこからともなく悲しい旋律が流れてきて船が押し戻されるんだよ」


「その話は私も書物で読んだことがある。昔オリビアという美しい娘がいてある男と愛し合っていたのだが、ある日突然2人は引き裂かれてしまった。
 男の帰りを待ち続けていたオリビアだったが、ついに身投げしてしまったと・・・」



「そう。・・・でもってその海峡を越えた先には、サマンオサが古くから所有してる牢獄があるらしい。
 俺たちもまだ行ったことない、海にぽつんとある孤島の牢獄。こいつが言うには奴隷船にはオリビアの彼氏が乗ってて、今も彼女に会いたがってるらしい」






 サマンオサの牢獄と聞いた瞬間、ハイドルの顔色が変わった。
父サイモンの行方としては、もっとも怪しい場所だった。
今すぐにでも海峡を越えたい。
けれども行方もわからぬ男を想い命を絶った娘と、死してなお彼女を想い続けている男を会わせてやりたい。
おそらくはライムの姉妹か何かなのだろうが、幽霊船に悩んでいるアイシャも助けたい。
ハイドルはリグと幽霊を交互に見つめた。
これといった根拠はないが、確実に幽霊のいる場所を当てている気がした。





「幽霊船に乗りたい、リグ」


「わかってる。俺としてもいかにも怪しい牢獄はほっとけないし、幽霊船も気になってるし」


「私も、オリビアさんと彼氏さんを会わせてあげたいな。方法は全然思い浮かばないけど・・・」


「アイシャ、全速力でロマリア海域に着くようお願いしていい? 必要だったらリグにロマリアまで船ごとルーラさせるけど」





 幽霊となにやら話し込んでいたリグがぴしりと固まった。
船二隻を一気にルーラなど、やったこともないしできる気も起きない。
アイシャはあははと笑うと、お願いしようかとあっさりと言い放った。




「今夜中にはロマリア近くには行ってないとね。あたしらルーラなんて初めてだから楽しみだよ」


「ライム、余計な事言うのやめてくれる? ・・・バース、エルファ、ちょっと手伝え」


「悪いなリグ、俺とエルファは今から悪霊に取り憑かれないように結界張るから無理無理」





 助けてくれる者もいないリグに、幽霊が不安げな表情を向ける。
そんな顔してくれんのはお前だけだと呟くと、リグは苛々しながら目を閉じた。
フィルとの仲を見事に引き裂いてくれた、気味は悪いがやたらと強い男もいるのだ。
ルーラごときでぶつくさ言っていられなかった。
ロマリアは久々に行くが、きちんとあの辺りの風景を思い出せるだろうか。
地図上の位置を特定できるだろうか。
海賊船と座礁1号が青白い光に包まれる。
リグがルーラと叫ぶと同時に、二隻の船は太洋から消えた。







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