囚われの人々 4
急ごしらえの氷の階段を降りたリグたちは、地下を渦巻く強大な霊気に思わずこめかみを押さえた。
地上とは比べ物にならない幽霊の執念を感じる。
一歩間違えれば怨霊にもなってしまいそうだ。
エリックは実はもう人を祟る悪霊になっているのではないか。
リグの脳裏を、そんな絶望的な結末がよぎった。
「一応訊いといてくれリグ。エリックってさ、まだ幽霊なんだよな」
「『たぶんまだ幽霊というか生霊』らしいけど」
頭に圧し掛かるような重みを感じつつも船内を探索していたリグは、幽霊が必死に手招きしているのを見て彼に近づいた。
信じられないものを視界に入れた気がして、一度目を逸らす。
この船に生人として存在しているのは自分とライムとバースの3人だけのはずだ。
ではなぜ、足元に横たわる彼は虫のような息を吐いている?
幽霊船として彷徨い、本に書かれるまでに年月を経たオリビアとその恋人の物語の当事者が、なぜ人としてここにいる?
リグは2人を呼び寄せた。
ほどなくして現れたライムは目を見開き、バースは腕を組んで瞠目した。
「・・・リグ、この人生きてるんじゃ」
「息、してるしな。こいつは幽霊でも生霊でもない、俺たちと同じ人間だ」
「でもおかしいじゃない。どうしてこんな所に生きてる人がいるの? 私たち、集団幻覚を見てる?」
「幻覚じゃない、現実だよライム」
バースは目を開けるとそっと青年の隣に腰を下ろした。
ありえない状態で辛うじて人として存在している彼に、回復呪文はほとんど効かないだろう。
そう思いながらも、せめて口は利けるようにとベホイミを施した。
「俺たちの声が聞こえるか?」
「・・・・・・あなた、たちは・・・? 生きてる・・・?」
「俺たちはちゃんと生きてる。探しに来たんだよ、オリビアの恋人らしいあんたを」
「あぁ、オリビア・・・、僕はもう死んでしまう・・・。せめて君だけは幸せになっておくれ・・・」
オリビアと聞き、青年の目からぽろりと涙が零れた。
痩せ衰えて目は窪み頬はこけているが、相当の美形だったのだろう。
死にかけた容貌からも往時の彼の姿は容易に予想できた。
「オリビアに今も会いたい?」
「当たり前だ・・・・・・。オリビアは、僕がただ1人心から愛した、大切な人だ・・・・・。
どこにいても、何年経っても、彼女の事を忘れた日は一度だってない・・・・・・」
そんなこと一度でいいから言われてみたいわねと、ライムはぼそりと呟いた。
ハイドルなら望まずともさらりと言ってくれるだろうとリグが言い返せば、甲斐性なしは黙ってなさいと叱りつけられる。
俺のどこが甲斐性なしなんだ。
あることないこと勝手に言ってくれてとひとしきり憤り、今の自分には恋人と呼べる子がいないことを思い出した。
どちらかに原因があってこじれた仲ではないのだと、強引に別離に理由をこじつけたくなる。
そうでもしないと、正直他の男女の恋仲なんてどうだっていいと投げやりになってしまうのだ。
「お願いがあるんだ・・・、オリビアに逢わせてほしい・・・」
「そう言われても、オリビアはあんたを想い続けて身な「リグ、お前甲斐性どころか空気読む力もないのか」
ありのままの事実を伝えようとしたリグの口をバースが塞いだ。
なんてことするんだ気色悪いという気持ちを込めて睨みつけると、逆に睨み返される。
バースはリグの口を塞いだまま低く囁いた。
「オリビアが身投げしただなんて言ってみろ。俺がエリックだったら発狂して即悪霊だぞ」
「むがっぐがが(わかったから)・・・・・・」
リグはバースの手を引き剥がすと、エリックに向き直った。
言われてみれば、確かにフィルが自殺したと聞かされたら自分だって廃人になる。
エリックをニフラムしたら多くの人々に恨まれて祟り殺されかねない。
最悪の結末を自らが招き寄せなくて良かったと、リグは心から安堵した。
「俺たちだってオリビアさんに逢わせたいとは思ってるけど、エリックはここから移動できんのか?」
「・・・できない・・・。でも、何かに僕の心を入れてくれれば・・・。できれば生身の人間の身体がいいな」
「・・・なんでさっきから俺を見てるのかな、エリック?」
「・・・え、いや、別に・・・。ただ、こっちの黒髪の子よりも君の方が僕に近いものを感じるなって・・・。幽霊の直感?」
「美形は美形を求めるってやつか・・・。わかるぞ、それに俺、ちゃーんと彼女いるし」
「お前はいつの間にエルファを彼女にしたんだよ。どうせ妄想か夢だろ」
「い、いや、そんなんじゃなくて・・・。・・・時間、かな? だって君、ほんとは「よーし、今なら無料で俺の体をレンタルしちゃうぞ!」
今にも消えそうな弱々しいエリックの言葉をぶった切ると、バースは満面の笑みで頷いた。
おかしい、明らかに態度が豹変した。
誰だって体を乗っ取られるのは嫌だというのに、なぜあっさりと承諾したのだろうか。
もしかしてエリックはバースの、とても人には言えないような弱みを握っているのではないだろうか。
なんて羨ましい幽霊なんだ、俺にも奴の弱みを1つくらい教えてくれ。
リグは早速エリックに一時的に肉体を明け渡そうとしているバースを見やった。
こいつが今から『僕』口調になって、生意気じゃなくなるのか。
早く帰ってエルファに見せたいものだ。
帰ると思い階段へと視線を移したリグは、無意識のうちにバースを突き飛ばした。
うおっと叫んでバースが埃だらけの床に転がる。
何すんだよと息巻く彼に一言、リグは階段と言い放った。
「エリックになる前にもう1回階段作ってけ。ちょっと溶けてるから危ないだろ?」
「お前なぁ・・・!! そのくらい口で言えよ、突き飛ばすなんて鬼か!?」
「いいから早く。あとエリック・・・、言い忘れてたけど、オリビアに逢ったら天国に行けるか?」
こくりと頷くエリックを確認すると、リグはバースと呼びかけた。
バースは舌打ちすると、行きと同じようにマヒャドで創り出した氷柱を階段に加工していく。
リレミトを試みないのはそこまで考えが行き着かないのか、はたまた自分への悪質な嫌がらせか。
バースは階段を作り終わると、エリックの額に手をかざした。
「ったく、美術品並みに美しい俺の肉体なんだから大切に使えよ・・・・・・」
バースの瞳から光が消え、眠りに就くようにゆっくりと閉じられる。
再び目を開けた時の彼の瞳は、バースのものであるはずなのにひどく優しげに見えた。
どうやら幽体離脱と肉体転移に成功したらしい。
「えぇと・・・、エリック、よね?」
「うん。動く体になったのなんて何十年ぶりだろう、羽目外したくなっちゃうな」
「やめてやれ。一応こいつにもお前のオリビア的存在になりそうな子いるし、事情はわかってるだろうけどあんまり幻滅させるな」
「冗談だよ」
どこまでも穏やかに微笑むバースに、リグとライムは苦笑した。
なんというか、いつもの彼とは明らかに違うので調子が狂う。
このバースは人の悪いにやりとした笑みを浮かべることもないだろうし、気に喰わないことがあっても氷柱をぶつけたり火球を飛ばしたりはしないはずだ。
そんな温厚な彼がなぜ奴隷船などに繋がれていたのか非常に気になる。
きっと彼は、濡れ衣を着せられここに送り込まれたに違いない。
悲しい運命だと、リグはエリックを静かに見つめた。
「さ、やることやったしとっとと帰るか。俺ここもう来たくないよ、お前もそろそろ天国行けば?」
海賊の館からずっとぴたりとくっついていた囚人幽霊に、リグは笑みを向けた。
別れるのは寂しいが、この世に留まり続けて悪霊になってしまう方がもっと辛い。
リグが言わんとしていることを理解したのか、囚人はエリックににっと笑うと上へ上へと浮上した。
今まで何度も幽霊は見てきたが、ニフラムをせずに自力で天国へ向かう幽霊を見たのは初めてかもしれない。
天に還った囚人を見送りそのまま座礁1号へと帰還したリグたちを待ち受けていたのは、傷だらけで荒い息を吐いていたハイドルだった。