囚われの人々 5
傷だらけで甲板に膝をついているハイドルを見て、リグとライムの顔色が変わった。
リグたちの帰還に気付き立ち上がろうとしたハイドルに、動いちゃ駄目とライムが駆け寄る。
「どうしたの、何があったのハイドル・・・!!」
「・・・・・・が、・・・れて・・・・・・」
「話は後だハイドル。エルファ、結界はもういいからベホ「エルファが・・・、攫われた・・・!」
荒い息の下吐かれた言葉に、2人の顔から色がなくなった。
エルファが攫われた。いったいどこの誰にかどわかされたというのだ。
ハイドルの抵抗も振り切り、なおかつ怪我をさせるほどの相手だ。
魔物の仕業とは考えにくかった。
バースがいない時に限って何ということだ。
きょとんと首を傾げているエリックをちらりと見て、リグは唇を噛んだ。
「エルファのほどプロフェッショナルじゃないけど俺が回復するから・・・。・・・どんな奴かわかるか?」
「黒衣を纏った若い男だ。顔は隠れて見えなかったが、強力な呪文を操る魔法使いのようだった・・・」
「・・・まさかあいつか・・・?」
心当たりはあった。
自分とフィルの中をずたずたに引き裂いた原因を作った、いけ好かないキチガイ馬鹿だ。
いや、彼としか考えられなかった。
黒衣の悪意ある人物が自分たちをピンポイントで狙っている。
同一犯と考えるのが当たり前だった。
「アイシャたちは何も気付かなかったの?」
「それが不思議なんだライム。・・・上手くは言えないが、まるで私とエルファだけ空間が切り離されたようだった・・・」
「やっぱあいつだ・・・」
リグは治療を続ける手に力を込めた。
同じ場所に立っているはずなのに誰も外から介入できず、気付きもしない。
以前自分に降りかかった災難と同じだった。
こういう時にバースがいたら。
そこまで考え、リグはバースの姿をしたエリックを見やった。
「悪いエリック、一大事だ。あんたのオリビア的存在が攫われた」
「うん、わかるよ・・・。・・・僕の中のバースさんが言ってる、岬がどうとかって・・・」
「岬・・・? オリビアがいた岬ってことか・・・?」
「私はもう大丈夫だリグ。エルファが岬にいるのなら一刻も早くそこへ」
リグのホイミ連発によって、時間こそかかったが傷が癒えたハイドルがゆっくりと立ち上がった。
悔しかった。相次いで放たれる火球の全てを避けることができなかった。
気が付いた時には背後を取られ、エルファは男の傍に横たわっていた。
悲鳴も聞こえなかった。
助けようと思い立ち向かっても歯が立たず、あっという間に連れて行かれてしまった。
バースに会わせる顔がなかった。
「犯人の目星はついてる。・・・何としてでもエルファを取り返す」
「当たり前よ」
リグたちはアイシャにも大まかに事情を話すと、オリビアの岬へと船を急がせた。
忌々しくてたまらない。
オリビアの岬と呼ばれる海峡の端に立っているプローズは、隣に倒れているエルファを見て顔をしかめた。
生きていること自体が憎くてたまらなかった。
本来ならばとっくに死に絶えていてもおかしくないというのに、のうのうと生き延びている彼女が大嫌いだった。
誰も彼女を害することができないというのならば、自分があの世へ逝かせてやろう。
こういう死に方ならば、いかにもロマンチックで少しは報われるに違いない。
残酷さの中にほんの少しの親切心を混ぜたものの、訪れる結末に大した違いはない。
それも理解している上で、プローズは計画を実行に移そうとしていた。
「・・・君みたいな小娘でも何かの役には立つんだね・・・。命と引き換えなんだけど」
プローズは対岸にリグたちが現れたことを確認すると、エルファの額に手をかざした。
ぱちりと目を開け、緩やかに起き上がった体に満足する。
ここは、と密やかに呟かれた声にプローズは笑みを浮かべた。
「あなたの最期の地ですよ、オリビア。見えるでしょう、対岸にいるあなたの愛する人が」
「エリック・・・・・・!!」
オリビアの魂が宿ったエルファは、エリックの待つ対岸へ向けて海に足を踏み入れた。
オリビアの岬へやってきたリグたちは、うっすらと見える対岸の人影に顔を見合わせた。
そして、真っ直ぐこちらへ向かおうとして海に身を投げ出したエルファに息を呑んだ。
「エルファ!? 馬鹿なことしないで!」
「違う、あれはエルファじゃない・・・。あれはたぶんオリビアだ・・・」
リグには、エルファの体に重なるように若い女性が歩いているのが見えた。
あの男、自分たちがエリックとオリビアを引き逢わせようとしていることを知って協力したつもりなのか。
余計なことするなと言いたかった。
海のど真ん中で2人が再会を果たし天へ還れば、バースとエルファはそのまま沈んでしまう。
望まぬ心中をさせてまた新たな呪いを生み出すつもりなのかと、リグは拳を握り締めた。
悲しみの連鎖を生んでたまるものか。
リグは対岸のオリビアに向かって声を張り上げた。
死したとはいえ彼女も人間だったのだ。
自分たちと同じような悲しい恋人たちを作りたくはあるまい。
「オリビア! ほんの少しでいい、体の持ち主に意識の欠片を渡してやってくれ! このままだと体の持ち主も一緒に死ぬ!!」
「・・・リグさん、僕を信じて。オリビアは僕に任せて。あの子は絶対にバースさんに返すから」
「そうは言っても、あの黒ずくめの男はやたらと厄介なんだよ」
「・・・大丈夫。僕の中のバースさん、怖いくらいに滅茶苦茶起こってる」
だから任せて。
エリックはそう言い残すと、自らもまた海に足を踏み入れた。
オリビアを想い続けたがために奴隷船仲間と同じように、死体や幽霊になれなかった。
生きているのに誰にも会えない年月の間に、心が黒く染まってしまいそうなほどの絶望を味わった。
オリビアに逢いたい。
そう願い続けていたある日現れた人間たちは、己の身体を差し出してまで彼女に逢わせようとしてくれた。
無償の善意の裏には、もしかしたら彼らなりの打算があるのかもしれない。
それでもエリックは嬉しかった。
オリビアが身投げしたという事実を隠し通そうとしてくれた、心優しい青年たちが大好きだった。
だから彼らの仲間が何者かに攫われ、挙句オリビアの魂を入れられていることには怒りと悲しみを覚えた。
オリビアと逢えるのは嬉しいし、それに満足して天国へ行けるだろう。
しかし、無理やりにオリビアに仕立て上げられたこの子のことを考えると、悲しみが沸き起こった。
バースの感情が乗り移ったかのように、彼女を連れ去った男には怒りを向けた。
「オリビア・・・、すごく逢いたかったよ・・・」
「エリック・・・、私も、ずっと、ずっとあなたを・・・!」
言葉を交わし、抱き締め合っただけで魂が体から抜け出た。
そう遅くないうちに天国へ行ける。
エリックは、徐々に浮上していく身体を精一杯伸ばしバースを揺さぶった。
『バースさんバースさん、どうもありがとう。・・・早く起きて、そうでないと君の大切な人が海に沈んで死んでしまう』
『エリック・・・?』
『オリビア、君に逢えて僕はすごく嬉しい。僕はね、この人の身体を借りたんだ。オリビアもたぶん、知らないうちにこの子に魂を入れられてた』
オリビアはエルファを見下ろした。
真っ青な顔をして海に沈みかけている体に必死に手を伸ばす。
このままではこの子も死んでしまう。
エルファに手を伸ばしたオリビアを見て、プローズは眉を潜めた。
何も知らぬまま死なせてしまおうと思っていたのに、勇者たちは一筋縄ではいかなかったか。
やはり幽霊だけに頼ってはいられない。
プローズはエルファに向けて手を突き出した。
巨大な火球が一直線にエルファに飛んでくる。
死者の魂をも焼き消してしまうかのような炎に気付き、エリックはオリビアの手を引いた。
エリックの指がバースから離れる直前、接近する熱源からではなくバースの体が温かくなった気がした。
「エルファ・・・!!」
手出しできない場所から放たれた火球にライムは絶叫した。
あの威力なら、エルファだけでなくバースも焼死してしまったかもしれない。
目の前の惨劇に思わず膝をつく。
海峡の真ん中で白煙が上がっている。
白煙の中に浮かび上がる影に、リグは目を見開いた。
「・・・好き勝手して俺のエルファにまで手ぇ出しやがって・・・・・・。いい加減にしやがれ!!」
ぐったりと気を失ったままのエルファを片手で支えているバースはプローズに吼えた。
エルファの前には溶けかけた氷柱がある。
間一髪のところで覚醒したバースが、とっさにマヒャドで相殺したといったところか。
沈むことなく水面に浮かんだままのバースを見て、リグは自分の足元を見た。
水面に立っているというよりも、どちらかといえばわずかに浮いていた。
おかしい。リグはそこまで考えると、海賊船へと視線を移した。
すぐ近くにいるというのに何の反応もないのはなぜだろうか。
「・・・もう異空間にいるから、微妙に現実世界とずれてて浮かんでんのか・・・?」
一つの考えに行き付いたリグは、迷うことなく海へと足を踏み入れた。
思ったとおり体が沈むこともないし、水が足にかかることもない。
リグはこちらに背を向けたままのバースの隣まで歩み寄った。
声をかけることが躊躇われるほどに、バースは感情を剥き出しにしていた。
フィルの町の時とはまるで比べ物にならない、怒りが頂点に達して殺気すら放っていた。
「・・・リグっ、ここがハイドルが言ってた・・・」
「リグ、ライム、ハイドルも。・・・これから俺がやること、絶対にエルファには言わないでくれ。
あと、危なくなったらすぐに海賊船にまで戻れ」
「何するつもりだよ・・・」
「戦争」
バースとプローズの指から同時に放たれた巨大な火球が、派手な音を立ててぶつかった。