囚われの人々 8
暗く、じめじめとした回廊を歩く。
この忘れ去られた牢獄のどこかにサイモンがいるはず。
ハイドルは、自らが幼い頃によく抱き上げてくれていた父の笑顔を思い出しながら、牢の1つ1つを丁寧に見て回っていた。
「いつごろから入れられてたんだろ、この人たち・・・」
白骨化して久しいいくつもの亡骸それぞれに祈りを捧げていたエルファが、ぽつりと呟いた。
眠っているというか、気を失っている間に様々なことがあったらしい。
何があったのかは詳しく教えてもらっていないが、何にせよ、この孤島の牢獄に来ることができて良かった。
エリックとオリビアも無事に再会し、天に昇っていったというし。
「・・・サマンオサ王が豹変したのは私がまだ子どもだった頃だから・・・。おそらくは、父と同じ頃に収監されたのだと思う・・・」
「神父様だったのかな・・・・・・。魔物にとっては大っ嫌いな存在だったんだろうね・・・」
銀のロザリオを胸の前で持ったまま息絶えている白骨死体を見下ろし、エルファはゆっくりと瞳を閉じた。
我が身が危険に晒されることも覚悟した上で、王に成りすましたボストロールに反抗したのだろう。
どんな思いで遠ざかる故国を眺めたのだろうか。
もう二度と帰ることができない故郷は、どのように映ったのだろうか。
エルファの脳裏にふと、紅蓮の業火に飲み込まれる街が浮かんだ。
滲みぼやけた視界と、肉が爆ぜる嫌な臭い。
想像ではないどこか生々しい光景を思い浮かべたエルファは、はっとして目を見開いた。
背中にじわりと汗が流れるのを感じた。
今のはまさか。
確信はなかったが、ただの妄想とも思えなかった。
あと少し、あと少しで大切なことがわかる気がする。
エルファはそう信じると、凄惨な光景を頭から振り払った。
今はサイモンを探すことに専念しなければならない。
エルファは少し先を歩くリグたちの元へと走り寄った。
「エルファ、体調悪いなら休んでた方がいいわよ?」
「大丈夫、ちょっと考え事してただけ」
「だったらいいけど・・・。あんまり無理しちゃ駄目よ?」
ライムとエルファは、がちゃりと鳴った思い金属音に男性陣を顧みた。
床に膝をついたハイドルの肩が小刻みに震えている。
ハイドルの前には一振りの剣と、それに寄り添うがごとく揺らめく人魂があった。
「・・・我が名はサイモン・・・・・・。剣を火口に投げ入れよ・・・」
「・・・・・・」
死んでいるとは思っていた。
父と別れて何年経ったというのだ。
こんな、動物すら近づかないような陰気臭い牢獄では、いかに勇者であろうと無事で済むはずがなかった。
わかっていた、わかっていたはずなのに、ハイドルは衝撃を受けていた。
肉親の死ほど受け入れがたいものはない。
だが、たとえ受け入れるのには酷なことでもそれが事実である以上、目を逸らしてはならなかった。
父はこうして死して魂だけの存在になっても、次代の勇者たるリグを導いている。
サマンオサの勇者サイモンは、ハイドルの誇るべき父だった。
「・・・ハイドル、これサイモンさんの形見だろ・・・? 火口に投げ入れるとか、できるわけないって・・・」
「いいや、この剣・・・、ガイアの剣はリグに預ける。それが父の遺志なのだ、父の望みを叶えてほしい」
ハイドルはずしりと重いガイアの剣を床から引き抜くと、リグに手渡した。
父の手によって使い込まれた剣の柄は、今のハイドルにとってもやや太く感じられる。
父の手は随分と大きかったのだろうな。
ハイドルは剣の傍に横たわる亡骸をじっと見つめた。
できることならば、サマンオサに持ち帰り墓に葬ってやりたかった。
「リグ、ライム・・・。私は、父と共にサマンオサに帰ろうと思う」
「・・・そっか。サイモンさんの剣は、俺たちがちゃんと使わせてもらうよ。今までありがとな、すごく助かった」
「私もだ。リグたちと出会わなければ、私もサマンオサも、ずっと変わらなかっただろう。本当にみんなには感謝している」
ハイドルは屈み込むと、小さな袋にサイモンだったものを入れた。
隣にたゆたう人魂はきっと、目の前に息子がいることもわからないだろう。
ここに来るとすら、思わなかったに決まっている。
何も言わずに、いつもの魔物討伐の時と同じように家を出て行ってそれきりなのだから。
「サマンオサが誇る勇者にして偉大なる我が父サイモン・・・。父上の悲願は、私の友人たちが必ずや成し遂げてくれましょう」
返事など期待していない。
ただ、言いたかっただけ。
人魂に背を向け地上へ帰還しようとしたハイドルたちの背に、ハイドルと呟く震えるような声がぶつかった。
海へと戻ってきたライムは、アイシャの海賊船に残ったハイドルとしばらくの別れを惜しんでいた。
短い間だったが、彼からは様々なことを教えてもらった。
剣技だって上達したし、何よりも楽しかった。
やや暴走しがちな弟分たちの面倒を見る身としては、支えてくれるハイドルの存在がとても頼もしかった。
「これからの旅も、あまり無茶はしないでほしい・・・」
「大丈夫。サマンオサにも遊びに行くね、サイモンさんのお墓参りもしたいの」
「父も喜んでくれると思う。私は、ライムに出逢えて幸せだった。また旅をしよう、平和になったら」
「・・・うん。そのためにも、リグたちと頑張らなきゃね!」
サマンオサへは途中までアイシャの海賊船で連れて行ってもらい、そこからは自力で帰るという。
国を救ったリグたちがふらりと現れれば、民にもみくちゃにされたり王に招かれたりして、旅に支障が出るからと考えたからだった。
それに、今のハイドルには同行者がいた。
非常に頼りないことこの上ない同行者だが、だからこそハイドルは責任持って彼を送り届けなければならなかった。
「いやぁ、まさかこんな所で父の知り合いに会えるとは」
人の良さげな笑みを浮かべ頭を掻いている青年を見て、ハイドルは小さく笑った。
国境近くの教会の神父の息子を探しているとリグから聞いてはいたが、まさか海賊船で会うとは思わなかった。
「こいつ、海に浮かんでたんだよ。サマンオサの悪政から逃げてきましたとは言ってたけど、ライムの知り合いの息子さんだったとはね」
「僕もびっくりですよー。これも神のお導きなんでしょうねぇ」
「ハイドル、彼も町までよろしくね」
「任せてくれ。ではアイシャ、出発してくれませんか」
ライムは座礁1号に引き返すと、遥か東方へと漕ぎ出した海賊船をじっと眺めた。
いつまでもぐずぐずといたら別れにくくなるから、ハイドルは精一杯の配慮をしてくれたのだろう。
寂しくないといえば嘘になるが、すっきりとした別れにライムは満足していた。
「いい男だったな、ハイドルって」
「そうね、素敵な人だったわ。リグもあのくらい目指さなきゃ」
「俺とはちょっと毛色が違う、王子様みたいな勇者だよハイドルは」
サイモンとハイドルから託されたガイアの剣を胸に抱えていたリグとライムは、水平線の向こうへと消えていく船を静かに見送った。
あとがき(とつっこみ)
『囚われの人々』とは、幽霊船のエリックと岬に張り込み続けて早何年のオリビア、そして嘆きの牢獄のサイモンでした。
ライムがお姉さん通り越してお母さんみたいなことになってるけど、優しくて厳しくて美人なお母さんだったら私も欲しい。
次回、いよいよ勇者一行があの大陸に上陸します。