テドン 1
新たな主の手へと渡ったガイアの剣は、なぜだか触ると温かい。
まるで陽の光に照らされた大地に触れているようだと、リグは船室の脇に置いている剣を見て独りごちた。
サイモンの形見であるガイアの剣は、世界のどこかにある火山の火口に投げ込まなければならなかった。
それがどこにあるのかはまだわからなかったが、今まで足を踏み入れたことのない大陸にあることは明らかだった。
バラモスの居城ネクロゴンドを取り囲む巨大な大陸。
ついにここまでやって来たのだと考え、今までの長い旅を振り返った。
アリアハン近くの海岸に倒れていたエルファを拾い、初めは3人で旅を始めた。
歩いて数十分のうちにナジミの塔から降ってきたバースと出会い、それからずっと旅を続けている。
捕り物は二度ほどやったし、人助けは数え切れないほどしてきたつもりだ。
ライムの家族も無事見つかったし、寄り道にも収穫はあった。
フィルと別れたのも記憶に新しい。
全身黒ずくめの男とは、必ずどこかでまた顔を合わせるだろう。
本当に様々な人と出会い、そして別れてきた。
こんなに多くの人々と出会ってきたというのに誰一人としてエルファのことを知らないというのも、なかなか不思議な話だったのだが。
「リグ、そろそろ上陸しようってライムが」
「わかった、今行く」
船で探すよりも陸上を歩いた方が見つかりやすいと判断したのだろう。
リグはエルファの呼びかけに応えると、荷物をまとめ新たなる大陸へと足を踏み出した。
「なんか気味悪いな、ここ」
「バラモスの統治圏内ってとこかしらね」
がさがさと森を抜け散策していたリグたちは、前方の開けた土地にぽつりと建物があることに気が付いた。
人っ子一人訪れないような地に住んでいるとはよほどの物好きが住んでいるのか、あるいはただの廃墟か。
魔物の溜まり場になっていたら厄介だと身構えながら近づいたリグは、それが教会であると知ると剣をゆっくりと降ろした。
「こんな辺鄙な場所に教会なんて、神様信仰してる人はどこにでもいるんだな」
「どこにいても神は等しく私たちを見守って下さるんだよ」
教会の前の騒ぎを耳にしたのか、扉が静かに開かれる。
そっとこちらを見つめていたシスターの目が1ヶ所で止まり、顔色が変わる。
バースはエルファをシスターの視界に入れないようにさりげなく前に立つと、にこりと笑いかけた。
「こんにちはシスター、お祈りさせてもらってもいいですか?」
「え、ええもちろん・・・・・・。皆さん、どうぞこちらへ」
リグたちを中に促していたシスターの顔が、エルファをひたりと見据える。
通り過ぎようとしたエルファを、シスターはあのと言って呼び止めた。
「何でしょう?」
「あの・・・、あなたはもしや「エルファ、向こうで火山の話が聞けるみたいだって」
「そうなの!? ごめんなさいシスター、また後でお話聞いてもいいですか?」
「えぇ・・・」
晴れた空の色とよく似た長い髪に、曇りひとつない優しげな青い瞳。
そしてエルファと呼ばれていた名前。
その姿と名は、初老のシスターの遠い記憶の底に眠っていたとある少女と異様に似ていた。
似ているなんてものではない、あれはまさか本人ではあるまいか。
シスターは己の考えをそれはないと決めつけようとした。
彼女はとうの昔に天に召された人なのだ。
目の前で熱心に火山の話を聞いている賢者とは別人に決まっている。
第一、彼女は賢者ではなくて神官だったはずだ。
シスターはちらりと銀髪の青年を見やった。
先程の会話を遮ってきたのはあの男だった。
苦々しいというか、苦しげな表情を浮かべていた。
彼女について何を知っていても口にするなと、目で訴えていた。
青年のことは何も知らない、初見だった。
やはり別人なのだろう。
シスターはそれきり、エルファに関する疑問を封じ込めた。
彼女たちは火山を探し回っている旅の一行であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
ただ、数十年前にかの大国から派遣され笑顔を振りまいていた少女と似ているだけなのだ。
願わくば旅人たちに神の御加護がありますよう。
シスターは優しく微笑みかける女神像に祈りを捧げた。
教会を後にしたリグたちは、再び森をかき分け進んでいた。
火山よりも耳寄りな情報を手に入れたのだ。
もともとあの教会には、近くにあったテドンという村に住む人々が訪れていたらしい。
しかしバラモスの襲来によって村はあっという間に滅ぼされ、今も廃墟のまま残されているというのだ。
バラモスの軍勢の傷跡。見ないわけにはいかなかった。
できることならば供養もしたいし、奴にまつわる情報や手がかりもあるかもしれない。
リグたちは神父から大体の場所を聞き、テドンへと向かっていた。
「バースどうしたの? さっきから顔色悪いけど・・・」
「何でもないよエルファ。・・・エルファ、ほんとにテドンに行きたいか?」
「・・・うん。どんなに悲惨な光景が広がってても、きちんと見とくべきだとは思う。それにオーブも全然足りてないしね」
「何があっても!! ・・・何があっても、エルファはエルファのままでいてくれ・・・」
「バース、なんだかやっぱり変だよ。具合悪いならリグに言って・・・」
リグと声をかけようとしたエルファの腕を、バースは無意識のうちに引き寄せていた。
はっと気が付いて慌てて手を離すが、バースを見つめるエルファの顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
今日のバースは甘えたさんだね。
エルファはにこっと笑うと、バースの手を握った。
驚いて前を歩きだしたエルファを見ると、彼女の頬はうっすら紅く染まっている。
2人には内緒だよと恥ずかしげに呟く彼女が愛おしくてたまらず、バースはエルファの小さな手をぎゅっと握り返した。
何があっても逃げないとあの日誓ったではないか。
いずれここに行くことになるともわかっていた。
正直なところ、ここに行って何があるのかバースにもわからない。
もしかしたら何も起こらないかもしれないし、2人の関係を揺るがす大事件が起こるのかもしれない。
しかし、もう逃げない。
バースはすっかり頼もしくなったエルファの背を見つめ、固く決心した。
破壊の限りを尽くされた家屋、打ち砕かれた教会の像。
至る所には毒の沼地があり、地面を見下ろせば人の骨のようなものすら目に入る。
人はおろか動物すら近づかない廃墟で、リグは立ち尽くしていた。
魔物に滅ぼされたというから、それなりの覚悟はしていた。
しかし、覚悟はしても実物を見ると目を伏せたくなる。
どれだけの人が殺されたのだろう。
こういう所にいがちな幽霊の姿も見えず、リグは事件の凄惨さを改めて思い知っていた。
「・・・ひどい・・・」
「一夜のうちに滅ぼされたテドン・・・。ネクロゴンド城に近かったから、手始めに標的にされたのね・・・」
事件からそれなりに年月が経っているというのに全く風化していない当時のままの現場を見渡し、リグはゆっくりと歩き始めた。
戸惑っているだけでは先に進めない。
二度とテドンのような悲劇を他の町が味わうことがないように、今できうるすべてのことをすべきだった。
魔物が大挙して押し寄せていたようだし、どこかに手掛かりがあるはず。
かつて牢獄があった場所に歩み寄ったリグは、牢の中に横たわる白骨死体の脇に書かれている血文字を見つけた。
「・・・3人とも、これ」
ところどころ掠れていながらも力強い字で記された文を見て、ライムたちは顔を見合わせた。
オーブがここにあった。
村が滅ぼされる前、ここの村には、この囚人はオーブをそれがオーブであると認識した上で持っていた。
死体の周辺に視線を飛ばすが、オーブがどこにも落ちていない。
では今、失われたオーブはどこにあるというのだろう。
考えても心当たりはなかった。
持ち主に尋ねようにも、魂すら残されていない死体が答えるわけがない。
「打つ手なし、か・・・」
「今日はもう日も暮れようとしてるから無理だけど、明日この辺り探してみる?」
「難しいと思うわ・・・。私が魔物なら、オーブを見つけたらとっくに壊すか捨てるかしてる」
「バース、お前どう思う」
リグはテドンに着いてからずっと黙り込んでいるバースに意見を求めようと顧みて、眉を潜めた。
顔色が悪すぎる。名を呼んでもぼんやりとしているし、何よりも覇気がない。
エルファが呼びかけても返答が鈍いとは、相当参っているようだ。
誰よりも魔力が強くいわくありげな彼のことだから、自分たちが感じることのない、言うなれば魔王の瘴気に当てられてしまったのかもしれない。
何にせよ、今から船に戻るのも日が暮れそうで危険だし、今日はここで夜を明かすしかない。
リグはバースの肩を思いきり叩くと、やや強引に顔を上げさせた。
「・・・悪い、ちょっと調子乗らなくてさ・・・」
「パーティーの問題児がそれだと困るんだよ。ほら、今日はここで休むからそれで元気出せ」
「俺、問題児じゃねぇし・・・。てか、俺の方が年上なんだけど」
「そうよリグ。バースのマヒャドはあれこれ使えて便利だなって言ってるじゃない。もう少し労わってあげたら?」
「いや、俺便利屋でもないんだけど・・・」
口調に元気こそないがほんの少し笑みを見せたバースに、リグとライムは顔を見合わせにこりと笑った。
バースには神妙な顔つきよりも、明るい笑顔の方がよく似合う。
本当に、何が彼をそこまで落ち込ませるのかはわからないが、彼が本調子に戻るのを手助けする心構えは充分あった。
「明日は発掘作業するかもしれないからよく寝ろバース。そして起きたら働け」
「へいへい、仰せのままに便利屋させてもらいますよ」
リグたちが眠りに就いた数時間後、テドンの村全体を淡く儚い光が包み込んだ。