リムルダール 5
対ゾーマ最前線の町にしては活気があり、綺麗なところだなと思う。
メルキドのように意気消沈している住民も少なく、むしろ人々は妙に落ち着いている。
街を囲うように流れている水はさては聖水か?
そう考え水を口に含もうとしたリグは、後頭部をバースに叩かれむっと眉をしかめた。
「何すんだよ」
「それはこっちの台詞だって。よくもまあこんな暗い世界のもの口にほいほい入れようとするよな! やめろ俺の寿命が縮むから!」
「ここの水は聖水かなっていう水質検査をだな・・・」
「普通の水だから! なんなら程よく汚染されかけてる普通の水で、マイラの温泉の方がよっぽど美味しいから!」
冗談が通じない奴だなと責められるが、冗談で本当に飲まれて腹でも下されては堪らない。
現地の人々ですら生で飲まないものを、いくらルビスの加護を受けているとはいえ果敢に挑戦されては困る。
バースはエルファから受け取った布で口の周りを丁寧に拭うリグを見つめ、はああと深いため息をついた。
勇者ではないと知ってからのリグは、以前よりほんの少しだけやんちゃになった気がする。
旅を始めたばかりの16歳の頃ならばともかく、数年間旅をしてそれなりの修羅場や死線を潜り抜けてきた今になって羽目を外すようになったのは
人間形成としてはどうかと思うが、本人もエルファたちも楽しんでいるようなので基本的には静観している。
良くも悪くも『勇者』という称号は本人が気付いていなかったものの重いものだったのだろうなと、同じく賢者の肩書きに押し潰された者としてもなんとなく理解はできる。
自棄になっていないのであればいくらでも見守っていられる。
勇者の傍らで支えるというのはそういうことなのだと思う。
「あの岬を越えたらゾーマ・・・なのよね」
「まあそうなんだけど、今のままじゃまだ虹の架け橋は完成しないから最後の仕上げに行こうと思う」
「仕上げ? 私たち雨雲の杖と聖なる守りしか持ってないのに?」
「太陽は実はもう持ってたんだ、リグが。そりゃ俺らがどれだけ探しても見つからないよな」
「え?」
櫓の上からぼうとゾーマ城の方角を見つめていたリグに、ライムがそうなのと問いかける。
持ってたつもりはなかったんだけどと言い置いたリグは、懐をごそごそと探ると手から少しはみ出る大きさの石を取り出した。
「こっちの世界って陽が差さないから寒くてさ。腹が冷えないようにってラダトームの台所で温めたらしい石もらったんだよ。
そしたらこの石いつまで経っても全然冷めなくて、ずっと温かいわけ」
「え、もしかしてその湯たんぽ代わりのが・・・?」
「太陽だったって驚きだよな。ローラ姫俺に優しすぎるとは思ってたけど、あっさりくれちゃうくらいだから王族ってのは太っ腹だよ」
リグから受け取った太陽の石は、確かに仄かに温かい。
本当の本当にこれが探すべきものなのかどうか確信は持てないが、元盗賊でアレフガルドの宝物にも詳しいバースのお墨付きならばきっとこれが太陽の石なのだろう。
ラダトームに立ち寄るたびにローラは何かとリグに贈り物をしていたようだが、まさか国宝に等しいものをただの湯たんぽとして差し出すほどのぞっこんぶりだとは思わなかった。
そのうちラダトーム王国そのものまで彼女の身体と一緒に寄越してきそうで、それはそれで怖い。
リグの父はあのオルテガだ。
箱入り王女の心を虜にする秘術をリグも生まれながらに受け継いでいても不思議はないのだ。
「なんだかリグってほんとにオルテガ様の子ってわかるよ・・・」
「お、そうか? やっぱ似てきたのかなあ」
「いろんな人に好かれるとこなんてそっくりだよ」
「そっか。・・・父さん、今頃ひとりでゾーマ城に乗り込んでるのかな」
死んだと思っていた父が実は生きていて、今も戦っている。
自分の名前以外何も思い出せないと聞いたが、それでも父に変わりない。
リムルダールでも父の話はちらほらと聞くし、だからこの町の人々はまだ明るくいられるのかもしれない。
存在だけで闇を弾き周囲を照らすその姿はまさしく勇者だ。
いつか本物の勇者になれた時は、父のようにありたい。
本物の勇者と出会えた時は、父の姿を伝えたい。
リグにとってオルテガとはまさしく勇者だった。
「俺ら、もしかしたら父さんと一緒にゾーマと戦えるかもしれないのかな」
「そうね、もしかしたらあるかも。・・・不思議ね、あんなに大きかったオルテガ様と私たちが共闘できる日が来るなんて」
「ほんとだよなあ・・・」
「ほんとかもしれないけど、まずは仕上げに行こうな? ここで俺らが焦って行ってもオルテガ殿に会う前に返り討ちに遭うだけだ。
リムルダールの南に賢者がいる。絵本のモデルとも言われている、虹をつくる人だ」
オルテガとの共闘を夢見ているリグとライムには悪いが、その夢はおそらく叶わない。
自力で海を越えたとして、満身創痍の身体で乗り込んで勝てるほどゾーマやその部下たちは弱くはない。
それに、だ。
(俺はやっぱりまだ何かを忘れてる気がする・・・)
過去の文献も読み込んだ。
虹の架け橋に手がかりがあることもつかんだ。
太陽の石や雨雲の杖を手に入れ、ルビスの加護も受けている。
万全のはずだ。
自身にも何度もこれですべてだと言い聞かせているはずなのになぜだろう、何かが足りない気がする。
それは経験や熟練度ではなくもっと大切な、一番忘れてはならないものを、まるで気付いてはいけないもののように隠されているような気分にすらなっている。
「どうしたのバース、何か気になる?」
「いや、そうじゃないけど・・・。どうしちゃったのかな、俺も記憶が飛んでるのかな」
「バース?」
「・・・ごめん、なんでもない。思い出せないのは初めから存在しないからだ。行こうエルファ、虹を手に入れよう」
リグは勇者だ。
たとえ今勇者でなくとも、魔王との戦いで勇者として真に覚醒したリグが闇を祓う。
それが賢者一族の悲願で、ルビスの願いで、リグの目標だ。
バースは不安な表情を浮かべているエルファの肩に手を置くと、決戦前とは思えない穏やかな表情で語らっているリグとライムを見つめた。