ルビスの塔 1
エルファの膝の上ですやすやと眠り続けるバースの脇腹を軽く蹴り、おいと声をかける。
口や態度では嫌だと言っていても、やはり生まれ育った実家にいると気が緩むのだろうか。
寝付いたきり一度も目を覚ますことがなかったバースが気だるげに目を開け、ぼんやりとした締まりのない表情でこちらを見上げてくる。
いい面構えしてるじゃないか。
挑発的な笑みを浮かべ言い放つと、バースがむっと眉根を寄せる。
バースは体を起こし立ち上がると、リグへ向き直った。
「起こすならもっとまともに起こしてくれるかな、リグくん?」
「蹴ってなきゃ今もぐうたら寝てんだろ。だらしない顔しやがって」
「まだここは安全だからな。いやあ、先祖の力ってありがたいもんだよ」
「俺はご先祖の力のせいで、自分でも訳わかんない力もらって困ってるけどな」
覚醒早々火花を散らし合うリグとバースに戸惑ったエルファが、地図を手に取り強引に2人の間に割り込む。
仲は悪くないはずだが、2人は時々物騒な顔をして物を言い合うから心臓に悪い。
エルファは広げた地図の一点をびしりと指差すと、リグたちの注意を地図へと引きつけた。
「ほ、ほら、光は今はドムドーラ?ってとこに止まってるよ! 今ならもしかしたら追いつけて、急げばドムドーラで会えるかも!」
「ここからドムドーラまでどのくらいかかるんだ」
「ラダトームまではルーラで帰るとして、そこから先は陸路だから・・・。・・・そういや俺、歩いたのってガキの時以来じゃね?」
「ほんと使えねぇなこのアホ賢者!」
「でも、アレフガルドはずっと夜だから何日かかるとも言いにくいんだよ」
「アレフガルドの時間概念はもういい。とりあえずラダトームに行くぞ」
白い光が確実に北上しつつあるのはわかったが、光がやって来るのをずっと待っているわけにはいかない。
プローズはバースと同じ、いや、彼以上に実家に寄りつかないであろう男だ。
彼の動きが止まっている今こそ行動のチャンスだ。
リグは神殿の奥から黙ってこちらを眺めている賢者一族当主へとちらりと視線を移すと、行くぞとひときわ大きく声を上げた。
「バース、お父さんにご挨拶しなくて良かったの?」
「いいんだよあんな奴。できればもう二度と来たくないね、こんな辛気臭いとこ」
「バース・・・。・・・帰る場所があるって、バースが思ってるよりもずっと素敵なことだよ」
「家だと思ってたとこに裏切られる気持ちは、今のエルファなら知ってるはずだと思ったんだけど」
「・・・」
「エルファは、目の前で実家みたいなとこが潰されて苦しさも知ってるよ」
だから、エルファを困らせるようなこと言ったり同意求めんな。
リグはなおも言い募ろうとするバースの言葉を遮ると、ラダトームに向かうべくルーラと高らかに叫んだ。
今頃、異世界から遣わされた光導く勇者リグはどこを旅しているのだろうか。
初めて彼に会って大魔神の攻撃から救われて以来、脳裡からリグの面影が消えることはない。
傷だらけで運び込まれた勇者オルテガよりも線が細く、決して屈強そうには見えないいでたち。
一国の王や姫の前でも臆することのなかった、堂々とした立ち居振る舞い。
有能だが奇人揃いと言われるアレフガルドの叡智、ルビスの愛し子を使いこなす度量の広さ。
今まで見たことのなかった懐の深さを持つリグを、ローラは少なからず想っていた。
ゾーマを倒すという目的のために旅を続けるリグが、そう何度もラダトームに足を運ぶとは思えない。
現実で彼と会えないのであれば、せめて夢の中で彼に近付きたい。
決して思い通りにはならない厄介な夢にすら祈りある晩眠りに就いたローラの夢に現れたのは、見知らぬ塔で戦うリグやバースたちの姿だった。
リグたちの先のは美しい像と、その前で倒れている女性がいる。
女性の傍には誰かいる。
どこかで見たことがある気がするが、あれは誰だろうか。
夢の疑問の答えを導き出す前に、視界が激しく揺れ始める。
頭が割れるように痛い。
何か、とても恐ろしいものが近付いてくる。
これはただの夢ではない。
これは時折見る、賢者の力を借りてもなお治すこと叶わなかった予知夢だ――――。
夢の中でリグに会えた喜びと、彼の身に降りかかろうとしている事件が気になってたまらない。
今すぐリグに会い、不安な思いを打ち明けたい。
ほうと小さく息を吐きバルコニーから城下を見下ろしていたローラは、城門前に光と共に突然現れた集団を見つめ思わずえっと叫んだ。
「リグ様、リグ様、リグ様ーーーっ!」
「・・・ん? あれ、ローラさんじゃん」
はしたないとわかっていても、大きな声で叫んで良かった。
ローラは慣れない大声を上げたせいか、はたまた意中の人物がこちらを仰ぎ見たせいか熱くなった頬を押さえへにゃりと座り込んだ。
嬉しすぎて腰が抜けるなど初めての現象で、主の突然の変調に召使いたちも慌てふためいている。
本当はこんな所でへたり込んでおらずに一刻も早くリグたちに夢の中身を伝えたいのだが、足に力が入らず立ち上がることすらできない。
どうしよう、今すぐ人をやってリグたちを呼び止めなければ。
人を呼ぶべく顔だけ扉へと向けたローラは、扉の前に立ちリグたちの姿にきゃあと悲鳴を上げた。
「えっ、リグ様・・・?」
「うん? ていうかどうしたんだよローラさん、大丈夫?」
「あっ、はい・・・。・・・その、リグ様をお見かけして驚いてしまって・・・」
「俺のこと、死んだとでも思ってた? ま、死にかけそうな時もあったけど」
「そのようなこと、嘘でもおっしゃらないで下さいませ! ローラは・・・、私はリグ様のことをずっと、ずっと想っておりましたのに・・・!」
「そっか、心配してくれてありがとな。聞いたかバース、ローラさんみたいな綺麗な人が俺を心配してくれてるんだぜ?」
「・・・父子揃ってどんな王女キラーだよ・・・」
「うん・・・。私、昔似たようなの見たことある・・・」
ぼそぼそと言葉を交わし合っているバースたちを部屋の前に置き捨て、ローラの手を取り椅子まで誘導する。
差し出された水を飲みほうと可憐に息を吐いたローラは、リグをじいと熱っぽく見つめた。
「リグ様、私、夢を見たのです」
「へえ」
「夢にはリグ様やバース殿がいらっしゃいました」
「姫の夢にはできれば出たくないんですが」
「やめろってバース。夢の中身制御できるわけないのに無茶ばっか言うよな、あいつ」
「はあ・・・。・・・それでその・・・。すごく嫌な夢でした・・・。塔で戦っておられたリグ様たちが大きな黒い何かに飲み込まれていく、とても恐ろしい夢・・・。
私はとても嫌な予感がします・・・」
夢を思い出したのか、泣きそうな顔になるローラを安心させるべく笑顔を見せる。
ローラが見る夢はただの夢ではなく、未来を映す予知夢だ。
たとえどんなに気を付けても、それは起こってしまうのだろう。
リグは懇願するかのようにこちらを見上げてくるローラの頭をぽんぽんと撫でると、扉の前で難しげな表情を浮かべているバースとエルファの元へ歩み寄った。