時と翼と英雄たち


ルビスの塔    9







 お母さんはね、昔すごく綺麗なドラゴンを見たの。
魔物のはずなのにとても綺麗な澄んだ瞳をした、とても賢くてそして優しい白銀のドラゴンを。
私が若かった頃友人とはぐれ森で迷ったことがあったのだけれど、魔物に襲われてもう駄目という時に現れて助けてくれたのが彼だったわ。
いいことプローズ、バース。
この一族には、精霊ルビスだけではなく強く気高きドラゴンの加護もあるの。
だからもしもあなたたちの身に危険が迫って、お母さんだけの力ではあなたたちを守れなくなっても白銀のドラゴンがきっと2人を守ってくれるわ。
あなたたちはルビスの愛し子にして、ドラゴンの加護を受ける存在。
たとえ何が起ころうと、ドラゴンが絶対に助けてくれる。
私はそうドラゴンと約束したの。
亡き母アリシアの昔話は今でもよく覚えているが、ドラゴンとの出会いだけは嘘だと思う。
出会ったことは間違いではないのだろうが、守ってくれるかどうかという点においてはあいつは何も守ってくれやしなかった。
忘れもしないあの日、凄惨を極めたルビスの塔の最上階にドラゴンが舞い降りたのはすべては終わった後だった。
白銀が無残に傷ついた手負いのドラゴンは、来はしたが何もしてくれなかった。
己の力を信じてくれていた母との願いをあっさりと破り、ただ、そこに訪れただけだった。
母は、魔物と心を通わせる力があったらしい。
父と結婚してから力を失ったらしいが、母の力はバースが少しは継いだらしい。
幼い頃はただの迷い猫と思い可愛がっていたサティはラゴンヌだったが、成獣となってからもサティはバースにはよく懐いている。
あれは底抜けに優しすぎる奴だから、誰にでも手を差し伸べる。
大した取り柄もない神官の小娘など、禁忌を破ってまで生かす必要はなかった。
人は、時には何かを切り捨て犠牲にしなければ先に進むことができない。
すべてを救い進むことができるほど、人生は平坦な道ではない。
プローズは実力の差を考えず立ちはだかる雑魚を業火に包み灰燼に帰すと、最上階へと続く長い階段を駆け上がり始めた。
ガライはまだあれを奏でてはいないだろうか。
ライムは無事だろうか。
未来を変えることはできるのだろうか。
今度は大切な人を守ることができるのだろうか。
階段を上っていたプローズは、不意にぐいと足首をつかまれ両手を床についた。





「何をする」


「あなたこそ何をなさっておいでか、プローズ殿」


「ここはお前の管轄下ではないだろう、大魔神。それともまたマドハンドに呼ばれたのか?」


「否、我は妖しの音色に誘われたまで。宴の邪魔をするのであれば、いかにプローズ殿でもここを通すわけには参らぬ」


「宴? ふっ、この私を除け者にして宴か? 私もぜひ誘ってほしかったものだ」


「恐れながら、未だ人であるプローズ殿にはいささか荷が重かろう。今宵の肴は人間の女。焼いて食うか煮て食うか潰し食うか、アークマージは生け捕りにするなどと皆宴を楽しんでおる」


「・・・下衆どもが」


「何か?」


「いや」


「さすがは精霊ルビスよ、石像となり力を封じられてもなお良き餌を招く。いつぞやの人間の女に勝るとも劣ら「土に還れ。いや、すべて消えろ」






 無意識のうちに即死呪文を唱えていたらしい。
怒りで体が熱い。
プローズは足首を拘束していいた手首も行く手を阻んでいた大魔神も跡形もなく消えたことを確認すると、強く床を蹴った。
遅かったのかもしれない。
大魔神は確かに『妖しの音色』と言った。
魔物を魅了し招き寄せる音を奏でることができるのは、ガライと彼の銀の竪琴しかない。
宴の肴は人間の女、つまりライムだ。
ガライは何のためだかライムを殺そうとしている。
なぜだ、どうして君が同族殺しに手を染める。
階段を駆け上がり、閉じられた分厚い扉を呪文で破壊しようと身構えすぐに手を下ろす。
もしもライムが扉の前で戦っていたら、こちらの呪文にライムを巻き込んでしまう。
『本人にそうするつもりはなかったのに傷つけられてしまう』。
いつかライムが語った預言者の言葉が脳裏に蘇り、唇を噛む。
ライムを傷つけたくはない。
初めて出会いオリビアの岬で姿を見られ何かを悟られた時から、知的好奇心をくすぐられる勇者とは違う興味をライムに抱いていた。
ライムが傷つくのを見たくなくて、バラモスとの戦いでは不甲斐ない愚弟と生きている価値をおよそ感じない神官の小娘の回復が間に合わないことに腹を立て戦闘に乱入してしまった。
傷つけたいのではなく守りたいのだ。
ライムが生きることができるのならば、苦手な治癒呪文だって修練し直す。
プローズは扉に手をかけると、ぐっと両腕に力を籠めた。
自分自身に対して初めてバイキルトをかけ、重い扉に全体重を預ける。
動け、動け、早く動いてくれ!
扉の前で強く念じ、ゆっくりと動き始めた扉にさらに力を加える。
白銀のドラゴン、もし僕の声が聞こえるのなら今は僕じゃなくていい、僕の大切な人を守ってくれ。
助けに来ることができないのなら、その強靭な力のわずかでもいいから僕に分け与えてくれ。
ほんの少しだけ全身に力が漲ったような気がして一気に扉を開け放ったプローズは、声を限りにライムの名を叫んだ。































 戦っても戦っても魔物が減らない。
ガライがどうしているのか顧みる余裕もない。
どんなに多くの魔物と戦っても刃こぼれひとつしないバスタードソードの切れ味はすごいが、そろそろ剣を思いと思うようになってきた。
剣を握っている感覚もいつしか失い、今はただ、ほとんど気配だけを頼りに無意識に剣を振るい相手の攻撃を跳ね返している。
もう倒せない。
攻撃を弾き返すだけで精いっぱいで、それすらすべてを受け流すことができず体は傷だらけだ。
これ以上は戦えない。
リグ、私もう駄目かもしれない。
エルファ、あなたのベホマがすごく恋しいわ。
バース、・・・あなたのお兄さんってほんとに優しい人ね、あなたにそっくり。
いつからだろうか。
うっすらと気付いていたのだろうが気付かないふりをしていて、気付いていたことを忘れてしまったまま旅をして。
私はプローズを知っている。
ここで会う前からあなたを知っている。
ずっと前からあなたを知っている。
姿を変えているのかオリビアの岬で出会った時とは違う姿をしていたが、ドムドーラまで共に旅をしたプローズはバースの兄のプローズだ。
ライムはよろよろと剣を振り上げたと同時に力強い声で名を呼ばれ、声のした方へ顔を向けた。
ああ、やっと会えた。
プローズ。
そう呼び返そうと口を開きかけたライムの視界から、弟とよく似た銀髪の青年が消え、思いが消え、すべてが消えた。






「・・・ライム・・・?」





 こちらの声に振り返った瞬間、一瞬の隙を突き強烈な一撃を浴びせた動く石像により床に倒れたライムの名前をもう一度呼ぶ。
何度呼んでも返事はなく、ライムが動く気配もない。
ライムの体から、彼女の赤い髪とは違う鮮やかな赤い何かが流れてくる。
プローズの脳裏に十数年前の同じ場所で起こった出来事がフラッシュバックする。
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
僕がライムを呼んで、それにライムが反応してしまったからライムに隙ができて、だからライムは。
そんなつもりじゃなかったのに。
僕が、僕が殺すつもりなんてなくて守りたくて仕方がなかったのに、僕がライムを。
ゆらりゆらりとライムの肉体に歩み寄るプローズの足元から、ぱらぱらと音を立て瓦礫が浮かび上がる。
嘘だ、嫌だ、僕がライムを殺してしまった。
ひざまずき、ライムの体をそっと抱き起こす。
ライム?
震える声で尋ねたプローズは、辛うじて息のあったライムのわずかに動く口に耳を寄せた。





「ごめ・・・ね・・・」

「もういい、喋らないでくれライム」


「あな・・・バース・・・・・・おに・・・・・・」

「待って、今すぐベホマを」



「・・・・・・ありが」






 ライムを抱く腕が血でじっとりと濡れ、顔が溢れ出る涙でぐしゃぐしゃになる。
物言わぬライムの整った、けれども傷だらけの顔に涙が零れ落ちる。
死んでしまった。
死なせてしまった。
もう何も見えない、見たくない、見たくない世界など滅んでしまえ。




「うわああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「ライム! どこだライム!」






 塔だけではなくアレフガルドをもが1人の人間の力で滅ぼされようとする中、リグたちが今はもういない仲間の名を叫びながらルビスの間へ飛び込んだ。









あとがき(とつっこみ)

へんじがない ただのしかばねのようだ

大切な人が本当に大切だと気付いた時には、もうすべてが遅いのです。







backnext

長編小説に戻る