〜魂の記憶〜
たとえどんな過ちを犯したとしても、過去は決して戻らない。
ただ、ふと思う時がある。人生と、時間を狂わせてまで彼女を生かす必要はあったのか。
それで満足しているのは自身だけではないのか、と。
叶うのであれば、あのままの時を経た世界が見たかった。
この広大な世界が、果たして1人を生かしているかいないかで変わったかということに。
「バース君、早く寝ないと明日に響くんじゃないかしら」
かけられた声にバースは我に返った。
月夜の下、窓辺でひたすらなぞっていた分厚い本を閉じる。
ルザミで学者からもらった本だったが、やはり自分が読めるものはなかった。
血の封印をしてまで公表したくなかったのは何なのか。
さすがはバラモスに狙われ滅亡の憂き目にあったかの国だ。
秘密は墓場にまで持ち込んだつもりなのだろう。
「ちょうど良かった、これを預けたくて」
「あら、本かしら」
本を受け取り表紙に目を落とした彼女の顔が、笑顔のまま固まった。
ややあって難しそうな本ねと呟くと、そっと近くのテーブルの上に置く。
まるでそれを見ることすら辛いとでもいうように、それきり見ようともしない。
「旅の途中でもらったんですよ。読める人を探してこいって」
「バース君は読めないの? 賢者様なのにね」
「それ、特定の血を継いでないと無理なんですよ。今はすでに滅んでしまった王家の血がないと」
女性はじっとバースを見つめた。
彼の言いたいことがわからない。
たかが本ではないか。読めない本を持っていても無駄だから預かるだけ。
そう思おうとしたのだが、次のバースの一言で再び凍りついた。
「リグには見せてないですけど、読めると思いますか?」
「・・・・・いくら勇者でも、ね」
「ほんとはほっとしてんじゃないですかー?」
「・・・・・・・・・・」
なんて意地悪な質問をしているのだろうとバースは心中で自身を嘲笑った。
彼女を問い詰め尋ねたところで、何がわかるというのだ。
それほどまでに本に執着しているのか。
あるいは、知ったことであれは避けられなかった事件だったと納得したいためか。
彼女は一切悪くないのだ。
むしろ、もっとも悪行を働いているのはバラモスでも魔物でもなく、この自分かもしれないのだ。
「・・・本は私が責任もって預かります。だから、リグに余計なことを吹き込まないで」
「いずれすべてが明らかになるとわかった上で? 俺は構わないけど、リグは」
バースは言葉を続けるのをやめた。
彼女が望むことを、もとよりバースはするつもりはないし、したいとも思わない。
これ以上墓穴を掘りたくなかった。エルファの記憶と因縁だけで充分だ。
なぜ、今更になって何十年も前のことで悩み苦しまねばならない――――――――。
「エルファは・・・、やっぱりエルファーランなのね」
「最初に会った時に気付かなかったんですか。俺にとっちゃそっちの方が驚きでしたよ」
女性はふっと頬を緩めた。
薄ぼんやりとした灯火の中で、彼女の表情の細かなところまではわからない。
バースにはそう見えただけかもしれなかった。
「わかると思う? 死んだとばっかり思ってたのだから、あの子が目の前に現れた時だって、他人の空似としか考えられなかった」
「俺のせいなんです。俺が、エルファも巻き込んだから・・・・・・」
「あなたは悪くないわバース君。むしろ感謝したいくらい」
どうしてこんなことになったのかは聞かない。
聞く資格もないと思っていた。
自らの行為が間違っていたとは今も昔もこれっぽちも思っていない。
しかし、己の所業が結果的に2人の人生を変えたのだ。
これからどんな顔をしてエルファに会えばいいのだろうか。
知らぬ存ぜぬを通し続け、そして悲劇を思い出した時に傷つくのはエルファだ。
もうこれ以上、彼女を弄びたくなかった。
彼女が被る被害はすべて引き受けていいとさえ思った。
「・・・リグが私と同じ能力を持っていたら抑えられる?」
「ははっ、もう無理ですよ。やっぱり仮初めじゃいけない。
改めて押さえ込まないと、リグがリグでなくなる」
「・・・それは、私にできるかしら」
「もちろん。俺も頼もうと思ってました」
稀代の勇者様をコントロールできるのは、今は彼女だけ。
賢者の力をもってしても無理なのか、あるいはまだそれだけの技量に達していないのか。
何にせよ、あの力はリグのためにはならない。
彼がもう少し強くならないと、力に飲み込まれてしまいかねないのだ。
「・・・・・・旅は、まだ長いのでしょう?」
「半分も進んでないですよ。魔物は増えるばっかりで」
「あの地へ向かう時には教えて。それから・・・・・・、みんなをよろしくね」
「・・・仰せのままに」
たとえどんな過ちを犯したとしても、過去は戻らない。
しかし、戻らなくとも絆は消えない。
世界が狂っても、狂った中で道を創ればいいだけの話だ。
現に、すでに新しい道を歩んでいる彼女もいる。
道を拓こう、バースの決意の呟きは夜の闇に溶けていった。
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