時と翼と英雄たち


時の迷い子    1







 故郷へ帰ると心が落ち着く。
旅の途中で何があっても、慣れ親しんだアリアハンへ帰ればリグの心は幾分か穏やかになる。
心の安らぐ場所である故郷へ、母はもう帰れない。
帰ろうと思ったこともないだろう。
リグが当時の母と同じ立場だったら、二度と訪ねようとは思わない。
全てを棄てて新しく生きていこうと決めたのだ。
過去へは目を向けたくない。
避けては通れぬ過去の出来事に心を乱し、そして風のように消えてしまった男もいるが。
バースの居場所はリグには全くわからない。
エルファに任せきりだが、それでいいのだろう。
向き合わねば先に進めない仲ならば、真正面から思い切りぶつかってくるといい。





「・・・・・・あ」





 聞きなれた懐かしい声を耳にし、リグは読んでいた本を閉じた。
母から渡された古びた本は自宅で読むのは気が引けて、庭の木に登って目を通していた。
見たこともない文字を前に読破してやろうという気概は早々に打ち砕かれたが、文字は直接リグの頭に訴えかけてきた。
読めるはずもないのになぜ内容がわかってしまうのだろう。
リグの疑問は本の冒頭の、ネクロゴンド王家に連なる者という言葉で解決した。
駆け落ちしようが何だろうが、王族だった母の血を半分でも引いている己もまた、王族の一員なのだ。
だからといって愛国心は微塵も湧きはせず、親近感も持たないが。
どう思うかは自由だと母は言った。
所詮は王家に都合の良い事ばかりが書かれている本である。
本の記述よりも現実的な出来事を旅を通して味わってきたと自負しているリグは、亡国のちょっと変わったおとぎ話程度の認識に留めることにしていた。





「・・・よう」


「お帰り、帰ってたんだ?」


「一昨日くらいに急に。・・・・・・あのさ」






 声をかけひらりと木から飛び降り、リグは言い淀んだ。
今更何を言えばいいというのだろう。
何を言っても未練がましく聞こえてしまうのではないだろうか。
未練は大いにあるのでそう受け取られても構わないのだが、口に出すには戸惑いがあった。
そもそもフィルに振られた理由が、彼女に構いすぎたためだった。
ここでまた未練を口にしてしまえば、ますます嫌われてしまうかもしれない。
リグはこれ以上復縁の可能性を潰したくはなかった。
なぜなら、フィルをまだ愛しいと思っているからだった。





「・・・あのさ」


「うん」


「・・・・・・ごめん、何でもない」


「そっか。エルファとバースは?」





 デートにでも言ったのと尋ねるフィルにリグは苦笑いを浮かべた。
果たして彼女に真実を話して良いものか。
大切な人に変わりはないが、フィルは普通の娘である。
余計なことを知ったせいでまた妙な事件に巻き込まれても困る。
リグはそんな感じだと応えるに留めた。





「・・・バース、ちゃんと向き合えたってことなのかな」


「何が?」


「ううん、こっちの話。・・・またすぐに出かけるの?」


「うん、まぁ・・・・・・。エルファがバース連れ戻したら」






 言いたいことは無表情でずばりと言っていたリグの返答がどれも鈍い。
何か隠していることがあるのだろう。
隠し事を教えろと問い詰めるつもりはないが、エルファとバースには幸せになってほしかった。
2人は今度こそ幸せになるために再び出逢ったのだ。
どんな運命の悪戯があったとしても、2人ならば必ず幸せになれる。
素直な恋愛ができない自分の分まで、エルファとバースには正直になってほしかった。





「・・・フィル、やっぱ言っとく」


「うん」


「俺、今はまだ無理だけど・・・・・・。そのうち絶対に、お前には素直になれる男になるから」


「うん、わかった。でも待ちはしないよ、私はリグと同じ時間を同じように過ごすわけじゃないんだから」


「わかってる」






 成長したのやら相変わらずなのやら。
持って生まれた感情なのだからすぐに変化を遂げるとは思っていないし、期待もしていない。
それでも、ほんの少しだけでも彼ならばと思ってしまうのは、やはり今でも彼のことをそれなりに想っているからだろう。
元々嫌いになって別れたわけではないのだ。
旅から戻れば五体満足な姿に胸を撫で下ろし、言葉を交わせば心も弾む。
素直になれないのはお互い様か。
フィルは小さく笑うと、リグから背を向けた。
次に会う時は、愛する人がより逞しく成長していることを祈って。



































 どこまで自分は弱虫なのだろう。
もう逃げない、現実から目を背けないと決めていたのに結局逃げてしまうとは。
涙声で訴えてきたエルファの声がまだ耳に残っている。
悲しい思いをさせたのも、混乱させたのも、悪いのは全て自分だ。
自らの犯した罪の重さに耐え切れず逃げたこの身を、リグとライムはどう思うだろうか。
失望したかもしれない、裏切られたと。
孤独だったのは初めからこちらだった。
所詮は相容れない関係だった、そう片付けてしまいたくもなった。
時間と空間を操る力を持つ者と、操られるがままの者。
力の均衡など、初めから存在しなかったのだ。
だから俺たちは人とは違う生き方をしていたのだ。
悲観的な考えに陥っているとはわかっている。
しかし止めることができなかった。
こう思うしか、今までの生き方を肯定することができなかった。






「・・・帰ろっかな・・・・・・」


「どこに?」


「実家。俺もお前も歓迎されることのない冷めたとこに」


「驚いた、今日はマヒャドはなしなんだ」






 明日は空から爆弾岩が降るかもしれないなあ。
暢気に天を仰ぐ全身黒ずくめの男に顔を向けることなく、バースは膝を抱え込んだ。
呼びもしないのにちょこちょこと現れる奴のことは、いつでも憎いと思っている。
しかし、今日は憎まれ口を叩くのがやっとだった。
とても呪文を唱えられるような精神状態ではない。
そうわかっていて、向こうも姿を見せたのだろう。
馬鹿にされているのはとても悔しい。悔しいが、今のバースの力の苦悩を理解する人間は彼しかいなかった。





「とっとと失せろ、地に堕ちろ」


「言っただろう、あの小娘に関わってもろくな事はないと。兄の忠告は大人しく聞き入れるべきなのに」


「小娘じゃない、エルファーランだ。てめぇなんざに呼ばれたくはないけど」


「やっぱり小娘じゃないか。ほんとに気に入らない、あの知的好奇心を大いにくすぐられる勇者殿よりも殺してやりたい」






 戯れとばかりに巨大な火球を崖下に向け発射した姿に、バースは眉をしかめた。
なぜそこまで彼女を忌み嫌う。歪んだ時を生きた者だからか。
それならばなぜ、真っ先に自分を害しようとしない。
やはりこいつは変人だ。
バースは手を開き伸ばすと、そっと息を吹きかけた。
ぼんやりと映し出されるのは別れた時のエルファ。
バースの人生の中では最も記憶に新しい彼女だった。






「・・・・・・ほんと、俺って馬鹿だ・・・・・・」


「責任を持つことすらできぬ術に手を染めるとは、魔法を扱う者として本当にお前は愚かだ。愚かしく弱く、だから僕を苛つかせる」


「じゃあ俺の前から今すぐ消えろ。次会ったら今日の分もまとめて氷漬けにしてやる」


「その日を待ってるよ」





 ぱちりと指を鳴らすと、切り取られていた空間から地上に戻される。
そのくらいの芸当ができればエルファを守ることができたのだろうから、これ見よがしに力を見つけてくる行為が忌々しくてたまらない。
好き勝手動き回れるなんて、あいつも随分と出世をしたものだ。
出世の分だけ信頼も厚いということだとすれば、ますます憎たらしくなる。






「・・・本気で帰ろっかな・・・」


「見つけた・・・・・・!!」



「・・・・・・エルファ・・・!?」





 ルーラを唱えようと立ち上がり指を天に指し伸ばした直後、ぐいと後ろに体が引っ張られた。
ぜえぜえと荒い息を吐きマントをつかんでいる白く小さな手と、小刻みに揺れ動く空色の髪を見て、バースは全身から力が抜けた。





「もう、どこにも行かせないんだからね・・・・・・!」






 お目当ての人物を見つけてほっとしたのか、マントをきつく握り締めたままその場にしゃがみ込んだエルファに、バースはおろおろしながらそっと手を伸ばした。







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