時の迷い子 2
どうやってこの場所にいると知ったのか、どこからともなく現れたエルファにバースは戸惑っていた。
体調が優れないのか疲れたのか、マントを握り座り込んだまま動かない彼女にそっと手を伸ばす。
大丈夫、そう尋ねようとしたバースが存外強い力で突き飛ばされたのはその時だった。
「すごく探したんだからね・・・・・・!」
「・・・あ、うん、ごめん・・・・・・」
スカートについた草を落とし両手を腰に当てたエルファは、尻餅をついたままのバースを見下ろした。
心当たりがあるとリグには伝えていたが、本当はそんなものどこにもなかった。
彼と初めて出会ったナジミの塔近辺はもちろん、ダーマ神殿もエルフの里も、あらゆる場所を探し回った。
ネクロゴンドにすら単身乗り込もうと思ったものだ、断念したが。
エルファは大股でバースに歩み寄ると座り込んだ。
依然として尻餅をついたままの状態のバースが、エルファの剣幕に押されじりじりと後退する。
あ、そういえばここって断崖絶壁だったっけ。
波が岩にぶつかる音を聞き、バースは後退することを諦めた。
もっと言えば、エルファがまたもやマントを握り締めたため動けなくなった。
それほどまでに怒っているのか。
怒られる心当たりはあれこれと思い浮かぶ。
エルファの手にかかって死んでもいい。
バースはエルファの怒りや憎しみの全てを受け止めようと決め目を閉じた。
身体が後ろに倒れる。
そうか、首でも絞めるつもりだな。
バースが全身で受け止めたのは怒りでも憎しみでも殺意でもなく、柔らかで温かなエルファの体だった。
「・・・・・・エル、ファ・・・・・?」
「何も言わないで私の話を聞いて。・・・私は、バースのこと憎んでなんかない。私を助けてくれたんだもん、ありがとうってもっと早く言うべきだった。
でも私はまだバースに何も恩返ししてない」
「・・・そんなのいいよ。あれは全部俺の勝手だったし」
「うん、バースはいつも勝手に何でもやっちゃう。テドンでだって、私が待ってって言ってるのにいなくなっちゃった。
そういうのはバースの悪いとこだと思う、何でも1人で抱え込んで」
「俺が勝手にやらかした事で人を巻き込みたくないんだ」
それが嫌なの。
エルファは馬乗りになったまま、真っ直ぐバースを見つめた。
頬にわずかに触れる空色の髪が妙にくすぐったい。
今にも泣きそうな顔をしている。
泣かせるようなことをしたのは自分だと思うと悲しくなる。
「私は、バースにとっては関わってほしくない人間なの? 幸せな事はもちろんそうだけど、辛い事や悲しい事も共有して乗り越えてく、そんな関係に私はなれないの?」
「それはちが・・・」
「私は! ・・・私は、バースにだったら何をされてもいいって思ってる。
もしまたあの時みたいな事が起きて私の記憶が飛んじゃっても、それでも私は何度だってバースを好きになるよ」
エルファはバースの胸の上で両手を握り締めた。
ネクロゴンドにいる時からずっと好きだった。
アリアハンから旅に出て、改めて出会ってからも彼に惹かれ続けていた。
当時の記憶は何ひとつ、好き合っていたことすら忘れていたというのに、再び好きになった相手はバースだった。
堪えていた涙が溢れてくる。
泣いてはいけない、泣いてしまえばバースがまた自分のせいだと思ってしまう。
誰のせいでもないのだ。
バースのせいでも自分のせいでも、もちろん王女のせいでもない。
全ては彼と何のしがらみのない状態で出会い生きていくための過程だったのか。
そうは思っていても、自然と溢れてくる涙を止める術をエルファは知らなかった。
ただただ、エルファの頬に滂沱として涙が伝った。
「私は・・・っ、今度こそバースと一緒にいたいの・・・・・・。お願い・・・」
「・・・・・・」
受け止めようとしたものはあまりにも大きく、そしてかけがえのないものだった。
わかっていない、向き合おうとしなかったのはこちらの方だった。
嫌われてしまうのが怖くて逃げ、挙句また彼女を悲しませてしまった。
感情を押し殺すことが日常となっていた。
愛しすぎてあの時のように周囲が見えなくなることを恐れていた。
今度こそ彼女を壊してしまうのではないかといつも案じていた。
エルファがこんなにも真っ直ぐぶつかってきてくれたというのに俺は。
バースは今度は迷うことなく手を伸ばした。
エルファの濡れた頬を撫で、目元を拭う。
小さく、けれどもはっきりと伝えようと思い口にした愛しい女性の名は、かすれ声で出てきた。
「エルファ」
「・・・・・・またいなくなるんなら、振り向いてもらえるまで私はまた探すから・・・」
「もう逃げない、俺からもエルファからも。逃げてからもずっとエルファの事は忘れられなかったんだ。エルファと別れてからもずっと、俺の中にエルファはいた」
「バース・・・」
「俺はあの日からエルファの時間を狂わせたことを後悔してた。でも、それを許してくれるんなら、俺は術者としてエルファを見守りたい」
術者と呟き、エルファの顔に悲しみの色が浮かんだ。
バースはエルファの肩を押し半身を起こすと、そのまま彼女を抱き締めた。
別れる間際に交わした抱擁と全く変わらない温もりに安堵する。
彼女が傍にいる、それだけの事実がバースは嬉しかった。
嬉しかったから、それで満足しようと決めつけていた。
これ以上の関係になることを心のどこかで拒んでいた。
だから一緒にいてと頼まれた今でも、本能のまま動くことが躊躇われ姑息な言い訳をしている。
いつから素直になれなくなったのだろうか。
エルファは自身を抱き締めたまま微動だにしないバースにそっと声をかけた。
「・・・バースは今の私は嫌い?」
「いいや、今も昔もずっと愛してる。けど・・・・・・。好きがいきすぎたらまたエルファを妙な事に巻き込むかもしれない・・・」
「またそうやって1人で抱え込む。おかしいって思うかもしれないけどね、私、バースのこと2回も好きになれて嬉しいよ?」
「どういう事?」
「普通は同じ人とは一度きりしか恋愛できないでしょ? でも私はバースとは2回会ったから2回恋愛できた。これってすごく幸せなことだと思うけどな」
ありがとうと言って背に腕を回したエルファにバースは救われた気分になった。
その言葉がどれだけ荒みきった心を癒してくれるのか、彼女は知ることはないだろう。
背徳感に押し潰され命を絶とうとすら考えていた自分を今日まで生かしてくれたのはすべて、彼女をまた逢えるかもしれないと望みを繋げていたからだった。
神官であっても賢者であっても、エルファはバースの心の支えだった。
彼女になら、もう一度全てを晒け出せる。
守る力がまだ残されているのならば、その力の全てを彼女に捧げよう。
かつてはわからなかった賢者に与えられし『守る力』というものを、バースは初めて知った気がした。
「俺みたいな奴でもいいんなら、俺は世界中の誰よりもエルファの近くにいて、エルファを守り抜くって誓う。だから、また俺が迷惑かけそうな時があっても大目に見てくれる?」
「バースの無茶は慣れっこだもん。私に愛想尽かすまで一緒にいてね・・・?」
「死んでも一緒にいそうなんだけど」
「頼もしいな、さすがバース!」
バースの腕の中でエルファが声を上げて笑う。
常人とはだいぶ違う人生を歩み、歩ませてきた。
今更普通の恋人にはなれないだろう。
それでも、愛のかたちはたくさんある。
泣きたいだけ泣き、傷つくだけ傷つき、その上で手に入れることができる愛もある。
それが道を外れ迷い、壁にぶつかり続けてきた自分たちに相応しいかたちなのだ。
「帰って来てくれる・・・よね?」
「あー・・・・・・。ライムはともかく、リグにはすげぇ怒られそう」
「そういえばリグに一発殴っといてって頼まれてたっけ・・・」
「うわー・・・。やっぱ影からこっそりエルファだけ見守っとこうかな・・・」
無表情で毒のある言葉を吐き散らすだけ吐き散らし、そして馬車馬のごとく扱われるであろう明日からの生活を嘆き、バースはエルファの髪に顔を埋めた。