時と翼と英雄たち


テドン    6







 初めてネクロゴンドの地へ降り立った時、柔らかな包み込まれるような力を感じた。
力の源がリゼリュシータという名を持つ王女だと知った時は、未知の力に興味を抱いた。
興味の対象はすぐさま彼女に仕えていた青髪の神官へ移ったが、賢者としての知的好奇心は王女の持つ力へいつも向いていた。
しかし、今はもう王女はいない。エルファとも会うことができない。
今のネクロゴンドに何が残っているというのだろう。
バースは鉄塔から巨大な城を見下ろし、天を仰いだ。
世界は青く美しい。なぜ与えられた幸福を享受しようとしない。
なぜ、心優しいだけのエルファの命が奪われなければならない。


 人は愚かだ。

 ぽつりと呟いた言葉に、バースは自嘲した。
まさか自分がこの台詞を言う日が来るとは思いもしなかった。
バースは、この言葉を最後に姿を消した人物を憎んでいた。
大切だと思っていたからこそ、裏切られた時に生まれた憎悪の念は深かった。
ここで人を見下してはならない。
見下してしまえばそれは、憎き奴と同じことになる。
わかってはいても、人を、国を憎んでしまう自分が嫌だった。





「エルファ、怒るだろうな・・・。俺たち晴れてお尋ね者になるわけだし」




 許されざることだと、法に触れることだともわかっていた。
しかしバースは、助けられる命を見捨てたくなかった。
大切な人を喪いたくなかった。
たとえ指名手配班になったとしても、彼女を守りたかった。
ネクロゴンドで生きることを否定されたエルファも、余所へ行けば生き続けることができる。
王女がオルテガの隣という安寧の場所を見つけたように、エルファも必ずどこかに安息の地がある。
そして叶うのであれば、彼女の隣には自分がいたい。
自己満足だとは重々承知していたがそれでもいい、バースは明日をエルファと生きたかった。





「にしても今日、やけに雲厚い気がするけど雨でも降んのかな」





 ネクロゴンドの気候に疎いバースには調べることができない。
雨に打たれる前に中に入っておこう。
階段を踏みしめた直後、鉄塔にどす黒い光線が直撃しバースは宙へ放り出された。
何が起こったんだ。
空中で体勢を立て直しつつ周囲を見回したバースは、城のあちらこちらを襲うおびただしい数の魔物を見て絶句した。



































 何やら急に外が騒がしくなった気がする。
日の光が差し込まずじめじめと湿っている地下牢でエルファは、地上の異変を感じ取っていた。
叫び声が時折混じるのは気のせいだろうか。
人でも獣のものでもない唸り声が聞こえるのは幻聴だろうか。
どうやら、牢へ入れられている間に気が触れてしまったらしい。
エルファは胸の前で手を組むと静かに目を閉じた。
死への恐怖は不思議となかった。
いや、感じ続けていたために感覚が麻痺してしまっているのかもしれなかった。
あれからバースとは一度も会っていないが、彼は今もネクロゴンドに留まっているのだろうか。
あまり短気を起こしてほしくなかった。







「・・・ルファ、エルファ!!」


「・・・バース?」





 並ぶ地下牢からエルファを探しているのか、ばたばたと走るバースの足音が聞こえてくる。
ここだよとエルファが大声を上げるとバースが駆けつけ、すぐさま杖を振りかざした。
がちゃりと音を立てて鍵が外れたのを確認すると、バースは中へ入りエルファを立ち上がらせた。
何をするのと訝しげな表情を浮かべたエルファに早口で説明する。





「奴らが・・・・・・、魔物がネクロゴンド襲ってんだ。このままじゃ保たない!」


「どうして・・・・・・!? 王は、神官団長は・・・!?」

「神官団員は戦ってる。正直、王を守ってる暇はないんだよ」





 バースはエルファの手を引くと一気に階段を駆け上がった。
見たこともない凶悪な魔物に襲われている神官団員を見て、エルファが小さく声を上げる。
バースは杖をエルファに渡すと、素早く両手を胸の前に合わせた。
突然地中から現れた巨大な氷柱に貫かれ魔物が倒れる。
エルファは魔物の死骸を越えると、倒れている団員に駆け寄った。





「何があったの・・・、しっかりして・・・!」


「魔物の群れが急に城を覆い・・・・・・。エルファーラン・・・・・・、城を・・・、いや、逃げろ・・・・・・」





 ごぼりと濁った音を立て口から血の塊を吐き出すと、団員はそれきり動かなくなった。
声をかけても反応せず、回復呪文を唱えても効果が現れない。
エルファは開かれたままの目を閉じさせると、バースを顧みた。





「どうして・・・・・・、何が起こってるの・・・!?」


「急に奴らが襲ってきたんだよ。エルファ、逃げるぞ!」


「待って、他のみんなは・・・・・・」





 見捨ててはおけないよ。
エルファの声は頭上を飛ぶドラゴンの呻き声に遮られた。
風に煽られ吹き飛ばされそうになるのを防ぐため、咄嗟に床に伏せる。
エルファはバースから手渡されていた杖を握り締め、バギクロスと高らかに叫んだ。
巨大な竜巻に身を切り刻まれ地面に落ちるドラゴンを確認し、走り出す。
後方からバキバキという音と冷気が漂ってくるのは、隣を走るバースがヒャダインを唱え追っ手を拒んでいるからだろう。
荘厳な宮殿は天井が抜け、壁が抉られている。
瓦礫から僅かに覗くのは人の腕か。
すっかり変わり果てた城を人々を見たエルファの目尻に涙が浮かぶ。
このままでは全滅してしまう、どうすればいいのだろう。
弱気になりかけたエルファを、バースは泣くなと叱咤した。





「エルファは、エルファだけは絶対に俺が守るから・・・・・・! だから泣かないでくれ、その涙が魔王の喉を潤してる」


「魔王・・・? バース、それって」





 破壊し尽くされ瓦礫の山となったかつての壁を吹き飛ばし、王族の間へと突入したバースとエルファは思わず顔を背けた。
どこよりも酷く荒れているのは、今は主のいないリゼリュシータ王女の部屋だった。
部屋と呼べるようなものは何も残っていなかった。
ごっそりと、そこだけ空間ごと切り取られたような空虚さがあった。
どうしてと、エルファは今日何度目かもわからない悲痛な叫びを上げる。
バースは部屋だった場所を見つめ、唇を噛んだ。
王女の力はそれほどまでに憎まれるものなのか。
どうしても抹殺したい存在なのか。
ここにはもう、彼女はいないのだ。
いないというのにまだ暴虐の限りを尽くすのは、やはりこちらも欲しくなったからなのか。






「おや、まだ生き残りがいたかと思えば貴様はあれの・・・・・・。確か名は」

「失せろ、魔物風情が俺を語るな」





 どこからともなく現れたエビルマージにバースは舌打ちした。
余計なことを口走る前にメラゾーマをぶつける。
しわがれた悲鳴を上げ消えたエビルマージからはすぐに目を離す。
バースは呆然としたままのエルファの手を引いた。






「エルファ、次行こう」


「・・・・・・信じられないよバース・・・・・・。私たちが何したっていうの・・・。王女は何も、何も悪くないのに!」


「エルファ! ・・・・・・確かに奴らの狙いは王女だったんだろう。でも、奴らはこの国も欲しいんだ、足がかりとするために」

「何の・・・? ・・・こんなことが余所でも起こるって言いたいの!? 私は嫌・・・」





 バースは震えるエルファを見つめた。
恐怖からではない、怒りからくる震えだとわかった。
たとえ一度命を奪われそうになっても、エルファにとってネクロゴンドは何よりも代えがたい大切な場所だった。
王女やバースと出会い、神官としての研鑽も積んだ全ての思い出がここにあった。
焼き払われ焦土と化した中庭にも、原形を留めないまでに崩壊した宮殿にも、どこにかしこもエルファの思い出が埋まっていた。
いまだ交戦していた神官団員と協力して魔物を倒す。
バースから借りた杖は魔力を補ってくれる優れ物だったが、それでも無限に続くものではない。
傷を癒し魔物を切り裂いていくうちに、エルファは自身の終焉を身近に感じるようになった。
倒しても倒しても減らず、むしろ増えていく魔物に絶望した。






「・・・! バース、タスマン様が・・・!」





 エルファを背に呪文を連発していたバースの耳に、叫び声が飛び込んできた。
周囲を片付けたところでエルファを追う。
エルファに抱き起こされている血まみれの体はタスマンだった。




「あなたまでこんな・・・・・・」

「タスマン様、お気を確かに!」


「エルファ・・・か・・・・・・。・・・逃げ、そして生きるのだ・・・」

「私はネクロゴンド神官団員です! 国を放ってはおけません!」


「そなたはまだ死が遠い・・・。バース、この子を連れ早く―――――」






 タスマンの声が途切れ、目の光が弱くなる。
思わずバースがタスマンの手を握ると、存外強く握り返される。
これが間際の力というものか。
バースはタスマンの僅かに動く口元に耳を寄せた。





「・・・にを、う・・・む、な・・・・・・」






 囁かれた言葉は、もはや声を呼べるものではなかった。
それでもバースは、タスマンの最後の言葉を完璧に読み取った。
読み取り、目を見開いた。
知っていたのか。あの因縁に、タスマンは気付いていたのか。
教えたつもりも素振りを見せたこともなかったが、さすがはといったところか。
賢者の血筋からとうの昔に遠ざかっていても、僅かに流れるその血でわかってしまうのか。
何から何まで厄介だった。
バースは事切れたタスマンの手を胸の前で組むと、瞠目した。
エルファの啜り泣きが聞こえる。
泣くなとは、もう言えなかった。
隙があると勘違いして背後から迫り来るトロルを無言で大爆発に巻き込む。
これ以上は無理だった。エルファほど魔力の消耗は激しくないが、いずれにしても全てを相手にして撃退することはできなかった。
仮にそうしたとしても、後に何が残るというのだろう。
治める者が誰一人としておらず、魔物に蹂躙された不毛の大地に復興は見込めない。
今は何よりも、エルファを守ることが第一だった。彼女を守るためならば何をしても良かった。
たとえそれが、禁忌と呼ばれようとも。







「エルファ・・・・・・、もういい、もう俺たち充分だよ」


「バース・・・・・・?」


「・・・本当に、今までよく頑張ったね。でも、もういいんだ。これからはあの方が導いてくれる。今は無理でも、いつの日か絶対に俺たちはまた逢えるから。
 だからその時まで」




 さよなら、だ。




 バースは涙で頬を濡らしているエルファをぎゅっと抱き締めた。
どれだけの月日が経っても愛してる。
そう呟くとエルファの体が僅かに震え、そっと背に手が回される。
私も愛してる。
エルファの告白を聞きバースはふっと頬を緩めると体を離し、転がる杖をエルファに向けた。







backnext

長編小説に戻る