ジパング 1
愛する母と彼女に別れを告げ、リグたちは黒こしょう片手にポルトガ王国の城門を潜っていた。
さして大きくはない瓶の中に入っている真っ黒な粉末が豪華な船に化けるというのだから、世界の金銭事情はわからない。
きっと国王は、黒こしょうを今か今かと待ちかねているのだろう。
リグは重い扉を開くと、まっすぐ玉座へと向かった。
「おぉ、これこそまさに黒こしょう!! リグとやら、よくぞわが国に黒こしょうをもたらしてくれた! 約束の船は既に出来上がり、後はそなたたちの出港を待つだけじゃ。
しかし、本当になんと艶やかな黒さだろうか・・・」
うっとりと、美しい花を愛でるようにして見つめる王の姿はどこかおかしい。
リグたちは吹き出そうになる笑いを堪えに堪え、神妙な顔のまま王の前を辞した。
そして城門を出て、巨大な、今まで見たこともないような船の前でようやく破顔した。
「あの王様、絶対おかしいって! たかが黒こしょうごときでなんでこんな船くれるんだろ」
「そうだよねぇ・・・。黒こしょうなんてバハラタに行けば、私たちいくらでも無料でもらえるのに」
「・・・しっかし想像以上のでかさだな。これで海を渡るのかぁ・・・、今から楽しみだな」
「これほどに強き船ならば、我が国へもすぐに辿り着くことができよう。さぁ、早速船を出そうではないか。舵取りは誰だ?」
ヤマトの質問でリグたちの間に沈黙が流れた。
そうだ、いったい誰が舵を取るというのだろうか。
こんな大きな船だ、まさか自動操舵をしてくれるわけでもあるまいし、専属の舵取りが同乗してくれそうな気配もない。
もっとも、戦場に素人の舵取りなんぞいても戦いの邪魔になるだけなのでこっちから願い下げなのだが。
「そうだ、おいバース、お前の賢者の知識でこの船の舵を取ってくれないのか」
「残念、俺らの知識は実技を伴わいんだよな。だから俺も、もちろんエルファもこれに関してはお手上げ。リグ、お前こそ特殊能力発揮しろよ」
「俺の直感が舵取りでで働くわけないだろ。ヤマトは・・・、できるわけないよな」
リグの問いかけにヤマトは大きく頷いた。
彼は確かに鍛冶職人だが、船の舵取りの方は専門外のようだ。
当然である。
「どうするの、このままじゃいつまで経ってもポルトガから船は出港できないわ」
「試しにみんな舵取りやってみたらどうかな。さっき船大工さんも言ってたじゃない、旅仕様に丈夫に作ったって。だからみんなが海岸に船ぶつけようと、沈没しようとちょっとくらい平気だよ」
エルファの前向きな発言にリグたちは顔を見合わせ、小さく頷き合った。
早速挑戦してみようとはするが、初めて船に乗ったリグにとっては舵を見たのも今日が初めてで、ましてやそれを扱うなどとてもできるものじゃない。
船は微動だにせず、甲板に上に更に重い沈黙が流れた。
「できるわけないだろ・・・。船なんて初めて見たんだし、あのぐるぐる回るやつ、回るだけで飾りじゃないのか?」
「それはないと思うけど・・・」
「じゃあ実際エルファやってみろよ。あのぐるぐる、動かすのもちょっとした力が要るんだからな」
適切なツッコミを行なったにもかかわらず、逆にリグの容赦ない攻撃を受け渋々と舵の前に立つエルファ。
恐々とぐるぐるに触れるが、どんなに力を入れても動く気配は感じられない。
エルファは1人でえ、え? と短く叫びながらも力任せに舵を取ろうと必死になる。
リグでさえかなり力がないと無理だと言った舵を動かすことなどできようはずがない。
それでも健気に頑張るエルファを見たバースは、いても経ってもいられなくなって彼女の少し赤くなった手を取り上げた。
「もういいから。エルファにこれは無理だよ」
「そうだよね・・・。あ、でもバースは運動神経もいいから、ひょっとしてできそうだよね!!」
なんだかんだ言って身体能力の高いバースは舵取りができるのではないかと、エルファは淡い期待を抱いた。
キラキラと期待に目を輝かせた彼女に見つめられるのはなんとも嬉しいが、実のところバースもそれができるのであればこの非常事態、能力を惜しみなどしない。
「でも俺ってどう見ても海の男って柄じゃないからな」
「今はそんな体裁気にしてる場合じゃないだろうが。お前こそその訳のわからん特殊能力を発揮しろ」
いつの間にやらエルファだけでなく、4人全員の期待と希望を一身にその身に受けてしまっている。
仕方なくバースは脳内の舵取りの知識を引っ張り出して頭の中で動作をおさらいしてみた。
奇跡が起こることを信じ、そっと舵に触れると、船がごごごと音を立てて動き始める。
やっぱりこの男はやればできる男なんだ、海の男だろうが山の男だろうがこの際もうどうだっていい。
このまま上手い具合に海原に出ると、その後はバースが快適な船の旅を演出してくれるだろう。
リグたちの心は躍った。
と同時に、彼らの身体も宙に浮かび上がった。
「あれ? あぁ、駄目だ、もう操縦不可能。ぶつかるぞーーーー」
バースの諦めたような声が聞こえる。
彼の手から離れた舵はぐるぐると際限なく回り続ける。
リグがバースを叱りつけようとしたその時、甲板上の人々すべての身体に衝撃が走った。
ドーンという音が船の側面部分から聞こえた。
何かが擦れる音がする。
きっと、いや確実に船の底が浅瀬の岩に当たっている音だろう。
「バース、てめ・・・」
「あ〜、座礁1号、やっちゃったな。でもこの船耐久性あって良かった良かった。エルファ、怪我ないか?」
だからできないって言ったのに、無茶言いやがってこの勇者は。
バースは激しく腰を打ちつけたリグの前を通り過ぎると、隅で蹲っているエルファの元へと歩み寄った。
エルファがなにやら不満げな声でバースを諭している声がするが、彼女に怒られるのならバースももう無茶をすることもないだろう。
もっとも彼に無茶をさせたのは、リグ張本人である。
「でも座礁だなんて、派手な音がするもんなのね・・・。ほら、あまりの音に魔物がうじゃうじゃ集まってきちゃって・・・」
再び海上のものとなった船に魔物が取り付き始める。
ぷかぷか浮いているだけの船は当然のごとく、魔物たちの格好の標的となる。
リグとライムが同時に剣を鞘から抜いた。
足場の悪い海上だが、身につけた技術で敵を斬りつける。
エルファとバースも船の舵取りは頭から忘れ去り、炎系の呪文を連呼する。
4人が戦っている間、ヤマトはなんとか船の動きを止めようと舵に縋りつくが、もちろん何かが良くなるはずがない。
そればかりか、魔物たちの攻撃を受けて船の進行具合もますます怪しくなっていく。
「流石にこのままじゃ船もろとも沈没なんてのもあったりして・・・」
リグたちの戦闘よりも船の耐久度の方が心配になったライムは、剣を近寄ってきた魔物に投げつけるとヤマトを退かせて舵に取り付いた。
好き勝手に回り続ける舵の動きを止めると、先程とは逆方向に回す。
するとどうだろう、船の揺れが嘘のように収まり戦闘状況も好転してきたではないか。
大量の魔物を撃退し、座礁一号はようやく快適に海上を滑り始めた。
「風が気持ちいいねー。ねぇバース」
「だなー。でも誰が舵取りしてんだ?」
「・・・ライム?」
慌てて舵の元へと駆けつけると、そこには林業農家育ちのライムがさしたる苦労もなさそうに舵を取っている。
彼女の動かし方はバースのような危なっかしさもない、とても自然なものだった。
「ライム、できるんだったらそう言ってくれよ! そしたらこの座礁1号、座礁せずに済んだのに」
「座礁・・・、あぁ、この船の名前、『座礁1号』になったのね。でもリグ、私もいつの間にかできてたの。これが2人が言ってる特殊能力ってやつ?」
理由がどうであれ、船はこうして動いている。
ほっとして喜ぶリグたちだが、ヤマトの疑問が横に入った。
「はて、船が動いたことは嬉しいが、ここはジパングとは遥か遠い地ではないのか? ここからジパングへ行くというのは、ちと無理な話ではないだろうか」
「大丈夫、リグの大得意なルーラを使えばなんと、船ももれなくルーラの発動範囲に入って一緒に移動できるんだよ。
てことでリグ、早速お前の十八番、この船にもかけてダーマ神殿まで飛べ」
「おま・・・っ、ちょっ・・、ふざけんなよ! 俺のどこにそんな船を動かせるような膨大な魔力があるってんだよ!! 呪文のエキスパートが2人もいる癖に、俺にあえて押し付けるのか!?」
「残念ながら、俺たちの魔力ばっかり使ってると勇者殿の純然たる魔力が錆びてしまうんだな。次の敵が来る前にとっととやれ」
「おいっ!? エルファ・・・、悪いけどちょっと手伝ってくれないかな。ほんとにちょっとでいいんだ、な?」
バースに直談判しても無理だと悟ったリグは照準をエルファに変え、援護射撃を要請した。
しかしエルファも苦笑して首を横に振るだけだ。
頼みのエルファまでも俺にこの大仕事を押し付けようとするのか、とリグが肩を落とした。
「リグー。やるならとっととやってね。心の準備ってもんがあるのよ、こっちだって」
「あぁもうわかりましたよやりますよ! ったく・・・、なんだって俺がこんなルーラ・・・」
腹を括ったリグは、ぶつぶつ呟きながらもルーラを唱え始めた。
普段使わない魔力を使ったおかげで体からじわりと汗が滲み出てくるのがわかる。
しばらくすると、船全体がぼおっと光りだした。
わずかに船が海面より浮き上がった瞬間、光と共に船が海上から消え去る。
ダーマ神殿前に到着したリグたちの前には、相棒座礁一号も到着していた。