5.将軍様が見てる
出会って間もなく別れたイケメン勇者の真似などするものではなかった。
デルカダール城下町に戻る前に少しでも汚れを落としておきたくて、近くの川辺に寄ったのが間違いだった。
は派手に濡れたスカートの裾を絞りながら、とぼとぼと城門を目指し歩いていた。
デルカダール地方の魔物たちは、余所の魔物に比べると穏やかで気弱な性質が多い。
こちらから手を出さない限りは向こうもそれほど近付いてこないし、人に慣れきったスライムなどは撫でても揉んでも愛嬌たっぷりに体を摺り寄せてくるほどだ。
ただ、今日は相手が悪かった。
岩だと思い足を置いた先が実は水に浸かっていた大ガラスの骸骨で、頭をつつかれ慌てて逃げようと立ち上がった直後、フロッガーが歩いた後の粘液に足を取られ浅瀬にダイブした。
嘴が刺さった頭は痛いし、びしょびしょの服は体に張りついて気持ちが悪いし、滑った時に打ち所が悪かったのか足も痛い。
こんな目に遭うのならば、カミュに薬草をすべて渡さずいくつか持っておくべきだった。
身綺麗になるどころか、更にみすぼらしくなってしまった。
こんなずぶ濡れのいでたちで、果たして城下町にすんなりと入れてもらえるのか不安になってきた。
ただでさえ街中に悪魔の子捜索部隊が配置されピリピリしている中層だ。
街の雰囲気にそぐわない風体の怪しい奴と認定され門前払いをされかねない。
はようやく辿り着いた城下町の入口へ続く橋が見事に封鎖されているのを目の当たりにし、ほらあとぼやいた。
「物理的に無理なやつじゃん、これ」
「む・・・旅人・・・か? 随分と過酷な旅をしてきたようだが・・・」
「お勤めご苦労様です! ううん実はこの中で商売してる一般国民なんだけど、かくかくしかじかあって・・・入っちゃ駄目?」
「生憎と今は悪魔の子と脱獄囚の捜索で特別警戒中だ。国民といえどもその・・・そう奇怪ないでたちでは簡単に通すことはできかねるのだ」
「ですよねー自覚はある。で、いつ開くの?」
篝火の前に立ちさりげなく服を乾かしながら、門番の兵に開城時間を尋ねる。
たちを探し回っているのであれば、帰城する兵たちも当然いるはずだ。
公私混同は良くないことだとわかっているが、ひょっとして外回りの兵が馴染みの客なら大目に見てくれるかもしれない。
今はどんな手段を使ってでもいい、とにかく店に帰って着替えたい。
さすがに2日空けるのは今のご時世的にも懐具合的にも良くはない。
なによりも、不在が知られて叱られるのはもっと嫌だ。
は門番の当たり障りのない世間話に見せかけた尋問を受け流すと、ふと、周囲を見回した。
砂煙がこちらへと近付いてくる。
どうやら外回り組の帰還らしい。
助かった、これで城内に入り込める。
は乾ききらない服の裾をたくし上げもう一度ぎゅうと絞ると、馬蹄と共に迫る集団へと目を凝らした。
先頭を走る漆黒の馬は、デルカダールに住まう者なら誰もが知る名馬だ。
そして、リタリフォンと名付けられた勇ましく賢いその馬が背に乗せるのは、これまたデルカダールどころか世界中の人々が知らない者はないとまで言われる英雄グレイグだ。
デルカダールの双鷲が片翼グレイグ自ら兵を率い駆けるほど、悪魔の子とは恐ろしい存在なのだろうか。
とは短い間の旅だったが、彼は悪魔には見えなかった。
とても純朴な少しばかり世間知らずの、ただの田舎の男の子だった。
そんな少年ひとりを血眼になって探し回っているデルカダールの方が、よほどおかしいとさえ感じてしまう。
国宝を盗み出したカミュはともかく、がいったい何をしたというのだ。
これから何をやらかすと危惧されているのだ。
勇者がこれからやることはただひとつ、世界平和を成し遂げることだろうに、それを阻もうとしているこの国のことがよくわからない。
そう口に出してしまえばきっと、こちらも地下牢獄の住人となってしまうのだろうが。
「ねえねえ、私の身の潔白証明されたよね? 行っていい? 可愛い女の子の笑顔を叱責の嵐から守ると思えばほら、今日からあなたも私だけの英雄!」
「む、う、うーん・・・しかし・・・」
「近くに川があればそこで水遊びしちゃう子なんてごまんといるって! 私ばっかり目の敵にされて酷い、私ほんとにただの一般国民なのに・・・」
「・・・本当に見ていないのだな? 悪魔の子と脱獄囚は」
「見てないってば。私これでも相当に記憶力いいの。だから兵士さん、私を見逃してくれたら今なら私のお店で特別サービ「・・・か?」げ」
面倒なことになるかもしれないとは思っていたが、案の定見つかってしまった。
リタリフォンの嘶きがすぐ傍で聞こえ、ゆっくりと振り返るとこちらを馬上から見下ろしていているグレイグと目が合う。
うっかり『げ』なんて呟いてしまったが、聞こえていなかっただろうか。
何と言おうか考えていると、あと一押しで陥落寸前だった門番がこの者はと慌てて口を開いた。
「ここまでの道中悪魔の子たちを見ていないかと尋ねたのですが要領を得ず、風体も妙でしたので留め置いております」
「・・・そうか。どうしたのだその格好は」
「別に・・・ちょっと川で大ガラスの骸骨蹴飛ばした拍子に突かれて、フロッガーの粘液に足取られてびしょ濡れになっただけです・・・」
「ちょっとではないだろう・・・。彼女は私の知り合いの娘だ、預からせてもらっても構わないか」
「グレイグ将軍のお知り合いでしたか! これは失礼いたしました」
「いや全然ちが「、来なさい」はい」
国一番どころか、ひょっとしなくてもこの世界で一番強いであろう男に睨まれては『はい』の選択肢以外は見つからない。
街に入れるのは願ったり叶ったりだが、これでは帰宅が更に遠のきそうだ。
はグレイグの供周りから借りた外套を羽織ると、目的地より遥か前方デルカダール城へ歩き始めた。
庇い立てをするほど彼女のことを見知っているわけではない。
会って話したことはあるが、特別親しいというわけでもない。
ただあのまま放っておけるほどの浅い間柄ではなく、もっと言ってしまえば、あそこに放っておいた後の知り合いが面倒だから連れて来ただけだ。
それに、ずぶ濡れの子どもを野晒しにできるほど薄情になった覚えもない。
グレイグは大人しく兵たちの休憩所まで連れて来られ、今はこれまた大人しくベッドの上に腰かけているの向かいのベッドに腰を下ろした。
「少しは落ち着いたか」
「はい。・・・あの、迷惑かけてすみませんでした」
「単身外を出歩くというのは感心しない。今は悪魔の子やオーブ泥棒といった凶悪犯が脱獄、逃亡している危険な状況だ」
「悪魔の子・・・」
「そうだ。道中見なかったか?」
「どんな人? 悪魔なら魔物?」
「人間だ。人畜無害そうに見えるがそうだな・・・、年恰好はお前と同じくらいの若者だ」
「ふぅん・・・、見てないや」
目の前でこちらの目線と合うよう大きな体を屈め、恐らくは怖がらせないようにかなり言葉を選んで話しかけてくる男のことは、特別知っているわけではない。
会って話したことはあるが彼本人は店に来ることもほぼないし、こうして助けてもらうような親しい仲でもない。
それでも連れて来てくれたのは、こちらの背後にいる某人のことを考えたからだろう。
しかし、まさか一番公私混同を嫌いそうな男が手を差し伸べてくれるとは思わなかった。
この調子で乗り切れば、案外すんなりと店に帰してくれるかもしれない。
グレイグもこれ以上はたちのことを尋ねてはこなさそうだ。
我が身すら顧みることができず、たかだか水遊びごときで濡れネズミになるような小娘が脱獄囚の動向などに頓着できるわけがないのだ。
そう考えると急におかしくなってきて、は思わずぷっと吹き出した。
「どうした急に」
「いや、なんだか今更私滅茶苦茶なことしてたなって思っちゃって。そりゃ私不審者ですよね、グレイグ将軍が来てくれて良かった」
「そ、そうか。そういえば、大ガラスに襲われたと言っていたな。怪我をしただろう、どれ」
グレイグがかざした手から金色の光が溢れ、体がじんわりと温かくなる。
回復呪文を見たのは先日のの処置が初めてだったが、自分に向けられるのは今日が初めてだ。
岩場で滑らせ強かに打ちつけた足腰も、穴が空くのではないかというほどに突かれた頭も痛くない。
はそっと頭に手をやり、わあと歓声を上げた。
「すごいすごい! 私、回復呪文って初めてやってもらった! すごい!」
「痛みはないか? まだ悪いようなら医者に診せた方がいいが」
「全っ然! 私こう見えて痛いのとか苦しいのとか慣れてて丈夫にできてるからほんとはこのくらいも我慢できるんですけど、すごい! ありがとうグレイグ将軍!」
「国民を守るのも兵の務めだ。それからやはり無理と無茶と我慢は良くない。聞いたが、城仕えの話も出ているのだろう? そちらにすれば、あいつの肝を冷やすこともないだろうに」
城仕えは今の暮らしよりは窮屈になるかもしれないが、少なくとも治癒呪文の世話になるような苦痛は伴わないはずだ。
愛想も器量も良い娘なので、勤め始めたとなれば以前からの顔なじみだった客もとい兵たちもそれなりには喜ぶだろう。
憧れの職業として競争倍率もかなりのものだという。
伝手があるのであれば頼ってもいいと思う。
グレイグは、どこでこさえてきたものなのかべホイミで癒すまではかすり傷だらけだった腕をしきりに撫でているを見つめた。
生乾きの服は気の毒だが、さすがにそこまで手を差し伸べてやることはできない。
「城にお勤めするって、私にできるわけないじゃないですか。えーと何だっけ、身体検査とかあるんでしょう? 私なんて絶対無理、だって私全然綺麗じゃないですもん」
「身体検査?」
「あるんでしょう? 国にお仕えする人としてふさわしいのかいろいろ調べられるって常連さんから聞きました。そんなのされたら私一発で失格だもん」
それに、ずっとこのままでいていいわけもない。
今はデルカダールが居場所だが、終の棲家にするつもりはない。
なくなったと言うべきなのかもしれない。
あの日たちと出会わなければ、何の違和感を抱くこともなくこの国に住み続けることができただろう。
勇者についても、もちろん悪魔の子についても何も知らない。
遠い遠い昔のおとぎ話に出てくる王子様のように素敵な人としか考えたことがなかった。
実物と会ってみてもその印象はさして変わらなかったし、災厄を招く者などにはとても見えなかった。
デルカダールのことは嫌いではない。
人々は皆心優しいし、気候も穏やかで食べ物も美味しい。
以前いた場所と比べるとまるで天国だ。
しかし、一度生まれてしまった違和感はなかなか拭えない。
だから、たとえ周囲がどんなに勧めてくれようとこの国に定住することになるような選択はできない。
黙り込んでしまったことに困惑したのか、グレイグの手が宙を彷徨っている。
この将軍は何も悪くない。
誰も悪くないのだ。
おかしいのは、国民にあるまじきことを考えてしまっている自分なのかもしれないのだから。
「あー、なんだかすみません。私そろそろ帰ります、お店行かないと」
「怪我はいいのか? 一応連絡はしておいたが」
「・・・はい? いや、なんで、そんなのされたら私絶対叱られるじゃないですか。内緒にしてねって言ったのに!」
「わかったとは言わなかっただろう。叱ってくれる人がいるうちは存分に叱られろ。こら、待ちなさい」
「やです帰ります! ったく人が体張って時間稼ぎしたのにもうこれ以上は身が保た「体を張って、何だ?」ひっ」
休憩所の重い扉を両手で開け放ち一歩踏み出した直後、がつんと冷たく固い何かに額をぶつける。
今日は頭が呪われているのかもしれない。
真上からつむじに突き刺さる視線が痛い。
顔を上げるのが怖い。
逃げられると思っているのか、。
本日二度目の選択肢のない問いを投げつけられたは、俯いたまま『いいえ』と答えた。
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