4.潜入!サバイバルライフ!










 密林を抜ければイシの村とやらに出られると言ったのは、どこの誰だっただろうか。
確かに行けないことはない。
しかし、今の実力ではその道は破滅への道以外の何物でもない。
は崩れ落ちているかつて橋だったものの袂で、崖下をうろつく巨人と人食い花を見下ろしていた。
戦闘経験がなくとも見ればわかる、あれはいくら勇者でも倒せない連中だ。
万が一にでも行くというのなら、どんな手を使ってでも全力で止める。




「マジか・・・。昨日は暗かったからよく見えなかったが、しくじったぜ・・・」
「獄中生活長かったんだから仕方ないって。でもどうしよっか、勇者様はどうしたい?」
「うーん・・・。あ、この先まだ行ってないや」
「そっかーまた寄り道かあ」




 時間はまだ朝だから、ここはギリギリ朝の散歩ということにしておこう。
地図も無事読めるようになっているようだし、どうせ急いだところで壊れている橋は直らないので散歩くらいしても罰は当たるまい。
は先を歩き始めたお尋ね者プラス犬に続くと、草むらをかき分けた。
2人と犬は多少の段差も軽々と越えていくが、サバイバル生活に縁のないこちらにとってはそれらはとても大きな障壁だ。
両手の力だけで体を持ち上げるだなんて、やったこともない。
それに、歩き通しの身体はキャンプ場での野宿くらいでは完全には癒されない。
自宅のベッドも決して上等なものではないが、それなりの寝床に身を横たえたい。
弱音を口に出すつもりはないが、2人の迷惑になりそうだから知られるような行動も取りたくない。
半ば強引について来たのだ、自分の身体には最後まで責任を持ちたい。
はない体力にふんと気合を入れると、岩に手をかけた。
ごつごつとした岩の表面に触れただけで手がぴりぴりする。
冒険者はすごい、こんな岩場も息を切らすことなく平気で駆け上がっていくのだから。
よいしょと声をかけ腕に力を込めたは、ひょいと目の前に現れた腕に顔を上げた。
が笑ってこちらを見下ろしている。
どうしたものかと固まっていると、はさらにぐいと手を差し伸ばした。





「はい、手をどうぞ」
「あ、いや、私自分で」
「僕がそうしたいだけだから、やらせて?」
「えっ、じゃあ、あの、いいけど・・・。・・・その、ありがと」
「僕こそありがとう。へえ、やっぱり都会育ちの女の子の手って綺麗だね」
「私、別に都会育ちじゃないけど」
「そうなんだ? でも僕は好きだな、ちゃんの手。すごく大切にされている人の手って感じがする。それに、初めて触った気もしない」





 細身に見えて案外力持ちなのか、軽々と引き上げてくれてからも興味深げに手を握り続けながら歩くのしなやかな指を見下ろす。
大切にされている人の手というのは、まさしくのような手を言うのだと思う。
話に聞いたイシの村とは、デルカダールの民も知らない山奥にひっそりとある集落という。
幼い頃から家族や村の住人たちに大切に育てられたであろう、まだ何の苦労も知らなかった手だ。
この手もいずれ戦いで傷だらけになってしまうのだろうか。
手の甲にうっすらと浮かぶ勇者の痣が、彼のたった一度きりしかない人生を波乱万丈なものへと誘ってしまうのだろうか。
そんなつもりで助けたつもりではなかったのに、どうしてこんなに他人思いの優しいいい子が悪魔として追われなければならないのだろう。





「ねぇちゃん、君は僕が怖くないの?」
「怖いことするの?」
「しないよ! ・・・でも僕は悪魔の子って呼ばれてるんだよ。普通はもっと怖がったり係わり合いになりたくないんじゃないかな」
「呼ばれてるだけで、ほんとに悪魔っぽいことするわけじゃないんでしょ。それに勇者様がマジの悪魔の子なら、とっくに私なんか殺してると思うけど」
「そんなことしないってば!」
「でしょう? 悪魔の子が私を助けて守ってくれるわけがないじゃない。まあ私は勇者がどんなものなのかも正直知らないんだけどさ」





 だから元気出してーと言い振られたままの手をぶんぶん振ると、突然の手の痣が光り出す。
光る痣に吸い込まれそうな気分になり慌てて手を振り払うと、後退りしたが光り続ける左手で額を押さえている。
しまった、怖くないと言った矢先に驚いたからとはいえ乱暴に払い除けてしまったから、怒らせたり悲しませてしまったかもしれない。
どうしよう、カミュにまた怒られる。
は頭を抱えたままのにそっと声をかけた。





「あのう・・・勇者様? ごめんね、痛かった?」
「いや、僕こそ急にごめんね。なんだかこう・・・走馬灯・・・?」
「えっ、勇者様やっぱりどこか痛いの、死んじゃやだあ!」
「大丈夫だよ、ちょっとびっくりしただけだから・・・」





 今朝カミュが振る舞った朝食のパンが実は少し腐れていたのかもしれない。
きっとそうだ。
腹下しに薬草が効くのかはわからないが、毒消し草とセットで食べさせれば走馬灯を呼び起こすほどの痛みも少しは和らぐに違いない。
はポケットから毒消し草を引っ張り出すと、に突き出した。
独特の臭いが苦手なのか、嫌々と駄々っ子のように首を横に振りながらがじりじりと後ろに下がる。
どんなに逃げようとそちらはもう行き止まりだ。
好き嫌いを克服して大人しく解毒してしまえ。
逃げ場を失ったの手が宙を彷徨い、地面から力強く伸びていた不思議な紋様が浮かんだ根に触れる。
が離れた後も微かに光を灯し続けていた手の痣がひときわ大きく輝きを放つと、光はそのままたちを包み込んだ。











































 ようやくまともに2人旅だ。
キャンプ地に置いてきたは、今はショックで落ち込んでいるようだから勝手に動き回りもしないはずだ。
カミュはと並んで歩きながら、大樹の根が見せた光景に現れた魔物入りの宝箱を探していた。
人間が犬に化かされるというおとぎ話のようなことが、大樹によれば現実に起こってしまったらしい。
光る根はにしか反応を示さなかったが、これも勇者の力のひとつなのかもしれない。
牢を出てからおかしなことばかり起きていて、退屈する時がまったくない。





「お前さ、村にいる時からしょっちゅうこういうおかしなことに遭ってたのか?」
「ううん、村では成人の儀式をした日だけかなあ。それよりもちゃん置いてきて良かったのかな。心配じゃない?」
「あんだけ落ち込んどきゃどこにも行かねぇだろ。ったく、なーにがおじさんと一緒に寝ちゃっただ、ろくに寝れてもないくせに」
「休ませてあげたかったって素直に言えばいいのに。それに気まずいから犬連れてきたんだよね。カミュ優しい」
「そりゃどうも。・・・お、あれじゃないか、見るからに怪しい宝箱」




 通常の宝箱よりも二回りも三回りも大きくてぴかぴかと光る宝箱が、道のど真ん中にでんと置かれている。
冒険初心者でもわかる罠感たっぷりのそれに、顔を見合わせる。
人を動物へ変化させるほどの力はあるのに、頭は少し弱いらしい。
は巨大な宝箱の蓋を開けると、中身が空だと確認しすぐに間合いを取った。
案の定、箱の影から待ちかねていたようにいたずらデビルが飛び出す。
悪魔の子とはこういう魔物のことを言うのだと思うのだが、デルカダール王やグレイグ、ホメロスたちには自分もこれと同じように見えてしまったのだろうか。
身だしなみには気を遣っているつもりだったが、なにぶんド田舎育ちだったのでかなりもっさり見えたのかもしれない。
そうでなくてもショックだ。
はいたずらデビルのいたずらビームを首を捻り躱すと、背中の剣に手をかけた。
カミュからもらった鍛冶台で作った青銅の剣は、初めてにしては我ながらなかなかの出来だと思う。
村で用意してもらった剣よりもよく斬れる気がするし、自分で作ったとなれば愛着も湧く。
先制攻撃を仕掛けたカミュに続き剣を振り上げたは、不意に燃え上がった足元に思わず叫んだ。





「オレの呪文があれだけで終わりと思うなよー!」
「あっつ・・・」
「おいおいマジかよ。食え、!」





 無造作に袋から取り出され投げられた薬草を口に詰め込みながら、先程与え損ねた第一撃を送る。
手応えはあるが、カウンターとばかりにビリリとやられ連撃は繰り出せない。
連発される炎の呪文のたびに薬草を食べる暇も腹の余裕もない。
2人がかりで戦って苦戦を強いられるとは、いたずらデビルはただの悪戯好きの魔物ではないらしい。
このままでは押し切られる。
は隣で荒い息を吐いてるカミュを横目で見た。
まだ動けそうだが、傷も浅くはなさそうだ。
しかし、目は戦い始めた頃よりも爛々と輝いている。
ははあと大きく息を吐くと、カミュと大声で叫んだ。
チャンスは一度、2人の呼吸が合わなければ成功しないが、きっとできるはずだ。
なぜなら、カミュは僕の相棒だから。





「いくよ、カミュ!」
「ああ、いいぜ相棒・・・!」





 残った力を振り絞り高く飛び上がり、全体重をかけて真正面からいたずらデビルを斬り下ろす。
フェイントはできるだけ大きく、注意を引きつけて。
こちらと対峙している間に敵の死角へと入り込んでいたカミュが、愛用の短剣をきらめかせる。
身を守ることはおろか、攻撃が来るとも予期していなかった奇襲にいたずらデビルが断末魔の悲鳴を上げる。
連携技が決まらなければ、先に悲鳴を上げていたのはこちらだったかもしれない。
とカミュはそれぞれ剣を収めると、消えゆくいたずらデビルを見下ろした。
ほっとすると、我慢していた痛みが急に酷くなってくる。
は服についた煤を払うと、カミュを顧みた。






「カミュ、血が出てる」
こそ男ぶりが上がってるぞ」
「薬草食べる?」
が食っとけ。このくらいでいちいち食ってたら太るぞ」
「でも兄ちゃんたちはもう少し肉つけた方がいいと思うんだがなあ」
「・・・・・・えーっと、あのワンコロか?」




 ころころとした小太りの男性が、必死に手を振っている。
犬だった頃の愛らしさはどこにもなく、抱き締めようとも思いにくい見事なまでの中年太りだ。
が落ち込むのも無理はないというか、彼の姿は見せない方がいいかもしれない。
年頃の女の子には少々刺激と現実が厳しすぎる。
とカミュは壊れた橋を直すため一足先に小屋へと戻っていった木こりのマンプクを見送ると、痛む体をさすりながらのんびりと歩き始めた。
女神像の前に跪き、両手を胸の前で組み頭を垂れている女性の姿が見えてくる。
足音が聞こえたのかぱっと立ち上がり、周囲を見回しているのか妙に慌てているように感じる。
カミュがと声をかけると、振り返ったの顔が笑顔からみるみるうちに焦りに変わった。





「ずっと帰って来ないから置いてかれたかと思ったじゃん!」
「橋もないのにどう追い抜くんだよ・・・。・・・悪い、少し休ませてくれ。平気か?」
「うーん・・・、それが実は・・・」
「何だよもったいぶらずに教えてくれよ」
「カミュ、失敗したらごめんね?」





 静かに深呼吸したが、ギラの熱線で傷ついたカミュの脛に手をかざす。
の手から金の光が溢れ、カミュの身体に注がれる。
傷口が塞がりたちまちのうちに元のすっきりとした肌に戻った様子にほっと息を吐き、は額を伝う汗を拭った。
初めて覚えた回復呪文をいきなり他人に使うのは怖かったが、どうやら無事に治癒できたらしい。
今はまだ魔力の加減が難しいが、使い続けていくうちに効果も上昇しそうだ。
これで薬草に頼りきりの旅とはさよならだ。
は続けて自身にも覚えたてのホイミを唱えると、まじまじとこちらを見つめていたを顧みた。





「えっと、ちゃんはどこか怪我は?」
「ない! すごい! すごい勇者様! 今のが呪文かあーねえ見た? 見た!?」
「ああ。しっかしいつの間に覚えてたんだ? さっきの戦闘か?」
「たぶんそうだと思う。でも良かった、上手くできて」
「勇者様ってやっぱりすごいんだね。これでこれからの旅も安泰じゃん、良かった良かった」




 傷だらけで帰ってきた時はこれからの逃避行が上手くできるのかと心配になったが、傷を癒す手段を覚えたのであれば問題はないだろう。
覚えなければ最悪、奥の手を使うまでと腹を括っていたことは忘れよう。
お荷物もお荷物なりに2人を案じていたのだ。
ひょっとしていたずらデビルにいたずらされていないかなあとか、だから女神像にも祈ってみたりしたのだ。
じきに2人との旅も終わる。
一泊三日の強行軍だったが、時々思い出したくなるようななかなかに面白い旅だった。
当代にたった1人しかいないであろう勇者様と知り合い、更にはちゃんなんて小っ恥ずかしい呼ばれ方をされた一般人などそういまい。
貴重な体験だった。
これで勇者が脱獄囚でなければ、客や旅人にいくらでも話して聞かせていた。
は橋を越え生い茂る巨大な植物を潜り抜け、立ちはだかる岩をどうにかこうにか乗り越えた先にようやく現れた平坦な道に、はああと堪えていた溜息を吐いた。





「やっと・・・やっと抜けた・・・!」
「おーおーご苦労さん。兵の姿は・・・ないみたいだな」
「そうみたい。良かったね勇者様、これでお家に帰れる」
「ありがとうちゃん。・・・あのねちゃん、もしちゃんが良かったらこの先ずっと一緒に来ない?」
「へ? いや何言ってんの勇者様。そもそも今私がここにいるのもこの人が私拉致ったからで、別に私は外出る気はなかったんだよ?」





 イケメンにナンパされるのは大歓迎だが、旅のお誘いはさすがにスケールが違う。
確かに勇者ご一行との旅は面白くて貴重なひとときだったが、それは非日常だったから楽しめたものだ。
林に潜り人目を避ける生活を毎日続ける自信は微塵もない。
は顔の前で両手を振ると、もう一度無理無理と返した。
困ったように眉を下げるにきゅんとするが、ここで絆されてはいけない。
彼らには彼らの旅路があるように、こちらにはこちらの生活がある。
ようやく手に入れたそれなりに落ち着いた生活を捨てることはできない。
それに、いくら呪文を覚えたとしても守りっ放しのお荷物を抱え続けて進めるほど彼らの逃避行は楽ではないはずだ。
世界一の軍事大国デルカダールの強大さは、も身をもって知っていた。






「別に一生の別れじゃないんだし、またどこかで会えるって」
「そうだぜ。落ち着いたら会いに行ってやれよ」
「カミュも一緒に行こうよ」
「俺はいいんだよ。元気に生きてりゃどこでだって」
「そっか。・・・あ、そうだちゃんにこれあげる。城までも遠いから気を付けてね。フロッガーには気を付けて、あのバケガエルは人を舐める!」
「ああうーん、ありがと。大事にする」




 手渡された新品の剣は、おそらく昨晩が鍛冶台で仕立てた聖なるナイフだろう。
がナイフを差し出した時にカミュの眉がぴくりと動いたのは、丸腰でいる理由に気付いているからかもしれない。
確かにプレゼントは嬉しいものだが、これはあまり大っぴらにしない方がいいだろう。
次に会う時は、今よりも少しでもまともに会えたらいい。
もっと素直になれていたらいい。
相手に悲しい顔や辛い顔ばかりさせるような、そんな自分にはもうなりたくない。
はナイフを服のベルトにかけると、まだ何か言いたげにしているの口元についと人差し指を押し当てた。





「大丈夫。それよりも勇者様、カミュのことよろしくね。兄貴風吹かせてすごく頼りになりそうだけど、結構無茶したりするから余裕があったらこまめにホイミしてあげて」
「お褒めいただきどうも。・・・ほんとに大丈夫か?」
「2人と一緒にいる方がよっぽど危ないってば。・・・いろいろとありがとう、またね」






 デルカダールに戻って何も起こらない保証はどこにもないが、あそこより他に戻る場所はないので行くしかない。
悪魔の子探しに出払っていたのならば、気付かれてもいない可能性はある。
たちに手を振ると、ただの町娘に戻るべく草原を歩き始めた。






ちゃん、僕の名前呼んでくれなかったなあ・・・)






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