8.金色包囲網










 カモメだかウミネコだかが、船の周りを飛び交っている。
この鳥は陸地に近付くにつれ舞う数が増えるというのは、かつて親しんだ男が授けてくれた知識だ。
彼は今、どの辺りにいるのだろうか。
デルカコスタの果てのド田舎で純粋培養された世間知らずの勇者様と、無事に逃避行を続けられているだろうか。
一日半ほどの付き合いしかしなかったが、過去何度も修羅場を経験してきた研ぎ澄まされた女の勘の見立てによれば、今度の勇者はかなり難儀な旅を強いられそうな気がした。
初見が悪魔の子呼ばわりからの脱獄犯である。
更にこれ以上どうやってどん底に落ちていくのかわからないが、あれはきっとまだ序の口なのだと思う。
かわいそうだなあ、でも私にはどうにもしてあげられないしなあ。
はおそらくは当分再会することもないであろうの旅路をさっくりと祈ると、わずかばかりの手荷物を取り上げた。





「将軍はーっと、いないかあ」




 しばしの別れの挨拶をすれば餞別という名のお小遣いがもらえるかもと淡い期待を抱いていたが、さすがはデルカダール一頭が切れる軍師殿だ。
たかられる気配をいち早く察したのか、毛先すら見えやしない。
もらえればもらえたでやれ無駄遣いはするなだの食べすぎるなだのお小言ももれなく頂戴していただろうから、それを聞かずに済んだと思うことにする。




「えーっとまずは宿取って、あとあとー・・・あっ」




 とんとんとリズム良くタラップを降りながらこれからの行程を考えていると、どこからともなく甘い匂いが漂ってくる。
温かくて、きっとできたてで、ふわふわしていそうな魅惑の香りだ。
これからのことなんて、そんなものは第一の目的を果たしてからでも遅くはない。
街中に漂う潮と甘い香りが口を揃えて叫んでいるではないか。
ダーハルーネへようこそと!





「宿なんて野宿で上等! 酒場でオールすれば良し! 今日の私はスイーツバイキング!」




 本場本物のバイキングに知れたら大目玉を喰らいそうだが、ここにいない人々のことを思うだけ脳みその無駄遣いだ。
は宿屋の方角のみを確認すると、軽やかな足取りでスイーツ店へと駆けだした。


































 見ているだけで胃もたれしてきた。
腹下しに効果的な薬をあらかじめもらっておくべきだったが、今は薬の所持人である妹に近付く勇気がない。
普段たくさん歩いているのですから、今日はいつものご褒美です!
そう宣言するのは勝手だし止めるつもりもないが、いささか量が過ぎているのではないだろうか。
ごった返す店内のため相席となってしまい同じテーブルでスイーツを食べまくっている初対面の娘と、実は食べ比べでもしているのだろうか。
負けた方が全部驕るなんて法外な約束を、目を離した隙に吹っかけられてはいないだろうか。
見た目はどこにでもいそうなただの町娘だが、ここは天下の港湾都市ダーハルーネだ。
山奥育ちのお上りさんの懐を誑かし抜き取るなんて造作もない、手癖の悪い盗賊が紛れ込んでいてもおかしくはない。
だからお前ら気を付けろよーと盗賊あがりの仲間に忠告されたのは釈然としないが。





「ちょっとセーニャ、あんたいつまで食べてんの。あたしは早く靴見に行きたいんだけど」
「あっ、待って下さいお姉さま。私まだシュークリームを食べていなくて・・・」
「はあ? それだけ食べてまだ食べてないやつがあるっていうの!?」
「あ、味わって食べているんです!」
「ていうかそれ、私が注文したやつなんだけどね」
「セーニャ、あんたどこまでドジなの」
「あー全然気にしないで! さすがにそろそろやめとかないとと思ってたしそれ食べてどうぞ」




 思った以上にフォークとスプーンが進んでしまっていた。
あれもこれもどれもみな初めて食べるしかも絶品ばかりで、財布と胃袋に相談することなくついつい食べまくっていた。
は向かいの席で上品に大量のスイーツを平らげていく金髪美女と、彼女の前に重ねられた空の皿の山を見てうわぁと小さく呟いた。
見なければ良かったかもしれない胸焼け必至の光景だ。
縦にも横にも、凹凸も大してなさそうなスレンダー体型のどこにスイーツが収納されていったのかわからない。
こちらもそれなりに食べ楽しんだつもりだったが、上には上がいた。
確かにこれだけ食べれば姉よりも背丈もぐんぐん伸びるだろう。
相席になった誼だ、プロポーション維持の秘訣とか教えてくれないだろうか。
今ならもれなくデルカダールいち・・・いや、3・・・4くらい可愛い看板娘が出迎える美味しい定食屋のクーポン券を進呈するのだが。





「あの、こちらは新たに注文なさいますか?」
「いやいや、今日はもういいわ。もう少しここにいるつもりだし、今日だけで食べきっちゃうと明日からの楽しみがなくなっちゃうし。お気遣いありがとう」




 以前ならば、食べられるうちに食いだめをしなければとしか考えなかったと思う。
次にいつまともな食事にありつけるかわからなかったから、迷うことなく食べていた。
明日の衣食住が約束された生活とは、人の心も豊かにするらしい。
スイーツなんていう『別に食べても食べなくてもどうでもいいもの』を選ぶことができるようになるなんて、つくづく結構なご身分になったと思う。
もしかしたら、世間一般ではこれが並の生活と呼ぶのかもしれない。
ここまで生活水準を引き上げてくれたのは、他でもないホメロスだ。
彼には一生頭が上がらないだろう。
だから、時々顔を伏せたまま懐かしがってしまうのだ。
超絶極貧劣悪環境下にいた頃の、毎日が命がけで、けれどもそれが楽しくもあったりした恐怖と興奮で満たされた生活を。





「姉妹2人で旅行中なの?」
「いえ、お姉さまも含め5人で旅を」
「へえ、とっても賑やかそう。いいなあ、私はひとりだもん」
「女の子ひとりで? すごいわね・・・、ひょっとして腕に覚えアリ?」
「まっさかー! フロッガーに舐められ大ガラスにつつかれるくらいの見ての通りのか弱い女の子! ここまでは定期船で来たの。まあ、草むしり程度で外には出るかもだけど」





 軍資金はそれなりに持ってきたつもりだが、観光都市の観光地価格は侮れない。
加えて、来て初めて知ったのだが今ダーハルーネは海の男祭りとやらの準備で大わらわだ。
祭りが始まる。
いい時に来れたと気分は最高に盛り上がるが、財布は別の意味で悲鳴を上げかねない。
まず、お祭り相場で確実に食品の値段が上がる。
露店で売られる食べ歩きできる類のものなど顕著だろう。
こちらもデルカダールで開催される祭りの時は、ここぞとばかりに高値で売り歩いたものだ。
次に、宿泊料が跳ね上がる。
まだ宿を取っていないから相場はわからないが、祭り目当てに大勢の客が押し寄せるのだからこれを逃す手はないだろう。
そこまで冷静に分析し、は己が選択を大いに悔いた。
野宿で夜を明かす未来しか約束されていない。





「ちょっと・・・どうしたの、急に顔色悪くなったけど食べ過ぎたんじゃない?」
「暴食は体を悪くしてしまいます。私、治癒の呪文には心得があるんです。良かったら診せてくれませんか?」
「へ、平気・・・。あっ、そういえば旅してるんだっけ・・・。教えてほしいことがあるんだけど」
「はい、何でしょう?」
「この辺りに女神像ない?」




 怪訝な表情を浮かべながらも教えてくれた場所を地図で確認し、第2のプランが無謀なものだと悟る。
女神像に辿り着く前に大樹に還ってしまう。
仕方がない、こうなってしまった以上は奥の手、酒場オールで朝を迎えるしかない。
酔い覚ましの気つけ草は持ってきていただろうか。
眠気覚ましの目覚めの花は、先日うっかり寝坊しそうになったホメロスに大盤振る舞いしてしまったのでなかったはずだ。
どちらにせよ、ひとまず駄目元で宿屋に空きがないか確認してみよう。
はようやく靴探しに向かうことになった美人姉妹に別れを告げると、ずっしりと重たくなった胃袋を抱え宿へと歩きだした。







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