15.ストップ! 脱法エキス!










 が来ない。
寝坊しちゃったどうしようと、朝からけたたましく騒いでいたのは覚えている。
急がなければならないとわかっているのに、でもでもと特製草ジュースを作りベロニカを呆れさせていたのも見ていた。
女の子の支度に多少の手間がかかることは承知しているし急かすような野暮でもないが、それにしても遅すぎる。
とハンフリーの決勝戦、もう始まっちまうじゃねぇか。
カミュはいつまで経っても姿を見せないを連れるべく、席を立った。



迎えに行ってくる。この人混みで迷子になってるのかも」
「座席のチケットは渡してるんでしょ? あの子、抜けてるようだけど一応は大都会デルカダールに住んでたんだからこの程度で人酔いはしないはずよ」
「にしたって遅すぎるだろ。確かにはぼやぼやしてるけど、の決勝戦すっぽかすような薄情じゃないぜ」
「そうですわ。それに近頃の行方不明事件もありますし・・・。さまは戦いに不慣れですから、何かあっても・・・」
「まあその事件は強い奴が狙われてるからとは無縁な感じもするけど・・・。とにかくを連れてくる」



 入退場口へ向かっていると、わああと中央から歓声が上がる。
いよいよ始まるぞぉと野太い声の男性が叫んだと同時に、入場口からわっと人が押し寄せる。
残念ながらこちらは、人の流れに抗いながら外に出れるほどの大男でも怪力でもない。
ずるずると元いた位置まで戻されたカミュは、くそっと呟いた。
これではいよいよを迎えに行けない。
先程の群衆の中にが混ざっていればとも思ったが、彼女らしい色は見つけられなかった。



「あらカミュちゃん、おかえりなさい。その様子だと駄目だったみたいね」
「今は会場から出れないわ。終わったらみんなでを探しに行きましょ」



 勝手に町の外へ出歩くような馬鹿ではないし、どこかで混乱しているだけのはずだ。
ひょっとしたら、懲りずにまた謎の応援アイテムを作りでもして入場を渋られているのかもしれない。
そちらの方がらしくて安心する。
とハンフリーが優勝を飾り宿屋に凱旋した後も、の姿はないままだった。






















 どうして教えてくれなかったんだよ!
珍しく激昂したを宥め、再びの行方を探すこと数時間。
カミュはくたびれた表情で食堂の椅子に腰かけると、眉をしかめた。
何かを零した椅子だったのか、強烈な異臭を放っている。



はいない、椅子は臭い。外に出てくのを見た奴もいない。じゃあどこに隠れてる?」
「ホメロスちゃんが連れ帰ったとか?」
「あいつがだけ連れて大人しく帰るわけないでしょ! 来るならとりあえずカミュを狙うだろうし」
「カミュ様、人攫いですものね」
「俺の罪状は置いといて、ホメロスの野郎が来たらもっと騒ぎになるだろ。あの目立つ見た目じゃ変装だって簡単じゃない」
ちゃんを最後に見たのはベロニカだよね。その時何か変わった感じはなかった?」
「いつも通りマイペースに草ジュース飲んでたわよ。・・・そういえばカミュ、あんたの匂いジュースによく似てるわ」
「あいつ、いつもこんな不味いの飲んでんのか・・・」



 セーニャ曰く大自然に置き去りにされた味という特製ジュースは、絶対に飲むまいと固く心に誓える代物のようだ。
カミュは苔むし始めている椅子を見下ろした。
ちょっと零しただけで草が芽生え始めるようなものを摂取して、は本当に調子が良いのだろうか。
元から謎に逞しく植物に親しみのある女だったが、彼女の体内も実は苔びっしりだったりしないだろうか。
というか、でもないのにこんなものを飲んでしまったセーニャは無事なのか。
今朝も昼食もモリモリおかわりしていたので、なるほど調子だけはすこぶる良くなるらしい。



「あれ? この臭い確か・・・」
ちゃん?」
「ハンフリーも臭いしてた・・・。いつもの戦いよりもちょっと臭うなって思ったけど、これだったのかな・・・」
「どうしてハンフリーからジュースの臭いがするのよ」
「昨日ちゃんと一緒に孤児院に行った時、うっかり足元崩したちゃんがハンフリーに抱き着いてたけど」
さまからはこの匂いはしませんわ。あくまでも飲み物だけの話。ハンフリー様からこのジュースと同じ臭いがして、なおかつこうして床や椅子に飛び散っている状況を考えると・・・」
「・・・ハンフリーがちゃんのこと、何か知ってる」



 は決勝戦直前のハンフリーを思い出した。
約束よりも少し遅れてやって来たが、試合には充分間に合う時間だから気にも留めなかった。
汗でも体臭でもない、決して心地良くはない異臭がしたことはよく覚えている。
まさかの草ジュースの臭いと思いもしなかった。
いつも何を飲んでいるのだろうと気になっていたが、試飲まで至らなかった己の好奇心の欠如を悔いてしまう。
ハンフリーがに何かをしたという確証はまだない。
だが、彼は失踪に絡んでいる。
もしもの身に危険が迫っていたら。
「悪魔の子」。
デルカダール王宮で忌々しげに放たれた言葉を思い出し、は両手をきつく握り締めた。



「僕、ハンフリーのところに行ってくる」
「待ちなさい。あんたはまずは体を休めるのが先よ。武闘会で疲れてるんだから」
「平気だよ、このくらい! 大体、ちゃんがいなくなってたんなら僕は武闘会サボってでもちゃん探してた!」
「あんたが決勝に出てハンフリーの臭いに気付けなかったら、の手がかりもつかめなかったのよ」
「そうですわさま。カミュさまも、おひとりでハンフリー様の元へ向かわれませんよう」



 これ以上騒ぐならの置き土産の夢見の花で寝かせてあげましょうかと花をちらつかせるベロニカに、大人しく降参する。
彼女たちの言うことは正しい。
ハンフリーは仮面武闘会で優勝し続ける強者だ。
万が一揉め事になった時を考えると、こちらも万全の状態で臨まなければならない。
起こらない方がいい最悪の事態に備え休んでいたたちの元に来客があったのは、その日の晩だった。






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