19.渚で私を捕まえないで










 人から寄せられる好意を、今日ほど重苦しく感じたことはなかったかもしれない。
は薄汚れた布を頭巾代わりに被り、ソルティコの巨大な石橋の柱から周囲を見回していた。
あの顔もこの顔も、向こうの顔も見たことがある。
こいつらはデルカダールの未来を担う将来有望な若者たちだと、ホメロスが上機嫌で店に連れて来ていた新米兵士たちだ。
ホメロスがもっと食え、たんと食え、私にすべて任せておけと彼らに豪語し大判振る舞いしていただけあって、その日は店の売上が非常に良かったからよく覚えている。
こちらも調子に乗ってたくさん食べてね、美味しそうにいっぱいご飯食べる人だーい好きなんてビジネススマイルを大サービスしていたので、彼らの記憶にも定食屋兼酒場の看板娘の美しい姿は鮮明に残っているはずだ。
こんなことになるのならば、ホメロスの言いつけ通り奥で皿洗いに集中していれば良かった。



「くうう、私が美人だったばっかりに・・・」
「否定はしないけど、お前結構言うこと言うよな」
「とかなんとか言って全肯定してくれるカミュってめちゃくちゃいい奴よね」
「惚れ直したならやり直そうぜ」
「こないだから教えてもらったんだけど、色恋沙汰に失敗してもやり直しの宝珠はもらえないんだって」
「マジかよ」



 あんたたち早く来なさいと、橋を渡りきったベロニカが声を上げている。
ベロニカもセーニャも、ソルティコに着いてから非常にテンションが高い。
海の傍って素敵ね、ロマンチックだわと気分はすっかりバカンスだ。
確かにソルティコはとても美しい街だ。
青い空、白い砂浜、青い海、白い建物とほぼたった二色で完成されている。
こちらとてきわどい水着を身に纏って浜辺の女神として降臨したいが悲しいかな、今必要しているのは鉄仮面なのだ。
は頭巾をますます深く被ると、のろのろとベロニカたちの元へ歩き始めた。
心優しい2人は、牛歩戦術を体調不良だと受け取ってくれたようだ。
純粋無垢な聖賢姉妹を謀らずも騙してしまったことに、の表面積が戻りきれていない胸がちくりと痛んだ。



さまにはソルティコの日差しが強いのでしょうか・・・。体調が優れません」
「ちょっとセンチメンタルな気分になっちゃって・・・」
「それは船酔いだって言ったじゃない。シルビアさんもどこかへ行っちゃったし、はおじいちゃんとジエーゴさんのお屋敷行っちゃたし、せっかく浜辺のバーでお茶でもしようと思ったのに」
「バーでお茶、いいじゃない。あなたたちも行きましょうよ」
「オレはパス、女子たちで行ってこいよ」
「ベロニカ、バーにはミルクないかもよ」
「あんた、時々あたしを子ども扱いするわよね。今はこんな見た目だけどね、本当はマルティナさんにも負けないくらいスタイル抜群なのよ!」
「そうだったでしょうか・・・」
「セーニャ! 話を合わせるのよ、ここは!」



 バーならばさすがに剣の修行に訪れているはずの勤勉なるデルカダール兵はいないだろう。
は頭巾を少しだけ捲ると、改めて街を眺めた。
そこら中に観光客が溢れており、土産物屋もたくさんある。
ホメロスが言っていたおすすめのサンゴの髪飾り屋はどこだろうか。
せめて店の名前を訊いてから別れるべきだった。
頭巾よりもお洒落な髪飾りを装備したいに決まっている。
たちは、非戦闘員時々ただのお荷物に過ぎない自分にもあれやこれやと与えてくれる。
道中摘んでは売り捌いている草代では返しきれない待遇だ。



「む、あそこのバニーちゃんいい体してるじゃない。元看板娘の私よりも集客能力ありそう」
はデルカダールでは何をしていたの?」
「昼は下層の入口でようこそって言う係してて、夜は中層の定食屋兼酒場の店員してた」
さまはたくさんのお仕事をなされていたんですよね。私たちよりもずっと都会に慣れていて」
「スレてるだけじゃない?」
「否定はできないけど酷くない、ベロニカ?」



 馴染みの顔がどこにもないことを確認し、暑苦しかった頭巾を取り払う。
鮮やかな緑色の髪が潮風になびいた。






























 不思議な体のつくりをしている。
カミュはいくらかくすんでしまったの髪を撫でながら、健やかな寝息を立てているを見下ろした。
昼間からバーで賑やかに楽しんだらしく、今はすっかり夢の中だ。
湯浴みを終えベッドに転がるなり、あっという間に眠りに落ちてしまった。
に会って間もない、つまり彼女がまだホメロスの庇護下にいた頃は、はもっと若葉のような髪の色をしていた。
このまま茶色く枯葉のような色になってしまうのではと不安になる。
グロッタでもに心休まる時間はあまりなかった。
ずっと無理をさせていた。
楽な旅ではないとわかっていたしもそれなりに覚悟していただろうが、あの大陸では少々慌ただしかったのは事実だ。
落ち着けるはずのソルティコも、デルカダールではそこそこに顔が広いにとっては決して安息の地ではなかったようだ。
土産物の通りを歩いていても、非番のデルカダール兵と思しき若者をちらほらと見かけた。




「疲れてても言いにくいよな、そりゃ・・・」


 髪を撫でても指に巻きつけても、が起きる気配はない。
用があるから来てくれと頼み部屋を訪れてそのまま、は他人のベッドですやすやと目を閉じてしまった。
用をまだ何も果たせていない。
を本来の部屋へ連れて行くべきなのだろうが、今更出歩きたくはないし、何よりも就寝前の女たちには会いにくい。
どうしたものか。
をベッドの隅に動かし空いたスペースに寝転がっていたカミュは、とんとんと控えめに叩かれたドアのノック音に体を起こした。
扉をわずかに開けると、隙間からマルティナの顔が見える。
確かの同室だったはずだ。



来てる?」
「寝てる。起こしたくねぇし、今日はオレが預かっとく」
「そう、よろしくね」
「わりぃな心配かけて。来るなり寝ちまって、やっぱり相当疲れてたんだろうな」
「・・・・・・」
「何だよ」
「そのままちゃんと寝かせてあげてね」
「わーかってるって。寝込みを襲うほど飢えてないぜ、オレは」



 信用されていない気がする。
マルティナはベロニカ以上に風紀に厳しそうだが、は耐えられるだろうか。
カミュはじとりとした目で部屋を覗こうとしてくるマルティナに丁重かつ強引に別れを告げると、扉に鍵をかけた。
それなりの声量で会話していたのに、相変わらずは眠ったままだ。
このまま眠り続けて、次に起きた時は再会したころと同じ美しく若々しい色の髪のに戻っているだろうか。
海岸でスライムナイトと戦って改めて実感した。
緑にサンゴはよく似合うと。
カミュはテーブルの上に土産物屋で買い求めたサンゴの髪飾りを置くと、狭くなったベッドに潜り込んだ。

























 生まれ変わったかのような気持ちの良い朝だ。
解消できないままために溜め込んでいた疲労が、ニフラムをかけられたゾンビのごとく跡形もなく消えた。
手入れが行き届かず生やし放題にしていた枝毛も、たった一晩ふかふかのベッドで休んだだけで綺麗になった。
さすがは海辺の楽園、誰もが憧れるリゾート地ソルティコだ。
はベッドから抜け出すと、カーテンを開けバルコニーへ出た。
風が気持ちいい。
早朝から砂浜で走り込みをしているのは年若い青年たちだ。
ホメロスもああやって鍛錬を積んで今の地位へと上り詰めたのだと思うと、元養い主の努力を感慨深く感じる。
海を走るホメロスを、きっとソルティコ中の女性たちが追いかけたに違いない。
いい男は海が似合うのだ。



「ん・・・あれ、もう起きてたのか」
「おはよカミュ。ベッド半分取っちゃってごめんね。眠れた?」
「手頃な抱き枕のおかげでぐっすり。体は平気か?」
「うん、もう大丈夫。美味しいもの食べてたくさん寝て、グロッタで削れた私のナイスバディも復権間もなくって感じ」
「そりゃあ昨日揉んだ甲斐があった」
「そんな度胸ないくせに」



 信用してくれてんじゃねぇのと笑ったカミュが、隣に並んで髪に手を伸ばす。
戻ってる、よし。
何の確認だかわからないが、ひょっとしたら胸以外の体の部位も不調をきたしていたのかもしれない。
誰も、本人すら気付かない異変を察知するカミュの審美眼を尊敬するような、ちょっと引くような。
さすがは元盗賊、彼の目にかかればサンゴの髪飾りの良品もあっさり見抜けそうだなと利用したくはなる。



「シルビアさんも泊まれば良かったのに、もしかして野宿好きなのかな」
「あのおっさん、この辺に着いた時から様子がおかしかったしな。何かあるんだろ」
「まあ生きてて何もない人なんていないもんねぇ」



 朝の日光浴は終わりだ。
そろそろ元いた部屋に戻らなければ、マルティナに心配をさせるし怒られてしまうかもしれない。
初対面での会話が蜘蛛に囚われていた時だったせいか、マルティナはこちらを危なっかしい人物と認識している。
ひとりにしておくと何をしでかすかわからないからと、ベロニカだけで事足りているのにマルティナもお姉さん気取りだ。
勇者の元に集った仲間たちは皆心優しい人ばかりだ。
それらは奇跡でもなんでもない、だった生まれた絆だ。
は大きく背伸びをすると、青空へ背を向けた。
振り返った先にいるカミュの手に何かが握られている。
赤くて綺麗なそれは、まさか。



、ほら」
「サンゴの髪飾り・・・」
「へへっ、綺麗だろう。お前に一番似合いそうなの買っといたんだ」
「綺麗・・・」



 少し身を屈めれば、カミュが丁寧な手つきで髪飾りを挿してくれる。
思い出と約束が少しずつ塗り替えられていく。
それはきっといいことなのだろう。
はカミュに手を引かれ、全身鏡に姿を映した。
頭でしゃらりと涼しげな音を鳴らす髪飾りは、今まで身につけたどのアクセサリーよりも似合っているように思える。



「やっぱ頭巾なんざよりこういうアクセサリーの方が似合うよな。うん、綺麗だ」
「ありがとうカミュ、大切にするね」
「おう、程々にな」



 アクセサリーひとつで心を惹きつけられるとは露とも思っていない。
だが、せっかくの諸国を巡る旅なのだ。
巻き込まれただけに過ぎないには、できうる範囲で思い存分楽しんでほしい。
水門が開けば船は大海原に漕ぎ出し、が知らない世界がもっと広がる。
船酔いを起こす暇もないほどに次から次に新しい街と出会い、人と出会うだろう。
これからの隣で思い出を紡いでいくのは、デルカダールのキザ野郎ではなく自分だ。
ホメロスとの思い出などすべて塗り潰してやる。
カミュは、軽やかな足取りでマルティナが待つ部屋へ駆け戻ったの背中を険しい表情で見送った。






「それで、昨日はお楽しみしたの?」「そんなひどい・・・。カミュにそんな度胸ないってば」「お前が一番酷くないか?」




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