独りの夜は今日で終わりだ。
望めば明日も独りでいられるが、それをロミアは選ばない。
まあ、こんなもんだろうと思った。
はロミアが待つ白の入り江へ向かう船上から、暗くて何も見えない海に向けて言葉を落とした。
ここはおとぎ話の結末が臨める夢の舞台ではない。
海を相手に日々生きる人々にとって人魚とは、異形で異質な生き物だ。
人とは何もかも違うそれをキナイが嫌い憎むのは当然だ。
人魚の子として決して穏やかではない人生を送って来たであろうキナイは、よくベールを渡してくれたと思う。
ちょっとしたおつかいのつもりが人魚の運命を決定づける羽目になるとは、冒険とは過酷だ。
はこれからも何度も決断を迫られることがあるだろう。
の選択には正解も不正解もない。
正しさを決める人など誰もいない。



ちゃん、気分悪いの?」
「シルビアさん。ううん、センチメンタルな気分になってただけ」
「あら、今日はほんとにそうみたいね。・・・人魚の呪いの話、本当だと思う?」
「おとぎ話にしてはリアリティある話だよね。怖い部分しかなくて」
「わざと前日譚や一方的な都合を抜いてるってこと?」
「そうそう。あーあ、気が重い」



 皆まで言わずとも、この物語の結末をシルビアは予期できている。
いつだって誰だって、何だって辛いわと寂しげに呟いたシルビアが体を寄せてくれる。
真実がわかったところで特別何かが変わるわけではない。
ロミアが愛したキナイは既に亡く、ロミアは待つことをやめ彼に逢いに行く。
白の入り江でからベールを受け取ったロミアが、美しい顔を悲しげな表情へ歪ませる。
聴いた者の心を奪う美しい声で嘘よと叫び泣きじゃくる。
村に近付くのは危険だとやマルティナが言い聞かせても、村へ、キナイの元へ行くと言って聞かないロミアの取り乱しようを見ていると、この人は本当に時が経ったことも忘れ愛する人を待ち続けていたのだなと心が沈む。
逢いたいなら会いに行けばいい。
ここは外海から閉ざされた不思議な入り江だ。
ひとたび外へ出れば、ロミアも否が応でも時の変遷に気付かざるを得ないはずだ。
逸るロミアに急き立てられるように再び船に乗り込もうとしたは、さんと声をかけられロミアを顧みた。
美しい人魚に手招きされて振り払える人間はいない。
ふらふらと入り江へ戻ったは、ロミアのキラキラと光る瞳に見つめられうぅと呻いた。
魂を抜かれるとはもはや思っていないが、直視されると怖くもなる。



「あなたみたいな人と海で会えるなんて、長く生きてきたけど初めてだったわ」
「ロミアさんおいくつ?」
「女性に歳を訊くものじゃないわ。・・・でもそうね。300年は生きてるわ」
「えっ嘘マジで」
「うふふ、人魚は500年は生きるのよ。あなた、これからも船旅を続けるなら飲んでほしいものがあるの」
「・・・いや、人魚の生き血とかそういうのはちょっと・・・。ほら、私は人間でいたいんで。一途な乙女心とかなら爪の垢煎じて飲まないこともないけど」
「何を言っているの? あなた人間じゃないでしょう?」
「そうなの!?」
「おーい、どうした?」



 ずっと人間として生きてきた。
気が付いた時より昔の思い出は何もないが、時に人並み以下の生活を営みながらも「人間」という種族として生きてきた。
人間だと思っていたが、人間でないなら何なのだろう。
もしかして、というか、やはりグロッタの地下でくさった死体になっていた?
胸が削げた以外はどの部分も腐敗の跡が見られなかったので生身の体を維持できていると思っていたのだが、ニフラムされていなかっただけ?
それとも実はオークとグレイグに串刺しにされていて、死んだことにも気付けず幽霊の状態で旅を続けていて、たまたまニフラムされていなかっただけ?
素っ頓狂な叫び声を聞きつけたカミュが、船から降りてこちらに駆けてこようとしている。
はもう一度ロミアにマジでと尋ねた。
嘘をつかないロミアが、真面目な顔で頷いた直後に自身の目尻から拭い取った涙をぽかんと口を開けたままのこちらへ突っ込む。
人魚の指、いや、涙ってスイーツよりも甘いんだあ。
涙を嚥下した直後、全身が海水を浴びせられた感覚に陥る。
体が明らかに変わった。無理やり変えられた。



「も、もしかして不老不死になっちゃった・・・?」
「いやね、そんなわけないでしょう。土の臭いがする薬に頼らずとも、もう海で酔わなくなるわ。ありがとう、あなたの恋が結ばれますように」
「ロミア、ちょ」



 にっこりと微笑んだロミアが、船の後方へ泳ぎだす。
訊きたいことが山ほどできたが、その機会は二度と訪れないだろう。
甲板の定位置へ戻ったの元へ、カミュが不安げな表情で寄ってくる。
首を勢い良く捻るだけでも襲われていた気分の悪さがどこにもない。
恐るべし人魚の涙。
先だってベロニカとセーニャに飲まされた薬が不味いだけで何の効能もなかったことと比べるのもおこがましい。



「大丈夫か? ロミアと何話してたんだ」
「別に・・・、サンゴの髪飾り可愛いねって」
「何だよそれ。もっと巧い誤魔化し方しろよ」
「たはは・・・。ねぇカミュ、私って人間だよね?」
「は? 逆に人間じゃなかったら何だ?」
「・・・何だろう?」
「さてはもう酔ったな? ったく、しじま々浜まで我慢しろよ」



 人がまるで我慢できなかった前科があるように言わないでほしい。
しじま々浜でキナイが眠る墓と対面したロミアが、たった一度だけ人間になる。
人の一生はとても儚い。
人魚の唄と涙と体は、思い出のベールだけ遺し月浮かぶ海に揺蕩い溶けた。






「私臭くないよね?」「お前の飲んでる草ジュースは悶えるほど臭い」




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